「混血児(?)が出生してないから、

南京では強姦は無かった!」って、

それマジで逝ってんの?

 

 

★様々な強姦の証言

★日本軍の資料に残されている強姦の記録

★妊娠の報告

 

南京を攻略した「中支那方面軍」の総司令官である松井石根大将は、南京陥落に先立つ1937年12月7日、城内での無用な混乱を避けるために、南京攻略に関する注意事項を示し、南京へ入城する部隊数を制限しようとしました。これは指揮官としては当然の措置でしょう。

 

しかしこれらの通達は見事に空文化してしまいました。例えば第九師団は12月13日には四個連隊全部が入城し、第十軍のうち二つの師団も半分以上が入城し、第十六師団に至っては15日に師団のほぼ全部が中山門から入城し勝手に入城式をやってのけ、そのまま居座ってしまいました。城外に駐屯した部隊からも連絡や見物の名目で相当数の将兵が入り込み、城内の兵力は7万近くに膨れ上がったそうです(以上、秦郁彦「南京事件」より)。

 

因みに松井大将は憲兵隊による秩序の維持を期待していましたが、実際のところ12月17日当時の憲兵は僅か17名だったそうです。

このような状況下に於いては、

「女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった・・・・強姦をやらない兵隊なんかいなかった。そしてたいがいやったあとで殺しちまう。パッと放すと、ターッと駆けて行く。そいつを後ろからバーンと射つ。殺さないとあとがうるさいからだよ。憲兵にわかると軍法会議だからね。殺したくないけど殺した。もっとも南京には殆とんど憲兵はいなかったけど」(読売新聞の従軍記者、小俣行男著著「侵掠」(徳間書 店)、百十四師団一等兵の証言・・・・本勝「南京への道」より引用)

 

(強姦後)気絶していた娘の膣に、そばに転がっていた一升瓶を突っ込み、どこまで入るか銃底で叩き込んでみた。そしたら血を噴いて骨盤が割れて死んでしまった(吉田裕・著「天皇の軍隊と南京事件」青木書店)

 

木のあいだに女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を差し込み爆発させる者(月刊誌「潮」1971年7月号特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」)

(この二件は、鈴木裕子・著、未来社「従軍慰安婦内鮮結婚」より引用)

 

 

これらの証言のような行為が頻発し、それに何の咎も無かったことも頷けます。

 

ところで、

 

南京で日本兵による強姦事件が発生していれば、

必ず混血児(?)が生まれていたはずだ

しかし実際には、混血児は出生していない

だから、南京では、日本兵による強姦は、無かった!

 

って素面で主張しているヴァカコヴァには辟易させられます。なんでそんな馬鹿らしいことを口にできるのでしょうか?全く開いた口が塞がりません。

しかし、連中を納得させられるような(つまり、この論の愚かさを悟らせるような)説明をすることは、自分には困難(つーか打つ手が無い)だと感じ、長い間この話題は避けていました。私も南京で日本兵と中国兵の間に生まれた私生児の存在は耳にしたことがありません。連中に「強姦が多発したんなら、混血児も産まれているはずだべ?」と開き直られれば、それまでだったのです。

 

たしかに強姦が行なわれれば被害者の女性が妊娠することも場合によってはあるでしょう。そして占領下の混乱した状況では、堕胎する機会がなく出産してしまうこともあるでしょう。

 

・・・・有名な「1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども」では、当時の人口統計や産婦人科の受診記録によって、ソ連軍の突入による強姦被害者数や妊娠・出産の件数を具体的に推計していますので大雑把ですが紹介します。

 

「シャリテ病院産婦人科受診簿」によると、1945年7月23日から年内いっぱいまで受診した女性3852人のうち、

「強姦のために治療を受けたことが明らかな女性の総数」は514人、

「強姦された女性の妊娠件数」は118件、

そのうち中絶は37件、流産は3件です。

そして当時ベルリンには140万人の女性・少女が在住し、そのうち60万人は出産可能な年齢だったということです。

これらから「数ページが数字で埋まってしまう」推計を行なうと、

「少なくとも11万人の少女・女性」が強姦され、

そのうち出産可能な年齢であったのは5万7800人で、

1万1000人強は妊娠し、

1100人以上の子供が生まれたことになるそうです。

この推計には議論の余地もあるかもしれませんが、ベルリンでソ連兵に強姦された女性が妊娠・出産したことは事実なのです。一方南京戦についてのこのような推計を目にしたことはありません。

 

