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 補論 12  正反合から正々反合へ

目次

  はじめに 正反合の図式

  1 対話と正反合

  2 正反合と「論理的なものの三側面」

  3 「論理的なものの三側面」の再構成

  4 「正々反合」による思考の深化

  5 「正々反合」の図式

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はじめに 正反合の図式

 弁証法の図式として「正反合」がある。正反合を「大辞林」は次のように説明している。 

〔専門〕 哲 ヘーゲルによって定式化された弁証法論理の三段階。ある判断(定立)と、それと矛盾する判断(反定立)と、正反二つの判断を統合したより高い判断(総合)のこと。

 島崎隆は〈哲学・思想の分野において、弁証法ほどオリジナルとその通説的理解がかけ離れたものはない。ヘーゲルは弁証法を「正・反・合」の単純な図式で説明などしていない〉と述べている(『ポスト・マルクス主義の思想と方法』こうち書房 1997)。たしかに、正反合はヘーゲル本人の定式ではないし、また、ヘーゲル弁証法は正反合という図式で表現できるわけでもない。

 しかし、弁証法理論の発展からいえば、正反合の図式を島崎隆のように否定的に捉えるのではなく、むしろ、肯定的に、また積極的に捉えたほうがいいのではないかと考える。わたしは、正反合をヘーゲル弁証法の要約ではなく、むしろ、ヘーゲル的でない弁証法への第一歩と考えたほうがよいと思っているのである。

   正反合の過渡性

 最近、正反合の図式を考えなおす機会があった。田坂広志は『使える弁証法』(東洋新報社 2005年)の中で、対話のなかに正反合を見ていたのである。対話と正反合は、わたしの理解では対極にある考え方だったので、意外な見方に思えた。しかし、よく考えてみると、田坂広志の見方は正反合の過渡性を典型的に表しているのではないかと思えてきた。

 正反合を使って、ヘーゲル的でない弁証法を表現してみようと思った。

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1 対話と正反合

 田坂広志は『使える弁証法』のなかで、「弁証法」を「対立した意見の持ち主が対話を行うことによって、互いに、より深い思考に向かって行くための方法」と考え、その具体的方法は「正」「反」「合」による思考の深化であると述べている。

 そもそも、「弁証法」とは、その名前のとおり、ギリシアの時代に、「対話の方法」として生まれてきたものです。この「弁証法」を用いたのは、プラトンの著作『ソクラテスの弁明』などで知られる、哲学者、ソクラテスです。
 
 ソクラテスは、真理の探究の方法として「対話」(ディアレクティク)を重視しました。「対話」を通じて、互いの思考を深め、真理に到達する方法として「弁証法」を用いたのです。
 
 しかし、この「弁証法」とは、単なる「討論」(ディベート)や「議論」(ディスカッション)とはまったく異なった方法です。
 
 「討論」とは、文字通り、異なった意見の持ち主が議論を戦わせ、互いにの自己の主張が正しいことを論証する営みです。
 
 また、「議論」とは、異なった意見の持ち主が集まり、互いの意見を語りあうことによって、多様な意見を学びあう営みです。
 
 これに対して、「弁証法」とは、対立した意見の持ち主が対話を行うことによって、互いに、より深い思考に向かって行くための方法であり、「議論を戦わせる方法」ではなく、「思考を深める方法」と呼ぶべきものです。
 

 まず、田坂は弁証法を「討論」や「議論」と区別して、「議論を戦わせる方法」ではなく、「思考を深める方法」と指摘する。

この指摘は、うなずける。わたしは、かつて、長谷川宏の弁証法の理解に対して、疑問を述べたことがある。

   対話の流儀の違い? ひまわりの弁証法?    

 長谷川は対話を「思考を深める方法」というより、「議論を戦わせる方法」として考えているのではないかと考えられる。弁証法は、田坂が指摘するように、「議論を戦わせる方法」ではなく、「思考を深める方法」だと思う。

 弁証法は思考を深める方法である。ここまではよい。しかし、田坂は次に、その具体的方法は、「正」「反」「合」による思考の深化であると述べる。

 では、その具体的な方法は、何か。
 
 「正」「反」「合」による思考の深化です。
 
 すなわち、弁証法とは、「正」(テーゼ)「反」(アンチテーゼ)「合」(ジンテーゼ)というプロセスで思考を深めていく方法です。
 
 わかりやすくいえば、一人が語った意見(正)に対して、もう一人が、その反対の意見(反)を語り、それぞれの意見にもとづく対話を通じて、二人がともに、二つの意見を包含し、統合し、止揚した、さらに深い理解(合)に到達するという方法です。

