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補論2 「論理的なものの三側面」の形成について

 「論理的なものの三側面」は、ヘーゲルが、スピノザの規定論とカントの二律背反を選択し、混成し、統一することによって、形成した「論理的なもの」である。

 目次      

 はじめに

 1 「論理的なものの三側面」の特徴  対立する一項の内在的否定による進展

 2 「複合論」の概略と特徴  対立する二項の対話による進展

     1 自己表出と指示表出

     2 「論理的なもの」の複素数モデル

     3 弁証法の複素数モデル

     4 ヘーゲル弁証法と複合論の対照

 3 「論理的なものの三側面」の形成  ヘーゲルの発想と複合論 

     1 選択  カントの二律背反とスピノザの規定論

     2 混成(1)  規定的否定

     3 混成(2)  二律背反の拡張

     4 統一  アンチノミーの真実で積極的意味

     5 ヘーゲル的でない弁証法についての問い

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はじめに

 「論理的なものの三側面」は、ヘーゲル弁証法が確立したメルクマールと考えられているにもかかわらず、その規定がどのように形成されていったのかについては、あまり研究されていないように思われます。なにか参考になる文献はないかと探すうちに、二人の研究者が目に留まりました。
 一人は島崎隆、もう一人は栗原隆です。

 島崎隆は、「〈論理的なものの三側面〉の形成」(『ヘーゲル弁証法と近代認識』所収)のなかで、「論理的なものの三側面」の定式化のとき、ヘーゲルが遭遇したのは、「形式論理学における矛盾律に違反するアンチノミーを内部化する論理はいかにして可能なのか」という問題だったと指摘していました。

 また、栗原隆は「ヘーゲルとスピノザ」(『ヘーゲル』講談社選書メチエ所収)のなかで、弁証法の原型として、「規定的否定」の考え方を主張していました。

 単純にいえば、島崎隆はカントに着目し、栗原隆はスピノザに着目していました。

 しかし、島崎隆は、外部的なアプローチに終始しているように思えました。つまり、ヘーゲルの思弁的論理は『差異』(1801年)では未成立で、ギムナジウム論理学(1808年以後)に確立されたと指摘したり、教育的配慮が定式の三段階を浮き立たせたと指摘するだけで、アンチノミーをどのように内部化していったのかを具体的に展開しているわけではありません。

 また、栗原隆は「規定的否定」の考え方を『小論理学』82節を引用して確認していますが、三側面の定式と関連させて展開しているわけではありません。引用されているのは次のところでした。「弁証法の成果は実のところ、〈空虚な抽象的な無〉ではなく、一定の規定の否定態であって、この否定された規定というのは、成果が無媒介的な無ではなく、成果なのだというその理由によって、成果のうちに含まれている」。

 「論理的なものの三側面」がどのように形成されたのかという問題について、わたしなりに関心がありました。わたしは『弁証法試論』で次のように述べています。

 ヘーゲルが最も作りたかった矛盾は、後者(自分自身のうちにその否定が内在していることを矛盾と考えるもの――注)の矛盾だったと考えます。これによって、スピノザの規定論とカントの二律背反を取り入れようとしたのだと思います。 あるいは、スピノザの規定論とカントの二律背反を継承するという問題意識が、弁証法的矛盾を構想させたといえるかもしれません。  ヘーゲルの矛盾論は論理的な問題というより、哲学の継承に関連する問題だったのではないかと考えます。(第4章)

 この試論はこの問題意識の延長にあるものです。「論理的なものの三側面」の論理は「矛盾と止揚の論理」といってよいからです。

 結論をあらかじめいっておけば、ヘーゲルは、カントの二律背反を内部化する論理をスピノザの規定論によって模索したということです。ヘーゲルは、カントの二律背反とスピノザの規定論の解釈替えをおこなうことによって、「論理的なものの三側面」の定式化したということです。

 わたしは「論理的なものの三側面」の定式化の過程を複合論で把握できるのではないかと考えました。すなわち、「論理的なものの三側面」は、ヘーゲルが、スピノザの規定論とカントの二律背反を選択し、混成し、統一することによって、形成した「論理的なもの」ではないかと考えました。

