今年(2005年)書いたブログ「対話とモノローグ」の記事から、ヘーゲル弁証法の合理的核心を把握する試みに関するものと、弁証法観の対照がはっきりしているものを収録し、「弁証法試論」への導入として位置づけてみた。
目次
ヘーゲル弁証法の合理的核心の把握という問題があることは知っていました。わたしなりに関心もありました。それが、許萬元の『弁証法の理論』を読む背景にあったと思います。しかし、この問題を論じることになるとは、思いもよりませんでした。
わたしは、ヘーゲル弁証法の合理的核心を把握するという問題を、マルクス主義とは違った方向で解決しようと考えています。この問題に対する立場の違いを明確にしておきます。
許萬元は、ヘーゲルとマルクスの弁証法を、歴史主義(否定的理性)と総体主義(肯定的理性)の二つの契機のうち、どちらを絶対的と見るか、どちらを従属的と見るかによって区別しました。
ヘーゲル ―― 絶対的総体主義にもとづく歴史主義
マルクス ―― 絶対的歴史主義に立脚した総体主義
ヘーゲルでは、総体主義(肯定的理性)が絶対的で、歴史主義(否定的理性)は従属的であるのに対して、マルクスでは、歴史主義(否定的理性)が絶対的で、総体主義(肯定的理性)は従属的です。
わたしは「絶対的歴史主義に立脚した総体主義」(マルクス)に対応する「論理的なものの三側面」は、どのようになるのかを考えました。なぜなら、「論理的なものの三側面」は「絶対的総体主義にもとづく歴史主義」(ヘーゲル)に対応していて、そのままではマルクス主義の「論理的なものの構造」論としては有効ではないと思えたからです。この発想が、結果として、ヘーゲルやマルクスとは違った弁証法を構想していくことになりました。
いま、あらためて、マルクスがヘーゲル弁証法の合理的核心をどのように見ようとしていたのかを確認してみると、許萬元の指摘は、マルクス主義としては、正しいことがわかります。
弁証法は、その神秘化された形態においては、ドイツの流行であった。というのは、現存しているものに光明を与えるように見えたからである。弁証法は、その合理的な姿においては、ブルジョア階級とその杓子定規的な代弁者にとって腹立たしい、恐ろしいものである。というのは、それは現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解、その必然的没落の理解をも含むものであり、生成した一切の形態を運動の流れの中に、したがってまた、その経過的な側面にしたがって理解するものであって、何ものをも恐れず、その本質上批判的で革命的なものであるからである。(『資本論』第二版あとがき、1873年)
マルクスは、ヘーゲル弁証法の合理的核心を、「生成した一切の形態を運動の流れの中」で理解する立場に見ています。このような捉えかたは、「現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解」を過程的・継起的に見ることにもとづいていたと考えられます。
いいかえれば、マルクスは、「弁証法的側面あるいは否定的理性の側面」に、ヘーゲル弁証法の合理的核心を見ています。これは、間違いないと思われます。
許萬元の「絶対的歴史主義に立脚した総体主義」は、マルクスの「生成した一切の形態を運動の流れの中」で理解する立場を正確に受け継いでいると思います。
わたしの試みは、このような「論理的なものの三側面」に立脚した弁証法を克服することにあります。
マルクスや許萬元が、「弁証法的側面あるいは否定的理性の側面」に、そのまま合理的核心を見るのに対して、わたしは「論理的なものの三側面」を解体して組み替えることによって、はじめてヘーゲル弁証法の合理的核心が出てくるのではないかと考えました。
ヘーゲルの定式では、「否定的理性」と「肯定的理性」は、独立した二つの段階となっています。「否定的理性」と「肯定的理性」は、矛盾の論理として直列に結合しています。はじめに「否定」、次に「否定の否定」。「否定」と「否定の否定」が継起的に進行していきます。直列構造が、「論理的なものの三側面」の特徴になっていると思います。
この直列構造こそが、弁証法の神秘化された形態ではないかと思います。これを解体し組み替えるのが、わたしの試みなのです。