つまり、強姦された女性が妊娠・出産した事実を示すこの推計をもってして、ベルリンでソ連兵による強姦が行なわれたことを証明できますが、

南京戦については同種の推計は存在しませんので、南京で日本兵による強姦が行なわれたことを同じ方法によって証明することはできないのです。

 

これがバカコヴァの付け入り所なのですが・・・・しかし連中の、強姦が多発していれば必ず混血児も多く出生していたはずだ・・・・という安易な主張に対する違和感は消えませんでした。強姦でそんなに簡単に妊娠し、出産に至るでしょうか?そりゃー妊娠することもあると思いますし、混血児(?)も、もしかしたら存在しているかもしれませんが・・・・・なんだか連中の主張を見ていると、強姦→妊娠→出産というプロセスを随分簡単に捉えているような気が致しまして・・・・。

はたして人間は、そんなに簡単に妊娠し、そして出産するものでしょうか?

実際私は、結婚して何年も経つのに子供がいない夫婦を何組も知っています。以前勤めていた会社では「先輩、もしかして種無しっすか?」などと人様を冷やかして蹴りを入れられたりしていました。当時の私には、子供を作らない夫婦というのが不思議だったのですが・・・・しかしその後、因果応報とでも言うべきか、子供というものは簡単に出来るものではないことを身をもって知らされることになりました。義務を果たしていてもなかなか子宝に恵まれないこともあるのです。人間とはそんなに簡単に繁殖できる動物ではなかったのです。

ましてや普通の性交渉ではない強姦という行為では、妊娠してしまう確率は通常より小さいのではないでしょうか?・・・・特に、南京陥落直後のような異常な状況では?

そのように考える理由を私の勝手な推測や、

「南京戦――閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言」(松岡環・編著、社会評論社)や、

「南京事件資料集A中国編」などからの引用によっていくつか示します。

 

 

◆激しく抵抗されたため腹立ち紛れに殺してしまったケースも多いのでは?

性暴力が殺人に至ってしまうことは珍しくありません。戦場に於いては尚更ではないかと思われます。

みんな襟章(所属によってそれぞれ色分けをしている)を外して、物を奪うのさ。腹へってくたくたになっても女を見るといきり立って捕まえよったわ。恥ずかしいからもうこれ以上言わさんでや・・・・。部隊のもんはみんなやっとったわ。黙認じゃ。女は殴って、殴って半殺しにしたわな。抵抗されるからじゃ。若い女は腰振って入れさせんようにするからじゃ。嫁(既に結婚している女性)はやりやすかったわな。恥ずかしいからこれ以上は勘弁してください。

抵抗するから殴りつけたんじゃ。させたもんは殺しはせんかったが、させんもんは殺したわな(「南京戦――元兵士102人の証言」P278〜279)

 

・・・・家の中で分隊の者が強姦して、わしは、外で歩哨、見張りやな。立たされた。きつい女で強姦できないときは、腹立てて胸など撃って殺しましたな(同上P-323)

 

 

◆相手に妊娠できる能力が無かったケースも多いのでは?

南京では幼い少女や老女までもが強姦の被害に遭ったことはよく耳にします。

「(強姦は)そこら中でやっとった。つきものじゃ。そこら中で女担いどるのや、女を強姦しとるのを見たで。婆さんも見境なしじゃ。強姦して殺すんじゃ。もう滅茶苦茶じゃ」(「102人の証言」P-275)

 

敵の婦女暴行については、憤激のあまり語る言葉もない。敵を禽獣といって罵るが、彼らは禽獣にすら及ばない。犬ほどの心さえ持ち合わせておらず、人間性のかけらもないのだ。

日本軍入城後、略奪・放火・殺人のほかに、さらに重要なことは婦女暴行である。

11歳の幼女も50余歳の老婦人もみな辱めを免れず、しかも輪姦後、多くの者が殺された(李克痕「淪京五月記」――南京事件資料集A中国編P-118〜119)

 

・・・・そこで国際委員会はまた金陵大学に婦女収容所を設け、争って避難にくる婦女で極めて混雑した。しかし暴虐な敵の醜行はますます凶暴さを増した。強姦の対象は12歳の少女から70歳の老婦人に至り、もし少しでも抵抗すれば即座に銃殺した

(「漢口大公報 社説:陥落後の南京の惨状 民国27年2月20・21日」――資料集AP-45)

 

 

敵軍が入城してからの、わが婦女たちへの暴虐は、さらにこの世のものとは思えないひどさで、乳臭さのとれない7、8歳の少女であろうと、歯が抜け髪が白くなった6、70歳の老婆であろうと、皆強姦の対象となった

(范式之「敵蹂躙下的南京」――資料集AP-129

 