 「論理的なものの三側面」を複合論によって構成することによって、はじめて、ヘーゲル弁証法に複合論(弁証法の新しい理論)を拮抗させることができるといえるのではないかと考えます。

「論理的なものの三側面」(ヘーゲル弁証法)と複合論(弁証法の新しい理論)の両方に着目していただきたいと思います。

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1「論理的なものの三側面」の特徴 対立する一項の内在的否定による進展

 「論理的なものの三側面」は、『小論理学』の79節から82節にかけて展開されているもので、ヘーゲルは、「論理的なもの」に次の三つの側面を見ています。

(1)抽象的側面あるいは悟性的側面
   ――悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている。
 
(2)弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
  ――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。
 
(3)思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
  ―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。
 
(注)これら三つの側面は、論理学の三つの部分をなすのではない。それらはあらゆる論理的存在の、すなわち、あらゆる概念、あるいは真理のモメントである。 

 ヘーゲルの「論理的なもの」とは、〈内容を欠いた形式的に論理的なもの〉ではなく、〈論理的であると同時に実在的である「概念」〉のことだと考えられています。 (城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫参照)

 ヘーゲルの論理的なものの構造の特徴は、三側面論がそのまま三段階論になっていることです。逆にいうと、進展の形式がそのまま論理的なものの構造となっていることです。

 この進展の形式は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)と表現できるもので、ヘーゲルが構想した「矛盾と止揚の論理」であると考えます。

 城塚登は『ヘーゲル』の中で、認識の弁証法と存在の弁証法に関連づけ、進展の形式について、次のように述べています。

 かつて故・岩崎武雄教授が試みられたように、ヘーゲルによる「概念」の実体化を批判し、存在の弁証法から切り離して認識の弁証法を理解することは、弁証法の一解釈としては成り立つとしても、ヘーゲル弁証法の解釈としては、成り立ちえないであろう。認識の弁証法が存在の弁証法から切り離されるとき、悟性によって固定された規定が、なぜ必然的に自分自身を廃棄してそれと矛盾する対立規定に移行しなければならないのか、さらにこの対立がなぜ止揚(アウフヘーベン)されねばならないのか、を明確にすることができない。つまり「否定性」がどこから生じるのかを明らかにすることができない。

 認識と存在の弁証法が一体となっているヘーゲル弁証法では「論理的なものの三側面」の進行は必然的な形式であると、城塚登は強調しているように思えます。

 「論理的なものの三側面」の規定に存在の弁証法の契機が含まれているのは、スピノザの「実体」が継承されていることに基因していると考えます。

 わたしは「論理的なもの」の構造として「自己表出と指示表出」を想定して、矛盾ではなく、対話を核心に据えた弁証法の理論を提出しました。それは存在の弁証法から切り離された認識の弁証法です。

 存在の弁証法から認識の弁証法を切り離したとき、「論理的なものの三側面」の規定自体が成立しないことは、いうまでもありません。「悟性によって固定された規定」が、「必然的に自分自身を廃棄してそれと矛盾する対立規定に移行」するというのは、ヘーゲル固有の仮定にすぎないと考えます。

 「論理的なものの三側面」がどのように形成されていったのかをたどっていきますが、その準備として、まず複合論の概略と特徴を確認しておくことにします。

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2 複合論の概略と特徴 対立する二項の対話による進展

 複合論の概略を確認し、その特徴をみておきます。(くわしくは、 『弁証法試論』本論を見てください。とくに、 2章 認識の構造とバイソシエーション 6章 複合論 弁証法2004が参考になると思います。)

   1 自己表出と指示表出

   2 「論理的なもの」の複素数モデル

   3 弁証法の複素数モデル

   4 ヘーゲル弁証法と複合論の対照

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1 自己表出と指示表出

 わたしは「論理的なもの」の構造として「自己表出と指示表出」を想定しています。これはヘーゲルの「論理的なものの三側面」に対置した構造です。

 わたしの想定する「論理的なもの」とはヘーゲルとは違い〈内容を欠いた形式的に論理的なもの〉です。

 自己表出と指示表出は、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で提出している言語の構造です。わたしはこの考え方を認識の領域で応用できるのではないかと考えました。