ヘーゲル弁証法の合理的核心は、マルクスのことばを借りていえば、「現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解」を過程的・継起的ではなく、場所的・同時的に見ることによって、把握できると思います。「肯定」と「否定」を、過程的・継起的ではなく、場所的・同時的に見ていくのです。過程的・継起的に見るとき「矛盾」を避けることができません。場所的・同時的に見るとき、「対話」の可能性が生まれてくるのです。
「概念の自己運動」を認めるかどうかは、ヘーゲル弁証法を認めるかどうかの踏み絵になっていると思います。ヘーゲルに対するわたしたちのとまどいを代弁してくれているのは、リューメリンという人です。
ヘーゲルのいわゆる思弁的方法が、その創始者ヘーゲルによっていったいどういうふうに解されていたかということを理解するために、この方法をとりあげるだけでも、われわれがどんなに骨を折り頭を悩ましたかを、私は表現することができない。人々は互いに頭をふりながらこうたずねたものだ。一体君にはわかるかね。君がなにもしないのに概念は頭のなかでひとりでにうごくかね。概念が一変してその反対になり、そこから対立の一段高い統一が飛びだしてくるかね、と。
リューメリンは、概念の自己運動に対する困惑を印象深く表現していると思います。これは、許萬元の『弁証法の理論』に引用してあるものです。
概念の動きに着目してみましょう。
(ア)概念が一変してその反対になる。
(イ)そこから対立の一段高い統一が飛びだしてくる。
これは、「論理的なものの三側面」に進行と対応していると考えます。(ア)は否定的理性的(弁証法的)側面、(イ)は肯定的理性的(思弁的)側面に対応しているでしょう。ヘーゲルの思弁的方法(概念の自己運動)は、「論理的なものの三側面」に集約的に表現されていると考えられます。
ヘーゲルによれば、論理的なものには次の三つの側面があります。(『小論理学』参照)
「概念が一変してその反対になり、そこから対立の一段高い統一が飛びだしてくる」という表現は、「論理的なものの三側面」の進行のきわめて簡潔な要約になっていると思います。ちなみに、松村一人は、「対立の一項の内在的否定による進展」と要約しています。
リューメリンは「概念の自己運動」を認めません。他方、許萬元は弁証法の本質論を探究している研究者ですが、「概念の自己運動」を積極的に容認しています。
リューメリンと許萬元は対立しています。一方は「概念の自己運動」に困惑するのに対して、他方は、「概念の自己運動」は現実の弁証法性を容認する唯物論者にとっても、自明でなければならないと主張しています。許萬元は、自己運動と矛盾は、同じことの別の表現で、矛盾を認めるか否かの問題と自己運動を認めるか否かの問題は一体であると強調しています。
論理的矛盾を現実的矛盾の反映として是認する論者のなかに、論理的矛盾を是認しながら概念の自己運動までは是認できないという、こっけいな議論をする学者が見うけられる。いったい、なんのための矛盾の是認か? 矛盾と自己運動とは同じことの別の表現にすぎない。
許萬元は、「論理的なものの三側面」を、概念の自己運動と弁証法的矛盾の端的な表現と考えていると思います。
『弁証法の理論』にあったのは、さきの引用がすべてですが、リューメリンは、さらに次のように続けていました。(松村一人『ヘーゲル論理学の研究』参照)
(一体君にはわかるかね。君がなにもしないのに概念は頭のなかでひとりでにうごくかね。概念が一変してその反対になり、そこから対立の一段高い統一が飛びだしてくるかね、と。) そうだと答えられるような人は思弁的な頭脳の持主だと言われた。こういう人とは別なわれわれは、有限な悟性的カテゴリーにおける思考の段階に立っているにすぎなかった。……われわれは、なぜこの方法を十分に理解しなかったかという理由を、われわれ自身の天分の愚かさに求めて、あえてこの方法そのものの不明晰や欠陥にあると考えるだけの勇気がなかったのである。
この続きがあるのかどうか知りません。そして、リューメリンが思弁的方法の不明晰や欠陥をどのように考えたかについても知りません。ただ、思弁的方法(概念の自己運動)を理解できなかったのは、愚かさが原因ではなく、方法そのものの不明晰や欠陥にあると考えるようになったことは、確実と思われます。