また、これは南京の事例ではありませんが、「戦場に於ける特殊現象と其対策――国府台陸軍病院附軍医中尉早尾逓雄」という報告書によると、

(六)或る兵は支那酒に酔いつつ支那店に立ち寄り焼き鳥を食する時其の傍らに居た支那少女(当六年)を見ると同女が十三歳未満の少女であることを認識しながら姦淫せんと思ひ同女を抱きながら室内へ入り同女の父に銃剱をつきつけ退去を命じ置き同女を姦淫せんとせしも少女の為目的を達しかね指頭を以て押し開かんとして負傷せしめた(吉見義明「従軍慰安婦資料集」より引用)

 

このように妊娠することのない幼女に対する性的暴行を例示しています。

在沖米軍海兵隊を例に取るまでもなく、幼い少女まで獣欲の対象とするのは古今東西の軍隊に共通しているようです。何が楽しゅうて小さい女の子をレイプしようとするのか・・・・私は彼らの嗜好を全く理解できませんが、まあ、軍隊って集団とはそういうもんだっつーことでしょう。

 

それに少女ならともかく(?)、なんでお年寄りに対していきり立つことができるのか?という疑問も浮かびますが、まあ女を見れば誰でも構わず襲いかかるのは軍紀の崩壊した軍隊に共通のようです。

日本人はなぜみな色情狂なのか理解に苦しむ。奴らは、女性を見ると、まるでケダモノが異性を見つけたときのように、性欲をむき出しにして襲いかかろうとする。相手がどんな年寄りでも子供でも美人でも醜くてもお構いなしで、群れを成して襲いかかり、獣欲を発散させる。言うことを聞かないものは、下部から銃剣で一突きにして殺すのだ!

(中略)道端で男を見つけると、捜査が終った後、ある動作を行なった。何かおわかりだろうか。

そう、ズボンの上から一なでして男装している女がいないか確かめるのである(郭岐「陥都血涙録」――資料集AP-189)

このように見境がなかったようです。

 

 

◆被害に遭った女性が自殺したケースも多いのでは?

強姦という犯罪は被害者の身体を傷つけるだけではありません。日本兵によって強姦され自殺した女性は、アジア・太平洋戦争に於ける日本軍が展開した地域の中でどれほどの人数に達することでしょうか?

 

・・・・このほかにも、敵は思いつきから、10歳から3、40歳までの婦人を5、6人から2、30人まで強制的に集めて一室に閉じ込め、全裸にして気の向くままに身体をさわり、からかって楽しんだ。城内のあちこちで、婦人が敵の暴虐を逃れようとして、あるいは暴虐に耐えきれずに自殺する事件が、平均して一日に100回は起きた。

敵軍はこのような行動を、聞こえよく『野外勤務』と名づけたが、ああ、これが『皇軍』の野外勤務なのだ(范式之「敵蹂躙下的南京」――資料集AP-129)

 

婦人については、日本兵が難民区に侵入して以来、一日として集団的な強姦、虐殺事件が起きない日はない。山西路小学のところでは、ある婦人がなんと一度に8人の日本兵に強姦され、彼女は恥ずかしさと怒りもあまり、ビルから飛び降りて自殺した。このほかの事件についえ私はもう話したくない

(中略)婦人で蹂躙に耐えられず、首を吊ったり池に身を投げて自殺した人が何人いたかわからない(林娜「血涙話金陵」――資料集AP-140〜141)

 

 

◆事を済ました後、殺害したケースも多いのでは?

掃蕩する時、家を一軒一軒まわり女の子を見つけるとその場で強姦した。女の子はだいたい床の下かカーテンの後ろとかに隠れていたな。見つかったとき、怖いかどうか分からないけど、反抗しなかったな、憲兵から止められたりしなかったので、やり放題やった。

・・・・南京城内ではなく郊外では、憲兵に見つかったらうるさいから女の人を殺したりした(「元兵士102人の証言」P-272〜273)

 

・・・・女二人連れてきたら、中隊長にもあてがわんならん。あとの一人を分隊十人ほどがえらいさんの班長から交替してやるわけや。わしら初年兵やから、もうえろう思えへんけどなあ。そうやって女の子を輪姦して後で殺してしまうわけや」(「元兵士102人の証言」P-326)

 

「中支(南京も含む)では裸の女の死体もよく見たんで、日本も負けたら家族がこんな目に遭うと思っていました。中国人はよくわらの下に隠れていました。そんなんよく見ましたわ。

今から思えば侵略でしょうけど、その時は日本の経済のためやと思うとった。

わたしはかえって戦争に負けてよかったと思うとります」(「元兵士102人の証言」P-335)