 そして、次のような例を挙げている。

 例えば、子供の教育の問題について、ある人が、「教育においては優しさ必要だ」と述べたとします。それに対して、もう一人が、「いや、教育においては、厳しさが必要だ」と述べます。この段階では、互いに意見は、まったく対立し、矛盾している状態ですが、二人が真摯に対話をするならば、さらに理解が深まっていきます。
 
 例えば、「子供を叱らないということが、本当の優しさなのだろうか」という意見や、「ときに厳しく叱ることが、本当の優しさではないのだろうか」といった意見が出されます。また、一方で、「厳しさの背後に、叱る人間の怒りがあってはならないのではないか」という意見や「厳しさの奥に、その子供の可能性を深く信じる心がなければならない」といった意見が出されます。
 
 そして、こうした意見が交わされる中で、二人の思考は深まっていき、子供の教育について、優しさや厳しさということの本当の意味がわかってきます。そして、最終的には、単なる優しさでもなく、単なる厳しさでもない、それらを包含し、統合し、止揚した、さらに深いレベルでの教育のあり方に目が開かれていきます。
 
 これが、「対話の方法」としての「弁証法」です。

 「正」と「反」が対話を通じて「合」に到達するという説明をしている。

 挙げられている例でいえば、「正」は「教育においては優しさ必要だ」、「反」は「いや、教育においては、厳しさが必要だ」と対応する。また、「合」は「単なる優しさでもなく、単なる厳しさでもない、それらを包含し、統合し、止揚した、さらに深いレベルでの教育のあり方」と対応するだろう。しかし、次の過程は対応することばをもっているだろうか。

 「子供を叱らないということが、本当の優しさなのだろうか」という意見や、「ときに厳しく叱ることが、本当の優しさではないのだろうか」といった意見が出されます。また、一方で、「厳しさの背後に、叱る人間の怒りがあってはならないのではないか」という意見や「厳しさの奥に、その子供の可能性を深く信じる心がなければならない」といった意見が出されます。

 この「対話」の過程は、「反」と「合」の間に隠れているか、「合」に吸収されてしまい、独自の段階としては機能していないと思われる。わたしが想定する弁証法では、この段階が、もっとも重要な段階である。そしてわたしは、ここに照明をあてている。しかし、正反合の図式では、ここがあいまいである。 

  「それぞれの意見にもとづく対話を通じて」の過程、また「こうした意見が交わされる中で、二人の思考は深まっていき」の過程は、正反合の図式では捉えられていないのではないだろうか。対話と正反合はそのまま結びつくとは思えないのである。

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2 正反合と「論理的なものの三側面」

 「正」「反」「合」という図式は、ヘーゲルの「論理的なものの三側面」(『小論理学』)にもとづいている。ヘーゲルは、「論理的なもの」に次の三つの側面を見ている。  

 「論理的なもの」の三側面の規定が、そのまま三段階の説明になっている。これがヘーゲルの「論理的なもの」の構造の特徴である。「論理的なものの三側面」の進行は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)と要約できるだろう。これが、ヘーゲル固有の弁証法である。とくに、(2)は、教義の弁証法といわれていて、ヘーゲルが主張した弁証法の核心であり、ヘーゲルの「矛盾」と対応している。

 正反合の図式は、(1)を「正」(テーゼ)、(2)を「反」(アンチテーゼ)、(3)を「合」(ジンテーゼ)とするものである。( 正反合の解釈は、いろいろある。くわしくは「弁証法試論」第8章 新しい弁証法の理論 を参照してください。)

 「一人が語った意見(正)に対して、もう一人が、その反対の意見(反)を語り」という理解は、ヘーゲル弁証法の通説的理解であり、ヘーゲルの弁証法とは何の関係もないのである。しかし、わたしは、このような「正」と「反」の捉え方のほうが、ヘーゲルの弁証法より有効ではないかと考えているのである。

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3 「論理的なものの三側面」の再構成

 「論理的なものの三側面」の規定を解体して、「矛盾」を排除して、「対話」を導入しようというのがわたしの試みである。

 廣松渉は『弁証法の論理』のなかで、ヘーゲルの弁証法は「対話なき弁証法」であるといっていた。それは「論理的なもの」の三側面の説明が、そのまま三段階の説明になっていることと関係しているのではないかと思った。いいかえれば、ヘーゲルの「論理的なもの」は「通時的な構造」だけであり、ヘーゲルの弁証法が「対話なき弁証法」といわれるのは、「共時的な構造」が欠如していることに原因があるのではないかと考えた。

 「弁証法」と「対話」を対応させるために、わたしは「論理的なもの」の二つの側面として「自己表出」と「指示表出」を想定した。また、ヘーゲルの規定では直列につながれている否定的理性と肯定的理性の並列構造を想定した。