 自己表出と指示表出は、認識が媒介され、新しい認識が形成されていく過程を把握できるように導入したものです。いずれも判断と推論の可能性にもとづいています。自己表出は対象に対する立場の表出です。指示表出は対象に対する指示の表出です。自己表出は認識の普遍的な側面に対応しています。他方、指示表出は認識の個別的な側面に対応しています。

 わたしは自己表出と指示表出という構造を、主体的な認識過程としても、認識(「論理的なもの」)の構造としても想定しています。

 自己表出と指示表出は次のように使われます。例えば、同じ気体を見ていても、プリーストリは「脱フロギストン気体」と考え、ラボアジェは、「酸素」と考えます。このときプリーストリの自己表出と指示表出は「脱フロギストン気体」であり、ラボアジェの自己表出と指示表出は「酸素」であると捉えるのです。

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2 「論理的なもの」の複素数モデル

 「論理的なもの」は、複素数をモデルにして、表現できます。例えば、A = a + bi という式で、ある特定の「論理的なもの」を表現できます。実数部分が自己表出です。虚数部分が指示表出です。虚数単位 i と結合している方が指示表出です。

 「論理的なもの」を複素数で表示すると、認識形成の関連が見やすくなるという利点があります。複素数を利用すると、自己表出と指示表出の媒介機能が見やすくなるのです。

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3 弁証法の複素数モデル

 弁証法は、対話ををモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一です。この過程は、二つの「論理的なもの」の選択から開始されます。
 これが複合論の基礎にある考え方です。

 さて、認識における対立物の統一は、対話をモデルとした思考方法によって進展していきます。複合論は複素数のかけ算をモデルとして表現できます。これは「論理的なもの」の構造を複素数で表現したことを受けたものです。

 対話をモデルとした思考方法は、弁証法の共時的構造と考えることができます。また、対立物の統一の過程は選択、混成、統一という三段階を経ていきますが、これを弁証法の通時的な構造と考えることができます。

 認識における対立物の統一の過程は、次のように表現できます。

◇ 弁証法の通時的な構造

 この三段階は、ヘーゲルの「論理的なものの三側面」に対置する通時的な構造です。記号で表示すれば、次のようになります。

1(選択)A =a+bi
A' =c+di
2(混成)A×A' =(a+bi)×(c+di)
≒(a+di)×(c+bi)
3(統一)=(ac−bd)+(ab+cd)i
=x+yi
=B

◇ 弁証法の共時的な構造

 また、弁証法の共時的な構造は、次のように表現できます。

cbi +adi
+   +
bic +dia

 中央にある bi + a と c + di は、選択された二つの「論理的なもの」です。矢印は推論を示しています。推論によって出現する第三の要素は水平方向の矢印の先に表示しています。これらは結合して、混成モメントを形成します。右側の a + di と左側の c + bi です。これらは異なる二つの「論理的なもの」の、一方の自己表出と他方の指示表出で構成されています。

 共時的な構造の中央にある bi + a と c + di は、通時的な構造の2(混成)の( a + bi )×( c + di )に対応しています。また、共時的な構造の両側の a + di と c + bi は、通時的な構造の2(混成)の( a + di )×( c + bi )に対応しています。

 以上が複合論の概略です。

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4 ヘーゲル弁証法と複合論の対照

 ヘーゲル弁証法と複合論の特徴を対照しておきましょう。

    ヘーゲル弁証法複合論
進展の動因  対立する一項の内在的否定  対立する二項の対話 
論理の特徴矛盾と止揚対話と止揚
通時的構造1 悟性的(抽象的)側面 1 選択
2 否定的理性(弁証法的)側面 2 混成
3 肯定的理性(思弁的)側面 3 統一
共時的構造 - 自己表出と指示表出

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3 「論理的なものの三側面」の形成 ヘーゲルの発想と複合論

 「論理的なものの三側面」は、ヘーゲルが、スピノザの規定論とカントの二律背反を選択し、混成し、統一することによって、形成した「論理的なもの」であると考えます。

   1 選択  カントの二律背反とスピノザの規定論

   2 混成(1)  規定的否定

   3 混成(2)  二律背反の拡張

   4 統一  アンチノミーの真実で積極的意味

   5 ヘーゲル的でない弁証法についての問い

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1 選択 カントの二律背反とスピノザの規定論

 ヘーゲルは、カントの二律背反とスピノザの規定論を選択しました。
 スピノザの規定論は、存在に関連するもので、その自己表出と指示表出は、「規定と否定」に関するものだったと考えられます。一方、カントの二律背反は、認識に関連するもので、その自己表出と指示表出は、「対立と矛盾」に関するものだったと考えられます。