 

・・・・しかしこのたび中国においては、惨殺のほかにさらに普遍的に強姦と略奪が行なわれている。これは日本の紀律の一歩進んだ破壊であり、日本の前途にとって意義は非常に大きい。九・一八以来、敵軍が東北で婦女を強姦することは、もともと、常のことであったが、総じて今回のように普遍的で残酷なことはなかった。南北の広大な占領地で善良な女性を蹂躙することは極点に達している。一つの城鎮が占領されると、汚辱したのち、さらにこれを惨殺する。幼女で辱められて死に至るものは数えきれない。多くの地方では、幾百幾十の婦女が拘禁され、終日、裸にされて辱めを受けている。この種の多大な獣行は南京などの外国人が見聞しており、報告はたいへん多く、書きつくせない。中国の盗匪は婦女の強姦をつよく戒めており、犯すものは仲間に受け入れられない。日本の軍人はなんと盗匪よりはるかに下であり、強姦したのち殺害するにいたっては、さらに残酷卑劣で形容しようがない。敵軍はなぜこうなのだろうか?本質上からも解答を探し出すことができる。なぜなら全世界でもっとも女性を蔑視しているのは日本だからである。そしてこのたび敵軍が中国でこのような獣行をはたらくのは、主要には自らを征服者と思い、中国人を人とみなしていないからである。

(「漢口大公報 社説:敵軍の紀律問題の本質について 民国27年2月11日」南京事件資料集A中国編P-38)

(ちなみに日本軍も、中国では盗賊さえも強姦はしないと認識していたかに思える見解を出していました。1932年7月、関東軍参謀部は次のように述べていたそうです。

「支那人は面子を重んじ、外見上婦人を大切にするが、強姦は総ての悪徳暴虐行為の中、其最悪なるものとして非常に重大なる社会問題として居る。(匪賊や盗賊も)虚言、瞞着、掠奪、強盗等は平気でやるが、強姦だけは滅多にやらぬ(関東軍参謀部宣伝参考「漢民族の特質」―――吉見義明「従軍慰安婦」P-23より)

 

 

 

・・・・・とまあ、

強姦しても妊娠に至らないケースを思いつくまでに並べてみましたが、しかしこれでは連中の主張に反論したことになりません。

南京の日本兵らは強姦した全ての女性を殺していたわけでは、ないでしょう。ですから連中が述べるように妊娠させたこともあるはずだし、そして混血児が出生していたかもしれないのです。

 

しかも「元兵士102人の証言」や「南京事件資料集A中国編」のような戦後の証言や被害者側の記録は、連中はえてして軽視(つーか無視)します。これらの価値を全く認めようとしない連中の愚かさは致命的ですが、しかし連中でさえも当時の日本軍の記録を提示されれば沈黙せざるをえません。

そういうわけで偕行社「南京戦史資料集」などから、南京での強姦についてのリアルタイムな日本軍の記録をピックアップしてみます。

 

◆外務省の石射猪太郎・東亜局長は1938年1月6日の日記で、

「上海から来信、南京における我が軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か」石射猪太郎「外交官の一生」・・・・秦郁彦「南京事件」より)

と嘆いていました。

 

◆元教育総監真崎甚三郎大将は(当時は予備役)、上海派遣軍を視察してきた衆議院議員の江藤源九郎予備役少将の報告を聞いて、

「軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に絶えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」(笠原十九司「南京事件」より)

と日記に記しています。

 

◆実際に逮捕された事例もありました。

十二月十七日・・・・・・夕刻入城祝を小隊にて催せしが、18:00大隊本部に各中小隊長集合を命せらるる。席上大隊長より次の注意あり。『昨日UMG(機関銃第三大隊?)の兵二名市内にて支那婦人二名を強姦せるを柚木円優中尉発見しR本部(連隊本部?)にて問題となり目下取調べ中との由、厳にかかる行為のなきよう注意されれたし』と。

(歩兵第二十三連隊第二大隊砲小隊長・歩兵少尉「折田護」日記、偕行社「南京戦史資料集」P-448)

 

 

◆南京進撃開始以降に多発した強姦事件は、軍に慰安所設置を急がせることになりました。飯沼守上海派遣軍参謀長は南京陥落前の12月11日の日記に、「慰安施設の件、中支那方面軍より書類来り、実施を取り計らう」(「南京戦史資料集」・・・・吉野義明「従軍慰安婦」より)

と記しています。そして南京での強姦事件の多発によって、一刻も早い慰安所開設が求められました。上村参謀副長は12月28日の日記に、

「軍隊の非違いよいよ多し。二課をして各部隊将校会報を召集し、参謀長より厳戒するよう三十日十時より実施と、南京慰安所開設について二課案を審議」(同上)と記しています。