わたしは、リューメリンの勇気を、自分なりの解釈で、実行しているのではないかという気になります。
なぜなら、わたしは「論理的なものの三側面」の不明晰と欠陥を指摘し、その規定を解体して、「矛盾」ではなく「対話」を核心に据えた弁証法を提起しているからです。その弁証法には、「概念の自己運動」はありません。
弁証法を「自己運動」や「矛盾」から解放しようと考える人も、「論理的なものの三側面」には、束縛されていると思います。
「論理的なものの三側面」を否定することが、新しい弁証法へのステップだと考えます。
注。リューメリンは、許萬元によれば、新カント主義に属する学者です。また、松村一人によれば、チュービンゲン大学総長でした。リューメリンの引用は、ユーバーヴェーグ『哲学史』にあるようです。
トランプを使った実験があります。トランプのカードを見せて、それを当てさせる実験です。そのトランプの大部分は普通のカードですが、すこしだけ変則的なカードが混じっています。たとえば、スペードの赤の6とか、ハートの黒の4とかが混じっているのです。
実験をすると、最初は、変則的なカードも、普通のカードとみなされるといいます。たとえば、「ハートの黒の4」に対していえば、スペードの4か、ハートの4とみなされるのです。形と色の違いが、気付かれず、普通のカードに見えるのです。
しかし、変則的なカードを多く見せていくと、被験者はためらい始め、変則性に気付いていくといいます。
これは、『科学革命の構造』(トーマス・クーン)に紹介してある実験ですが、わたしには、あれが「変則的なカード」だったんだなあと思える体験があります。
「対立物の統一」を、わたしは「止揚」のことだと思い込んでいました。許萬元の『弁証法の理論』を最初に読んだときも、読み返しているときも、そうでした。他の文献を参照しているときも、間違いなく、「対立物の統一」を「止揚」と解釈していました。弁証法の新しい理論を作るという問題を立てたときも、そうです。
いろいろな文献を見ていくうちに、「対立物の統一」を「矛盾」と考える立場があることに気付きました。マルクス主義の考え方です。わたしは、自分がマルクス主義の立場で考えているものと思っていましたから、ガクゼンとしました。 もちろん、改めて見直せば、許萬元も「対立物の統一」を「矛盾」と考えていたのです。
不思議な気がしたものです。これまでわたしは何を見ていたのだろうかと。
「対立物の統一」は「ハートの黒の4」です。それが、わたしには、ずっと「ハートの4」(止揚)に見えていました。しかし、これを「スペードの4」(矛盾)と見ていた人もいたのです。
「対立物の統一」は、自分を振り返り、足元を見直すきっかけになりました。しかし、「対立物の統一」は、やはり「止揚」です。「矛盾」ではありえません。これが「対立物の統一」に感じた変則性を自分なりに深めてきた結論です。
「対立物の統一」を「矛盾」ではなく「止揚」と考えることが、ヘーゲル弁証法の合理的核心をつかむ出発点になっていくと思います。
わたしの弁証法への関心は、1970年代の前半に始まるが、そのときは、弁証法といえば、もっぱら、『弁証法の諸問題』(武谷三男)だった。そのころ、許萬元は、『ヘーゲル弁証法の本質』(1972年)・『認識論としての弁証法』(1978年)を刊行しているが、わたしはまったく知らなかった。
1995年に、『弁証法の理論』(創風社)をはじめて読んだとき、弁証法の本質を探究していくという姿勢に感動したものである。この本(『ヘーゲル弁証法の本質』と『認識論としての弁証法』を合本としたもの)はヘーゲル弁証法の合理的核心を捉えようとする研究の最先端にあるのではないかと思っていた。
わたしのようなずぶの素人にありがたかったのは、ヘーゲル弁証法には三大特色(内在主義・歴史主義・総体主義)があり、ヘーゲル弁証法の本質が「論理的なものの三側面」に集約されるという指摘だった。そして、ヘーゲルとマルクスの弁証法の内的な構造の違いを、歴史主義と総体主義の二つの契機で要約してあることだった。
ヘーゲルではなくマルクスの考える「論理的なもの」の構造はどのようになるのか? ヘーゲルが想定した「媒介の論理」とは異なる「媒介の論理」の可能性があるのではないか? これが、許萬元を検討していくなかから生まれた「問題」だった。