 スピノザの規定論とカントの二律背反の自己表出と指示表出は、関連しあい、ヘーゲルの思考の方向を決定していったと考えます。

 ヘーゲルの頭の中に出現したのは、次のような弁証法の図式(共時的な構造)です。

cbi +adi
+   +
bic +dia

 ここで、上の中央の bi + a をカントの二律背反と考えます。また、下の中央のc + di をスピノザの規定論と考えます。矢印はヘーゲルの推論を表しています。水平方向の矢印の先には、モメントが出現します。

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2 混成(1) 規定的否定

 右側に出現している混成モメント a + di は、カントの二律背反の自己表出 とスピノザの規定論の指示表出 から構成されています。これは、カントの「対立と矛盾」(自己表出)とスピノザの「規定と否定」(指示表出)とを結合する方向を示しています。

 この混成モメントは「規定的否定」の構想となり、内在的否定による進展という方向を指示したと思われます。

 栗原隆は、「ヘーゲルとスピノザ」(『ヘーゲル』講談社選書メチエ所収)で「規定的否定」について、次のように述べています。

 ヘーゲルの採ったストラテジーは、知的直観に頼らずに(スピノザは有限なものを包括する実体の認識を「知的直観」に委ねたといいます。――引用者注)、有限な制約を担った認識が自らを否定することを通して、制約のない肯定的な認識、すなわち無限性に到るという意識の展開過程の構築であった。しかし、自己否定の契機をもって、それまでの内容がすべて否定されてしまっては、超出にはならない。そこで「規定的否定」なる構想が導入された。「結果が規定された否定態としてとらえられることによって、直ちに新たな形式が発生していて、否定態において移行がなされている。この移行によって、諸形態の完全な系列を通して進む進展が自ずと生じてくるのである。」(『大論理学』)

 スピノザの規定論を基礎にして、新しい論理を模索していく過程を、順序よく確認していきます。

 弁証法の図式を見て下さい。下の中央の c + di が単独で存在しているとき、それがスピノザ固有の規定論です。スピノザは、有限なものとして規定されているものは否定されていると考えました。例えば、AはBであると規定されると、AはCでない、Dでないなど、否定態として捉えられます。AはBで「ある」と規定された場合、AはB以外のものでは「ない」ということを意味します。これが、スピノザ固有の「規定は否定である」の意味です。

 しかし、「規定は否定である」は、カントの二律背反の自己表出と結合することによって、スピノザの文脈から切り離され、指示表出が変容していくのです。ヘーゲルはスピノザの規定論を普遍化します。ヘーゲルは「すべての規定は否定である」(『哲学史講義』)、「規定性なるものは否定である」(『大論理学』)と表現しました。

 否定は、自己関係的に解釈されるようになります。例えば、AはBであると規定されると、AはBでないものとして捉えられるようになります。そしてこの否定態には、CやDへの移行が、想定されはじめるのです。「規定は否定である」は、「新たな規定を生み出すための自己否定」の意味を持ち始めます。規定的否定によって、認識の進展が生じるということです。これが規定的否定の構想の核心だったと思います。

 ヘーゲルは「否定」に対して、「肯定」以上の積極的で建設的な役割を担わせたといえるでしょう。

 このような規定論の指示表出の変容は、カントの二律背反で対立している二項を関連づけるために、要請されたものと考えられます。

 「規定は否定である」の意味は、スピノザでは、他を否定する否定態であったものが、ヘーゲルでは、自己を否定する否定態となり、しかも他への移行が可能になっているのです。この「自己」と「他」に、二律背反の二項が対応します。

 しかし、「否定」は、対立の一項から開始されるために、共時的な否定としてではなく、通時的な否定という限定された形式で把握されたと考えられます。

 スピノザの規定論の指示表出は、、カントの二律背反の自己表出と結合することによって、二律背反の対立の二項に機能する場所を見つけ、「規定的否定」となりました。このとき、スピノザの「実体」と「否定性」は、カントの二律背反の自己表出と結合することによって、認識化していったと考えられます。