 

そして南京には何カ所も慰安所が開設され、安全区内の金陵大学に収容していた中国人女性難民からも募集を行い、元々売春婦だったらしい「かなりの数の娘たち」がこれに応じ、アメリカ人の女性教授(ミニ・ヴォートリン)を呆れさせたそうです。(この逸話はラーベ「南京の真実」P-148より)

 

 

◆畑俊六教育総監は南京の実情に鑑み、将校・兵員の入れ替え、中支那方面軍の最高司令官である松井司令官の更迭を進言したことを1937年1月29日の日記に記しています。

「支那派遣軍も作戦一段落とともに、軍紀風紀ようやく頽廃、掠奪、強姦類のまことに忌まわしき行為も少からざる様なれば、この際召集予后備役者を内地に帰らしめ、また上海方面にある松井大将も現役者をもって代わらしめ、また軍司令官、師団長などの召集者も逐次現役者をもって交代せしめるの必要あり。この意見を大臣に進言いたしおきたる」(「畑俊六日誌」・・・・笠原十九司「南京事件」より)

 

 

 

◆南京安全区国際委員会のメンバーと雖も、日本兵からの暴力と無縁ではありませんでした。

金陵大学のチャールズ・H・リッグス(アメリカ人)と、アメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は、日本兵が集団で連日強姦を行なっていた場所に踏み込み、ピンタを喰らってしまいました。

金陵大学内でリッグスが雇っていた二人の中国人女性が日本兵に連行され、リッグスからこの訴えを受けたアメリカ大使館員のジョン・アリソン三等書記官は1938年1月26日、リッグスと共に日本の憲兵の同行の上、連行された場所を突きとめました。しかしそこは天野郷三予備中尉ら十数名の兵士が宿泊していた家屋で、天野は連日あちこちから女性をさらっては部下らと暴行していました。アリソンらが踏み込んだときは、まさに天野が別室で女性を暴行している最中でした。天野の部下はアリソンらに強姦現場を目撃されたくないために「back!back」と叫びながら、アリソンとリッグスに平手打ちを加え、同行の憲兵はただ傍観するのみだったそうです。この事は当然アメリカ側からも抗議されたためタダでは済まなくなり、天野ら12名は軍法会議にかけられ、天野は旅順陸軍刑務所に送られました。戦後は召集前の生業だった弁護士業(!)を再開、1964年まで生きていたそうです。(秦郁彦「南京事件」より引用)

 

この天野郷三という男は、「元兵士102人の証言」も登場します。

天野はわしら兵隊に『強盗、強姦、放火、殺人、何でもやれ』と言ったんやで。句容での夜、分隊のみんなはクーニャン捜しにでかけた。わしは『そんなアホらしいことはでけへん』と思って出かけなかった。すると、叉銃してあった銃が、何かの拍子に倒れ、その音を聞きつけた天野が『貴様あ』と叫んで近づいてきた。わしがクーニャン捜しに行かんから天野が向かっ腹立ててる。そんなん言うんやったら突き殺したるぞ、と思っていたら、向こうから兵隊が『おったおった、クーニャンおった!』。叫び声を聞いた途端、天野は上機嫌になり、怒るのを止め、『なに、おった、うん』とたちまち機嫌を直したP-285)

 

天野郷三中尉は、難民区に入ったから軍法会議にかけて、訴追するということになっていました。我々も難民区に近寄りませんでしたわな。憲兵隊が見に来とって。で、天野中尉は、*分隊を連れて難民区に勝手に入って行ったわけです。十二、三人は連れて入っとったわけです。そして難民に良民証を発行してて、めぼしいベッピンの女がおるとそこでチェックして、『あれを連れていけ』って。夜になると酒盛りして抱いとったんです。物資の徴発もしてね」P-304)

(この有名な天野の事件が登場する点からも、「102人の証言」は信用に値する資料であると言えるでしょう)

 

また、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将の日記にも天野の事件について記されています。

「一月二六日 晴れ (省略)

本夕本郷少佐の報告。米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二名を連行強姦の上二時間程して帰れり。依って訴えに依り其強姦されたりと言う家を確かめたるところ天野中隊長及兵十数名の宿舎せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたる米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追い出せり。其知らせに依り本郷参謀現場に至り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れず、隣室には支那女三、四在り強いて天野の部屋に入れば女と同衾しありしものの如く、女も寝台上より出て来れりと、依りて中隊長を尋問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。依て憲兵隊長小山中佐及び第二大隊長を呼ひ明朝の出発を延期せしめ大隊長の取調に引き続き憲兵にて調ふることとせり」