わたしは弁証法を再考するきっかけを許萬元によって与えられたのである。
1990年代の後半に、『弁証法の理論』をもっとも読んでいたのは、わたしだったのではないかと思う。いまは立場を異にしているが、「弁証法試論」は、許萬元の『弁証法の理論』の正統な継承であると考えている。
わたしは2004年5月に、ホームページ「弁証法試論」を公開した。そのとき、立命館大学文学部気付で、許萬元に案内をした。感想をもとめたのである。返事はなかった。今月(2005年9月)になって、遺族の方から、先月、他界したと訃報のメールをいただいた。「生前は、父の著書をお読みいただき、感謝しています」とあった。おそれおおいことである。
ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに言ってみれば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんなふうに消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。(「闇の絵巻」梶井基次郎より)
弁証法は、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一です。これがわたしの考えです。複合論と名づけています。
この複合論(弁証法の理論)の位置づけを試みてみたいと思います。
「大辞林(国語辞典)」の「弁証法」の項は、4種類の弁証法を、時代順に要約しています。これを下敷きにして、わたしの考えを示したいと思います。
大まかにいえば、わたしの試みは、ヘーゲル以前に弁証法を戻すということです。「思考と存在との根源的な同一性であるイデーの自己展開」とか、「自然・社会および思惟の一般的運動法則についての科学」とかは、弁証法の肥大した異常な姿に他なりません。
弁証法は推理である。これが、弁証法の自然な姿であると考えます。
確からしいが真理とはいえない命題を前提とする推理
経験による裏付けのない不確実な推理
弁証法は不確定な推理ですが、ここに新しい価値と意味が作られていくと考えるのです。弁証法はアイデア(仮説)を思いつくかもしれない推理なのです。複合論にあるのは、単なるアイデアです。崇高なイデアも、根源的なイデーもありません。
ヘーゲル弁証法の合理的核心は(3)から(4)の方向ではなく、(3)から(1)の方向にあると考えます。すなわち、「矛盾」を継承するのではなく、「矛盾」を排除し「対話」を導入することによって、合理的核心は把握できると考えます。
わたしは「論理的なものの三側面」の規定(ヘーゲル『小論理学』)を解体して、矛盾ではなく、対話を核心に据えた弁証法を構想しました。古代ギリシャの「対話」をヘーゲルの用語で表現することによって、新しい弁証法の理論を提起しようと試みたのです。
複合論には、「対話」と「止揚」が含まれています。
古代ギリシャの弁証法を「正」、ヘーゲルの弁証法を「反」とすれば、複合論は「合」といえるのではないかと思います。
ヘーゲルは、『哲学史講義』の中で、弁証法の創始者として、ゼノン・ヘラクレイトス・プラトンの三人をあげています。
わたしなりに、この三人を位置づけしてみたいと思います。そして次に、わたしが想定する弁証法の創始者を対置したいと思います。
ゼノンは弁証法的矛盾です。ヘーゲルは、ゼノンの論理を逆手にとって、運動は存在する矛盾そのものである、と考えました。ゼノンはヘーゲル弁証法の出発点です。
ゼノンは「弁証法的矛盾」、そして、ヘラクレイトスは「否定的理性」、プラトンは「肯定的理性」と対応していると考えます。
いいかえれば、ヘーゲルがあげた三人は、「論理的なものの三側面」の内的な構造と対応していると考えます。
ちなみに、許萬元はゼノンを内在主義、ヘラクレイトスを歴史主義、プラトンを総体主義と対応させています。
ヘーゲルの弁証法には、「存在の弁証法」と「認識の弁証法」が、混在しています。わたしの試みは、「存在の弁証法」から「認識の弁証法を」切り離すことです。また、「論理的なものの三側面」を、矛盾律を前提として、再構成することです。いいかえれば、ヘーゲル弁証法から「矛盾」を排除して、「対話」を核心に据えた弁証法を提起することです。
