![]() 京都の繁華街・祇園の真ん中に、崇徳天皇御廟 があります。 場所:東山通安井一筋上がる、如月小路を西へ二筋、突き当たる万寿小路、祇園花見小路甲部歌舞錬場 (GION corner)の裏(東側)の楠の巨木の元に御廟はあります。 お祭日:毎月21日には白峯神宮の神職が奉仕し、祇園の女将さん方も参列されて御廟祭が斎行されます。 崇徳天皇廟 保元の乱(1156)に敗れた崇徳天皇(第75代)は、讃岐国に御配流の悲運に遭われ、血書をもって京都への御還 幸を願われたのですが、意の如くならず、憤怒の御姿のまま、長寛2年(1164)に46歳にてその地で崩御あそ ばされ、そのまま白峯山陵に奉葬されました。上皇の寵愛厚かった阿波内侍は、御遺髪を請い受けてこの場所 に一塚を築き亡き上皇の霊をお慰めしたと伝承されています。 このころ京都では、上皇の怨念による祟りのため、多くの異変が相次いで発生したので、御影を祀る御影堂 や粟田宮(建久3年(1241))を建てて慰霊に努めましたが、長い年月の間には幾度も水害、焼失にあいました。 その度に再建され室町時代まで存続しますが、応仁元年(1467)に焼亡以後、荒廃してしまいました。 時代は下って、明応6年(1497)、現在の東山安井の光明院の住持・幸盛上人は「崇徳天皇御廟」を光明院 内に再興しました。これが現在の「崇徳天皇御廟」の前身で、その後「崇徳天皇御廟」は、六波羅蜜寺の普門 院が管理するところとなり、六波羅蜜寺の古記録によりますと、崇徳天皇を奉る「崇徳天皇社」、御影をまつ る「御影堂」、「崇徳院御廟所」の石碑・・・等々があったとされています。 当時の遺物としては、白峯神宮に崇徳天皇御影(重文)が残されているのが唯一です。 遺跡としては現在ではそのほとんどが廃絶し、此処のみが哀史を偲ぶよすがとなっています。 |