 

「一月二十九日 正午より雪、南京は再び銀世界となる。

小山憲兵隊長来り天野中尉以下の件に就き報告、事件送致に就き軍の意向を聞く。依て中尉以下同宿の者全員を送致すへきを希望し、殿下にも報告せり。(中略)天野中尉出発を差止められ何とか穏便に取計ひをとて来りしも、男らしく処理せよと論して帰す」(後略)

 

「一月三十日、曇り 天野中尉以下十二名軍法会議に送致」

(「南京戦史資料集」P-242〜243より)

 

 

◆第十軍の参謀長は12月20日、配下の師団参謀長・直轄部隊長に対して、

掠奪、婦女暴行、放火等の厳禁に関しては屡次訓示せられたる所なるも、本次南京攻略の実績に徴するに、婦女暴行のみにても百余件に上る忌むべき事態を発生せるを以て、重複を顧みず注意する所あらんとす

(第十軍作戦指導に関する参考資料其の三・・・・藤原彰・岩波ブックレット「南京大虐殺」より)

という通牒を発しています。

 

 

◆幕府山で獲得した約2万?の捕虜を揚子江岸で虐殺した歩兵第百三旅団長の山田栴二陸軍少将も、

日記の中で軍紀の乱れを嘆いています。

予後備兵のだらしなさ

 

1.敬礼せず

2.服装 指輪、首輪、脚絆に異様のものを巻く(今で言えばピアスつけるような感じかな?)

3.武器被服の手入れをせず、赤錆、泥まみれ

4.行軍 勝手に離れ民家に入る、背嚢を支那人に持たす、牛を曳く、車を出す、坐り寝る(叉銃などする者なし)、銃は天秤

5.不軍紀 放火、強姦、鳥獣を勝手に撃つ、掠奪

(「南京戦史資料集U」P-334より)

 

 

◆そして、南京を攻略した日本軍の最高責任者である、中支那方面軍総司令官・松井石根大将の耳にも、日本兵による略奪や強姦の情報が届いていました。

十二月二十六日・・・・南京、杭州附近又奪掠、強姦の声を聞く 幕僚を特派して厳に取締を要求すると共に責任者の処罰なと直ちに悪空気一掃を要するものと認め 厳重各軍に要求せしむ

(松井石根陣中日記・・・・「南京戦史資料集U」P-148より)

 

 

★★これはおまけ!★★

「続・現代史資料E軍事警察」(みすず書房)という資料集には、

「第十軍」(司令官:柳川平助中将)の、

「法務部陣中日誌 昭和12年10月12日―――昭和13年2月23日」が収録されています。

(第十軍とは、膠着状態に陥った上海戦線を打開するために、第百十四師団(宇都宮)、第六師団(熊本)、国崎支隊(第五師団・歩兵第九師団・歩兵第九旅団)、第十八師団(久留米)などで編成され、杭州湾から上陸し中国軍の背後を突き壊走させ、そのままの勢いで独断で南京へと進撃しました。動員下令は1937年10月13日、翌年3月9日廃止)

これはゲップが出るほどの強姦・略奪・殺人のオンパレードです。

 

左記被告事件軍兵站憲兵隊より捜査報告を受く

殺人

被告人 後備山砲兵第一中隊 後備役陸軍砲兵一等兵 辻 □□(名前は編集部の配慮により伏字)

犯罪事実の概要

被告人は嘉興に宿営中昭和十二年十一月二十九日午後5時頃支那酒に泥酔し支那人に対する強き敵愾心に駆られ之を憎悪するの余所携の銃剣を以て通行中の支那人三名を殺害したるものなり

 

掠奪  

被告人 野戦重砲兵第十四連隊第二中隊 陸軍砲兵一等兵 山□□□

犯罪事実の概要

被告人は嘉興に宿営中昭和十二年十一月二十五日頃某民家に於て物珍らしさより支那貨幣数十箇外数点を掠奪し更に湖州に宿泊中同年十二月二日昼、維持復業会使役支那人両名を脅迫して同人等より腕時計一個及現金二元二角を掠奪したり

 

強姦

被告人 第六師団歩兵第四十五連隊第七中隊 予備役陸軍歩兵上等兵 外□ □

犯罪事実の概要

被告人は昭和十二年十一月二十七日昼楓鎮郊外に糧秣徴発に赴きたる際沿道にて支那婦人(当十五年)が逃げ去らんとするを認め悪心を生じ同婦人を捕へ強姦したり(以上、P-46〜47)