わたしから見ると、ゼノン・ヘラクレイトス・プラトンの三人は、弁証法の創始者ではありません。
ゼノンとヘラクレイトスが、立ち去ります。代わりに、来るのが、アリストテレスです。アリストテレスは「矛盾律」の象徴です。プラトンは、そのまま残りますが、「肯定的理性」ではなく、「対話」の象徴です。
プラトンとアリストテレスが、弁証法の創始者です。ヘーゲル弁証法の創始者の三人、ゼノン・ヘラクレイトス・プラトンに対置しておきたいと思います。プラトンは「対話」の象徴です。アリストテレスは「矛盾律」の象徴です。
プラトンとアリストテレス。この二人が、ヘーゲル弁証法の合理的核心に対応します。
ヘーゲルは、弁証法の創始者として、ゼノン・ヘラクレイトス・プラトンをあげていました。それに対して、わたしは、プラトンとアリストテレスの二人をあげました。
弁証法といえば、ヘラクレイトスの「万物流転」と直結しています。しかし、この結びつきは、ヘーゲルとマルクス主義によってもたらされたもので、たかだか、19世紀以降の現象にすぎないのではないでしょうか。
ヘラクレイトスの「万物流転」は、弁証法から排除すべきイメージではないかと考えます。
プラトンとアリストテレス。「アテネの学園」(ラファエロ)の中央で、並んで歩いているのが、この二人です。こちらのほうが、弁証法の本質的で普遍的なイメージであると考えます。
わたしが主張している複合論にあるのは、ヘラクレイトスの「万物流転」(panta rhei)の流れではありません。プラトンとアリストテレスの「対話」(dialogos)の流れなのです。
キルケゴールは、ヘーゲル弁証法を、「あれもこれも」の論理と見て、量的弁証法と呼びました。それに対して、みずからの弁証法を質的弁証法、「あれかこれか」と呼びました。
ヘーゲルの「あれもこれも」は「統一」、キルケゴールの「あれかこれか」は「選択」と見ることができるでしょう。
キルケゴールは、ヘーゲル弁証法の「量(多)」と「統一」に対して、「質(一)」と「選択」を対置したものと思われます。いいかえれば、かれは、弁証法に、単独者としての主体的な選択を導入したと考えます。
単独者としての主体的な選択というのは、認識の弁証法においても、必要だと考えます。それは「認識領域での自由の可能性」(梅本克己『過渡期の意識』)と関連していると思います。
わたしは弁証法を、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一であると考えています。そして、対立物の統一の過程に、「選択」で始まる次のような三段階を想定しています。
単純にいえば、「論理的なもの」を二つ「選択」し、その二つを「混成」して、「統一」するという三段階です。二つの「論理的なもの」の「選択」から、弁証法を始めているところに特徴があります。
二つの論理的なものを選択するときの心構えは、キルケゴールの「あれかこれか」を引き継いでいます。
選択のさいに肝要なのは、正しいものを選ぶということよりはむしろ、選択するときの、エネルギー、真剣さ、パトスである。
ヘーゲルの「あれもこれも」とキルケゴールの「あれかこれか」と対照させると、わたしが主張している複合論は「あれとこれと」と表現できるのではないかと思います。
わたしは弁証法を、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一であると考えています。そして、認識における対立物の統一の過程に、選択・混成・統一の三段階を想定しています。
「論理的なもの」を、二つ「選択」し、その二つを「混成」して、「統一」するという三段階です。「選択」で始まり、「統一」で終わる三段階です。正反合の図式と比べると、一つではなく、二つの「論理的なもの」から、弁証法を始めているところに特徴があります。正・反・合ではなく、複・合です。
二つの「論理的なもの」を、「あれ」と「これ」と考えると、一つではなく、二つを選択するのですから、「あれかこれか」ではなく、「あれとこれと」です。
一方、たくさんある「論理的なもの」の中から、選択した二つだけを統一するのですから、「あれもこれも」すべてを統一するのではなく、「あれとこれと」だけを統一するのです。