 自己表出と指示表出という「共時的な構造」に基づき、選択・混成・統一という三段階(通時的構造)を想定した。そしてこれをヘーゲルの「論理的なものの三側面」に対置したのである。

 ヘーゲルの「反対の諸規定への移行」を、二つの「論理的なもの」の自己表出と指示表出の間だけに限定した。そして、「反対の諸規定への移行」が、二つの「論理的なもの」の「相互的な移行」であるモデルを作ったのである。

 二つの「論理的なもの」の自己表出と指示表出の間だけに「反対の諸規定への移行」を想定することによって、二つの「論理的なもの」の関係は、論理的な対立関係から解放されることになった。二つの「論理的なもの」は、反対の関係や矛盾の関係にあってもいいし、なくてもいい。それは独立の二元であって、論理的な関係以前の関係にある。「正」と「反」ではなく、いわば「正」と「正」である。この二つをわたしは、テーゼ thesis とパラテーゼ parathesis とよぶことにした。

  アンチとヘテロとパラ

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4 「正々反合」による思考の深化

 選択・混成・統一の三段階は正々・反・合と特徴づけていいのではないかと思う。この図式は、正反合と密接に関係していて、しかも選択・混成・統一より簡潔である。漢字の画数も減っている。

 わたしは、弁証法の共時的な構造を次のように表現している。( 記号の意味などくわしい説明は、たとえば、「スフィンクスの謎と弁証法の構造」 を見てください。)

cbi +adi
+   +
bic +dia

 田坂広志の「正」と「反」は、図の中央の bi + a と c + di とに対応させることができる。通説的な理解での「正」と「反」は、わたしにとっては、二つの「論理的なもの」(「正」と「正」)なのである。

 「反」の意味が変容する。

 図の中央の二つの「論理的なもの」 bi + a と c + di は二つの「正」である。そして、「反」は、図の上部でいえば、中央の bi + a の両端に出現した、矢印の先にある c (左側)と di(右側)をあわせたもの、 c + di である。図の下部でいえば、中央の c + di の両端に出現した、矢印の先にある bi (左側)と a (右側)をあわせたもの 、 bi + a である。「それぞれの意見にもとづく対話を通じて」、それぞれに「反」が出てくるのである。

 テーゼ(「正」)に対するアンチテーゼ(「反」)が複合している。テーゼ(「正」)とパラテーゼ(「正」)の双方に対してのアンチテーゼ(「反」)である。

 この「反」が、

「子供を叱らないということが、本当の優しさなのだろうか」という意見や、「ときに厳しく叱ることが、本当の優しさではないのだろうか」といった意見が出されます。また、一方で、「厳しさの背後に、叱る人間の怒りがあってはならないのではないか」という意見や「厳しさの奥に、その子供の可能性を深く信じる心がなければならない」といった意見が出されます。」

と対応しているのである。

 このように、正反合の図式では、「合」に埋没し隠れている「対話」の過程が、複合論(正々反合)では、独自の段階として抽出されているのである。

 「反」から「合」への過程は次のようである。

 共時的な構造の4隅に出現した a と bi、c と di は、右側と左側で、それぞれ上下に結合して、2つの混成モメント c + bi (左側)と a + di (右側)が形成される。この混成モメントには、中央にある2つの「論理的なもの」の a と bi、c と di が「保存」されている。

 中央にある2つの「正」と「正」は、ここで役割を終え、いわばここで「止」まる。そして両側にある2つの混成モメントが、次の段階へと「揚」がるのである。「対話」を通して「止揚」が実現するのである。

 これが「二人がともに、二つの意見を包含し、統合し、止揚した、さらに深い理解(合)」に対応する。

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5 「正々反合」の図式

 正反合の図式は「矛盾」に立脚している。これに対して、正々反合の図式は「対話」に立脚している。

 これまでは、「正・反」・合ではなく、「複」・合だった。こんど「複合」の内的な過程として「正々反合」(せいせいはんごう)という図式を提出したことになる。「正々反合」は、「正反合」の複合といえるかもしれない。

 整理しておこう。

 弁証法の図式として「正々反合」(せいせいはんごう)がある。「正々反合」を、「小辞林」は次のように説明している。

ある判断(定立)とそれに並立する判断(定立)の選択からはじまる弁証法論理の三段階。二つの判断を混成した判断(反定立)と反定立のなかの二つの判断を統一したより高い判断(総合)のこと。
 
(了)

参考文献

 島崎隆『ポスト・マルクス主義の思想と方法』こうち書房 1997年
 田坂広志『使える弁証法』東洋経済新報社 2005年
 廣松渉『弁証法の論理』青土社 1980年

 
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