 これが右側の混成モメントの内容です。

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3 混成(2) 二律背反の拡張

 次に図の左側を見てみましょう。
 左側の混成モメント(c + bi)は、スピノザの規定論の自己表出とカントの二律背反の指示表出 から構成されています。これは、スピノザの「規定と否定」(自己表出)とカントの「対立と矛盾」(指示表出)とを結合する方向を示しています。

 これが二律背反の拡張となり、対立(矛盾)の普遍化という方向を指示したと考えます。

 ヘーゲルは、次のように述べています。

 古い形而上学の立場では、認識が矛盾におちいるのは偶然の過ちにすぎず、それは推理や論証における主観的誤謬にもとづくと考えられていた。カントによれば、これに反して、無限なものを認識しようとすれば矛盾(アンチノミー)におちいるということは、思惟そのものの本性なのである。
 アンチノミーについて注意すべきもっとも重要なことは、アンチノミーは、宇宙論からとられた四つの特殊な対象のうちに見出されるだけでなく、むしろあらゆる種類のあらゆる対象のうちに、あらゆる表象、概念、および理念のうちに見出されるということである。

 bi + a が、単独に存在するとき、それがカント固有の二律背反です。4つの限定された二律背反と理性の適用限界についてのものです。

 カントの二律背反の指示表出は、スピノザの規定論の自己表出と結合することによって拡張されたと考えられます。これは、スピノザの否定性を普遍化するため要請されたものと考えられます。

 認識において、偶然の過ちとして考えられていた「矛盾」は、無限なものの認識においては、必然と考えられます。さらに、対立(矛盾)は、認識だけではなく、存在にも、普遍化されていきます。対立(矛盾)が、存在化されるのです。二律背反は、あらゆる現実的なものに存在するものとして拡張され、それと同時に、理性は限界を乗り越えて絶対化していったと考えられます。

 左の混成モメントの内容は、二律背反の二項(指示表出)が、スピノザの否定性(自己表出)と結合することによって、その指示表出を拡張して、あらゆる現実的なものに存在するものとして対立(矛盾)が普遍化していくことを表しています。

 ちなみに、このとき、対立(矛盾)する二項として、種類の異なる関係が混在するようになったと考えられます。すなわち、矛盾律でいう「矛盾」、二律背反の「反対」、上下・左右などの「相関」関係が、対立(矛盾)として想定されるようになったと考えられます。

 カントの二律背反の対立する二項を、移行によって関連づける基礎が、規定的否定です。他方、スピノザの規定論の否定を普遍化する基礎が、二律背反の拡張です。それぞれが支えあい、「対立(矛盾)」と「否定性」は、普遍化していったと考えられます。

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4 統一  アンチノミーの真実で積極的意味

 「規定的否定」と「二律背反の拡張」は、結合します。積極的に把握しなおされたアンチノミーの地平で、積極的に把握しなおされた否定性が機能し始めます。普遍化した対立の中を、否定が自己関係的に進展していく形式が出現しました。「対立する一項の内在的否定による進展」の形式です。認識と存在の弁証法は一体となっています。

 ヘーゲルが「アンチノミーの真実で積極的意味」として強調したものは、スピノザの規定論を媒介することによって、把握されたものと考えられるでしょう。

 これが「論理的なものの三側面」の定式の基礎にある考えです。定式を見ていきましょう。

(1)〈否定〉(悟性――否定的理性)

 ヘーゲルは次のように述べています。

 理性のアンチノミーにおいて問題となるのは、いろいろな理由にもとづいてああ考えたりこう考えたりすることでもなければ、単に主観的な行為でもなく、どんな悟性規定でも、それをその真の姿において考察しさえすれば、直接にその反対物に転化することを示すことである。

 これが、「弁証法的側面あるいは否定的理性の側面」の定式になったと考えられます。

――弁証法的モメントは、右に述べたような有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の諸規定への移行である。

(2)〈否定の否定〉(否定的理性――肯定的理性)