一つではなく二つを選択し、すべてではなく二つだけを統一するのが、「あれとこれと」の弁証法です。
「あれとこれと」は、「あれかこれか」と「あれもこれも」の間にあり、「選択」(キルケゴール)と「統一」(ヘーゲル)を受け継いでいると考えています。
板倉聖宣は「仮説実験授業」の提唱者として知られているが、「発想法としての弁証法」という考え方も提出している。
三浦つとむの弁証法と複合論の違いは、「弁証法2004」にまとめてあるが、対照をよりはっきりさせようと思って、『弁証法・いかに学ぶか』(季節社)を読んでいた。発行者あとがき(中原しげる)に思いがけない発見があった。そこには板倉聖宣の弁証法の考え方が紹介してあったのである。
板倉聖宣氏は、科学と哲学についての考察をふまえて、次のようにいう。―――
「弁証法は科学ではない。それはいわばコトワザみたいなもので、一つの発想法にすぎない。だから、弁証法的に考えたからといって、正しい認識であるなどというわけでは全くない。正しいか間違っているかは、弁証法が決めるのではなく、実験のみが決めるのである。」 まことに明解である。こう考えると、弁証法を役立て、使いこなすことも可能になってくるし、弁証法の三つの法則にとらわれ、苦労することもなくなる。この弁証法観は、ヘーゲル・マルクス・エンゲルス・レーニン的な弁証法観よりも、ギリシャのそれにヨリ近いものに思える。 「最初の素朴な見方は、概して後の時代の形而上学的な見方よりもヨリ正しい。」(エンゲルス)とは、弁証法についても言えることなのである。
板倉聖宣という名前は、仮説実験授業の提唱者として知っていたが、「発想法としての弁証法」という考えを持っているとは知らなかった。わたしは板倉弁証法に興味を持った。
中原しげるの説明を読んでいて、奇妙に思ったのは、なぜ三浦弁証法の解説のなかにあるのだろう、この弁証法の考え方は三浦つとむの否定ではないかということであった。
わたしには、板倉聖宣の弁証法は三浦の弁証法よりわたしの主張する弁証法(複合論)に近いものと思われた。
わたしは、板倉聖宣は岩崎武雄と同じように存在のなかに矛盾を認めていないだろうと直観した。その予想をもって、『新哲学入門』と『発想法かるた』を手にしたのである。わたしなりに「実験」をしてみたことになる。
予想は当たった。
板倉弁証法の特徴は次の三点と考えられる。
(1) 矛盾は、認識の論理にかかわるもので、自然や社会には実在しない。
それなら、ある人々のいうように、「矛盾は実在する」といっていいのでしょうか。私はそうは考えません。「運動は、静止の論理にこだわって表現しようとすると、どうしても矛盾した表現を必要とする」というのと、「運動そのものが矛盾している」というのとは違います。「矛盾」という概念は、もともと人間の認識の論理にかかわるものなので、人間の認識とは独立な自然や社会そのものに矛盾があるはずはないのです。
ところが、「人間の認識は自然や社会の反映なのだから、人間の認識に(矛盾)という概念が必要だということは、自然や社会そのものに矛盾が実在していると考えるべきではないか」という人がいるので注意する必要があります。「人間の認識上で必要になったものは、みな自然の中に実在するとは限らない」のです。何度もいうように、人間が静止の論理でもって無理に表現しようとしなければ、矛盾など問題にならないからです。(『新哲学入門』)
(2) 弁証法は、科学的な真理ではなく、ことわざのような発想法である。
実は、弁証法というのはことわざと同じように、「社会や自然の見忘れがちな側面に注意するように教えてくれる」という意味では真実ではありえても、「科学的な真理」とはいえないのです。つまり、弁証法というのは言葉の厳密な意味では科学ではないのです。「それなら、弁証法はデタラメか」というと、そうではありません。弁証法を文字どおりの科学と考えると間違いではあっても、そこには自然や社会を見る優れた視点があり、私たちの発想を豊かにしてくれるものがたくさん含まれていることは間違いありません。つまり、弁証法は一つの発想法というべきものなのです。(『発想法かるた』)
(3) 弁証法の核心は、討論(議論)である。