 

さらに、1938年2月18日現在の「被告事件既決・未決一覧表」(P-112〜118)には、「強姦」、「殺人」、「掠奪」、「放火」、「強制猥褻」、「傷害致死」、「上官脅迫・暴行」、「敵前逃亡軍用物毀棄」・・・・・などの数々の犯罪が、「既決五十五件百二名、未決七件十六名」ほど記載されています。摘発されただけでもこれだけあったのです。

 

「日中戦争南京大残虐事件資料集A英文資料編」に収録されている安全区委員会からの抗議も、強姦・略奪・殺人のオンパレードで頭痛を催しますが、この資料もそれに匹敵すると言えます。

日本軍の南京への進軍とは、強姦・略奪・及び通り魔的殺人を繰り広げながら辿った道なのです。

 

 

 

 

さらには「南京事件資料集@アメリカ関係資料編」(青木書店)にて、強姦された女性が妊娠したという報告を見出しました。

1938年2月14日、金陵大学M.S.ベイツの報告】

「強姦された女性に感染した性病の問題は、いまや深刻になっている。われわれは直ちに医療サービスを広げて、それらの世話や自由な治療ができるようにしてやることが求められている。強姦された未婚の娘を連れて、堕胎をしてもらいにやって来る母親の問題はさらに痛恨事である。大学病院は現在まで、そのようなサービスは拒否せざるをえないできた。しかしその結果、家族は若い女性の健康を取り返しのつかないものにしてしまう手段にうったえることになる」P-181)

 

 

1938年2月13日、ベイツから妻への手紙】

「・・・・一方、キャンプを出て自宅に戻った大勢の民衆は、厳しい状況のもとで、恐ろしく悲惨な目に遭っている。家に戻ってから強姦され、またキャンプに舞い戻ってくる婦人は200人ではきかず、その他にも残忍な目にあったらしく、帰ってきてから物も言わずに押し黙ったままの者が大勢いる。そこで、このような人たちやわれわれが、揃って日本軍の命令に反駁している。

前から予見できた問題が出始めている。ある婦人がきょう大学に娘を連れてやってきて、婚約中である娘の堕胎を哀願された。彼女は、日本兵に強姦されて妊娠したのである」P-333〜334)

 

 

強姦事件が多発していたとすれば、妊娠してしまう例もあって当然だと連中は主張しますが、その当然のことがやはり起きていたのです。日本軍将兵の数ヶ月に渡る暴虐がもたらした全く当然の結果であります。

 

結局、「混血児(?)が出生した!」という記録にはお目にかかれなかったものの、以上の資料を踏まえれば、南京での日本軍将兵による強姦事件は確かに発生していた(しかもかなり多く)と断言することができます。混血児?の有無を問う意味など全くないのです。

しかし「南京で日本兵による強姦が多発していた!」という常識を断言するのに、随分と手間をかけてしまったもんです (_TдT)

 

・・・・しかし、

以上のような資料の提示を行なわなければ、悲しいことですが馬鹿コヴァの妄言に全く反論できないのです。言ったもん勝ちになってしまうのです。

逆に言えばこのような歴史を歪曲してしまう空論は、相手の無知によって初めて通用するのです。これが歴史歪曲の手法なのです。実にセコイ手ですが厄介なものです。

 

数年前私は2chの某板で、

「満州は満民族が住む地だった。それを独立させてあげたのに何が悪い?」

「南京の便衣兵は国際法違反だからその場で殺していいんだよ!」

などと言われて何も言い返せませんでした。

しかし柳条湖事件当時の中国東北部は漢民族が人口の9割を占めていたのです。南京で「便衣兵」として殺害されたのは、ゲリラではなく敗残兵(らしき者)だったのです。しかし私はその程度の知識すらなかったので言い返せなかったのです。知識がないというのは悲しいもので、このようなチャチなトリックにすら反論できないのです。

つーかこういう妄言を振りまく側も、本当の事実は知らないどころか、知識らしい知識など持ち合わせていません。

だいたい、柳条湖事件当時の中国東北部は漢民族が人口の9割を占めていたことを知らないから、

「満州は満民族が住む地だった。それを独立させてあげたのに何が悪い?」

ということを臆面も無く言えるのです。

南京で「便衣兵」として殺害されたのは、ゲリラではなく敗残兵(らしき者)だったことを知らなかったから、

「南京の便衣兵は国際法違反だからその場で殺していいんだよ!」

ということを臆面も無く言えるのです。                         

同じように、

強姦された女性が中絶を求めてきたことが安全委員会の記録にあることを知らず、

強姦が多発したことが日本軍内部の記録にも残っていることも知らなかったからこそ、

「南京で日本兵による強姦事件が発生していれば、必ず混血児(?)が生まれるはずだ」

「しかし混血児は出生していない」

「だから、南京では、強姦事件は、無かった!」

などという、馬鹿馬鹿しいことを口に出来るのです。

結局は、ロクな知識もない連中(ネット論者だけでなく、東中野やよしりんみたいな本を出してお金を稼いでいる連中も)が聞きかじりの知識からトンデモない妄言を組み立て、それを私のようにロクな知識もない人間に対して主張し、黙らせる・・・・という構図なわけです。