 ヘーゲルは次のように述べています。

 ところでアンチノミーの真実で積極的な意味は、あらゆる現実的なものは対立した規定を自分のうちに含んでおり、したがって、ある対象を認識、もっとはっきり言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一として意識することを意味する、ということにある。

 これが、「思弁的側面あるいは肯定的理性の側面」の定式になったと考えられます。

 ―― 思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは対立した二つの規定の統一 、すなわち、対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する。

 ヘーゲルはカントの二律背反とスピノザの規定論を選択し、混成することによって、「規定的否定」と「二律背反の拡張」を仮定しました。そして、この二つを「アンチノミーの真実で積極的意味」として統一することによって、「論理的なものの三側面」を定式化したといってよいでしょう。ヘーゲルの「対立する一項の内在的否定による進展」は、「対立する二項の対話による進展」(複合論)によって、形成されたと考えられるでしょう。いいかえれば、ヘーゲルの「矛盾と止揚の論理」は、「対話と止揚の論理」(複合論)によって形成されたと考えられます。

 しかし、「論理的なものの三側面」は、ヘーゲルの仮説にすぎません。これは、マックスウェルの仮説(「電磁波の方程式」)やオイラーの仮説(「オイラーの公式」)とは違い、普遍性はないと思われます。それは、いずれ、消えていく仮説と思われます。

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5 ヘーゲル的でない弁証法についての問い

 茅野良男は『弁証法入門』で次のように述べていました。

 論理的なものはなぜこの三つの契機をもち、なぜこの三つの段階をたどるのでしょうか。私たちは、悟性は有限なものを無限なものの反射あるいは反照としてつかみ、理性は無限なものをつかむという、あのヘーゲル初期の思考を前提して、ようやく分かるといわなければなりません。それにしても、理性による絶対的なものの思考には、いつも悟性による認識が先行しなければならず、それが破れなければならないのです。弁証法に疑問をもつ人は、いつまでもここに固執するでしょう。

 悟性と理性、有限と無限に対するヘーゲルの特異な捉え方が「論理的なものの三側面」の規定の背後にあるのです。「対立する一項の内在的否定による進展」はヘーゲル哲学の中だけで成立する特異な進行形式といわなければなりません。

 また、マシュレは『ヘーゲルかスピノザか』の中で、次のように述べていました。

 それゆえ、それがどんなに魅力的にみえようとも、スピノザによって開かれた展望を、やがてカントによってたどられる展望に接近させることは、避けねばならない。しかし、ヘーゲル自身はこの混同におちいらないかというと、それはどうも怪しい。彼が行うスピノザに対する反論とカントに対するそれとは、秘かに共鳴しながら互いに呼応しあっている。この点が、スピノザ哲学についてのヘーゲルの誤解の鍵ではないだろうか。要するにヘーゲルは、スピノザのなかにカントを読んだかのようであり、スピノザの哲学的位置の革命的独自性を読むことができなかったのである。

 ヘーゲルは、スピノザのなかにカントを読む一方で、カントのなかにスピノザを読んだと思われます。また、ヘーゲルはスピノザばかりでなく、カントも誤解していると考えられます。「ヘーゲルかスピノザか」では、スピノザを、また、「ヘーゲルかカントか」では、カントを選ぶことに、ヘーゲル弁証法の合理的核心はあると思われます。

 ところでマシュレは、「スピノザを、ヘーゲルに従ってではなく、ヘーゲルの後に読むことによって、われわれはヘーゲル的でない弁証法についての問いを立てることができる」と述べています。その弁証法は、「否定の否定がない反対物の統一」や「一切の保証が不在のままで、絶対的に因果的な仕方で機能する弁証法」と特徴づけられているものです。わたしは複合論が、この弁証法に近づいているのではないかと考えています。

 

参考文献
 ヘーゲル・松村一人訳『小論理学』岩波文庫 1978年
 城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫 1997年
 島崎隆『ヘーゲル弁証法と近代認識』未来社 1993年
 栗原隆「ヘーゲルとスピノザ」(『ヘーゲル』講談社選書メチエ 所収 2004年)
 茅野良男『弁証法入門』講談社現代新書 1969年
 マシュレ・(鈴木・桑田)訳『ヘーゲルかスピノザか』新評論 1986年

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