 

さらに言えば、上記のような空論を垂れ流す連中は、そもそも混血児(?)が出生しなかったことの確認など、行なっていないのです。

混血児(?)が存在しているのかいないのか、知らないだけなのです。知らないから、言えたのです。

たしかに混血児(?)が出生したという記録は残っていないようですが、上記の安全区委員による報告を知っていればこのような空論は出せないはずです。

しかも、もし混血児?が出生していても・・・・日本兵に強姦されて妊娠した中国人女性が、中絶せずに出産し育てた例があったにしても、その子にわざわざ「お前は私を強姦した日本兵人の子だよ」と告げるでしょうか?「私は日本兵に強姦されこの子を生んだ。日本政府に補償して欲しい」などと訴えるでしょうか?

そもそも強姦という犯罪自体、告発されにくい性質のものです。

 

前掲の「シャリテ病院産婦人科受診簿」による「強姦のために治療を受けたことが明らかな女性の総数」514人というのは、「はっきりと届け出ているのは514人」ということです。

しかし他にも「性交による出血」という「強姦を推測させる表現」も多く、「強姦された女性514人という数字は、最小限を示しているに過ぎない」ということです。

つまり強姦されたため身体に受けた何らかの影響の為来院した女性も、強姦されたことを医師に告げない場合が多いということです。

(また、前掲のように「強姦された女性の妊娠件数」118件であり、さらに「強姦による発病」(続発性無月経、膣炎、淋病、梅毒、付属器刺激症状など)314件です。

つまり強姦によって外傷を受けたり性病を移されたり妊娠した場合診察を受ける必要が生じ、そのため強姦されたことが明らかになるといえます。

(世間では「強姦されると妊娠することが多い」という説も一部に流布しています。しかしこれは、強姦によって妊娠させられた場合中絶する為家族に相談したり診察を受ける必要が生じ、そのため強姦されたことが明らかになるので「強姦は妊娠しやすい」ように見えるだけ、つまりまるっきりアベコベの話では、ないでしょうか???)

 

強姦された女性が告発するどころか被害を隠してしまうことも多いでしょう。(それを逆手にとって「正確性に欠ける」として、被害者側からの日本軍による性暴力に関する数々の情報を一顧だにしないとは、なんたる厚顔無恥でしょうか?)

自分が強姦されたことを公表するどころか、生まれた子の尊厳まで傷つける行為を敢えて為すでしょうか?「日本人と中国人の混血児(?)の報告は無」くとも当然でしょう。

また、もしも「私の母は日本兵に強姦され、私を生んだ」と証言する中国人が現れても、連中は「では、DNA鑑定の結果を示せ」と迫るでしょう。つまり、その人物の父親に当たる元日本兵のDNA情報の提示を求めてくるわけです。そんなこと出来るわけがありません!もし当該の人物を探し当てることが出来て(それ自体完全に不可能ですが)、しかも存命中だとしても、そんな検査は絶対に拒否するでしょう。結局この空論は、ある意味完全無欠なのです。日本人の一部にこのような無知と非常識をミックスして生まれた空論を唱える者がいること自体非常に嘆かわしいことです。

 

この妄言を最初に唱えたのはもしかしたらよしりんでしょうか?違うかな?それはともかく、最初にこの空論に接したときには正直「なんて馬鹿なことを言うのかな・・・・?」と思いましたよ。どのように「馬鹿なこと」であるかはうまく言葉に出来ませんがね(これをうまく説明出来れば、ただの「厨房」の域から一歩進めるのですが)。つーかポッカリ開いた口が塞がらなくなって何も言えなくなるとはまさにこういう状態です。しかし言っている方はマジなのかなあ?もう歴史検証とか歴史認識とかではなく宗教の域に達していますね。こういう妄言を唱える人間は世間一般との間に、決して超えられない広く深い溝を自ら掘ってしまったようです。

 

(日本茶歴史ボード18299,19085,18616より再編集。2004-8-28)

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