弁証法的にものごとを考えたかったら、これまで言い古されてきた弁証法の「法則」なるものに従って考えるよりも、弁証法という言葉の大本に帰って、「討論しながら考える」ということを大切にしたほうがいいのです。(『新哲学入門』)
他人と議論をすると話が進むのは、人によってそれまでに経験したことが違うし、その考え方も違うからです。経験や考えの違う人は、他の人々からするとまったく非常識と思えることを言い出したりします。ところが、その考えを発展させていくと思わぬ真実が見えてきたりします。そこで、私たちは思わぬことに気づくようになるのです。(『新哲学入門』)
板倉聖宣の弁証法は、次の二点において、わたしの弁証法の理論(複合論)のさきがけである。
(1) 矛盾律を前提にした弁証法(矛盾の実在を否定する弁証法)
(2) 発想法としての弁証法
しかし、違いもある。
それは、板倉が弁証法を発想法全体に拡大しているのに対して、わたしは発想法の一部に限定している点である。
私はこれまで、自分でまとめたこのカルタを「ことわざカルタ」と呼んだり、「弁証法カルタ」と呼んだり、「発想法カルタ」と呼んだりしてきましたが、それは、このような弁証法観・ことわざ観・発想法観を元にしてのことです。つまり、このカルタは「科学的な真理を教えるもの」というよりも、「一つのことに囚われない自由な発想の仕方」――ということは、「時には一つのことに囚われることの素晴らしさ」をも認める発想の仕方――を教えるもの、と考えて作ったのです。「弁証法と〈ことわざ〉とはどこが違うか」というと、それは、「弁証法というのはことわざ的真実を体系的組織的に研究したものだ」といったらいいのかも知れません。(『発想法かるた』)
わたしの場合、弁証法というのは、対話をモデルとした思考方法で、認識における対立物の統一をめざす発想法である。弁証法ではない発想法もあると考えている点が違っている。
例えば、板倉は「同じ見えないでも違う」を表すカルタとして、「原子は小さすぎて見えず、地球は大きすぎて見えない」、また、「モデルの重要性」のカルタとして、「原子も模型を作ればよく見える」を取り上げている。どちらも優れた発想法だが、わたしはこれらを弁証法とは考えないのである。
この違いは、わたしが弁証法の大本を、語源に忠実に「対話の技術」と考えているのに対して、板倉は「討論しながら考える」と広く捉えていることと関連していると思う。「討論しながら考える」は、「対話」というよりも、「授業」のイメージではないだろうか。
私は、学生時代に三浦つとむ著『哲学入門』という本を読んで以後、その弁証法を身につけることができるようになったのでしたが、その本にはたくさんのことわざが弁証法の法則と同じものとして説かれていました。そこで、私は弁証法をことわざと同じような「生活の知恵、発想法」として学んだのです。そして、「弁証法的に物事を考えるようにすると視野が開ける」ということを知ったのです。だから、私は、その後の弁証法を「科学」とする三浦さんにはついていかれなくなりました。そして、ついに私流の弁証法論議を発展させることになったのです。そこで、私の弁証法なるものは、三浦つとむさんの弁証法とも、ふつうの哲学の本に書かれているものともかなり違うものとなっています。(『新哲学入門』)
板倉弁証法の形成経緯をスケッチしておこう。( 『新哲学入門』あとがき参照。)
弁証法を使うと、それまでの常識を越えた考え方を発見することはできます。それは素晴らしいことです。しかし、そうやって考えついたことがいくら正しそうに見えても、それを実験的に証明して見せなければ、真理とは言えないのです。これまでの弁証法の説明が神秘的に思えたのは、「本当かも知れない考え方」と「実験によって証明された真理」との区別を明確にしなかったことにあると言っていいでしょう。(『新哲学入門』)
板倉聖宣は、1992年の時点ではデューリングの立場に立ち、自然や社会に矛盾の存在を認めていないが、はじめからデューリングの立場ではなかった。
例えば、「ニュートン力学の形成過程における力と運動――本質論的理論の形成と根本矛盾――」(『科学と方法』1969年 季節社 所収)には次のような展開がある。
ニュートン力学が、まさにニュートンの力学であったのは、彼が、すでに知られていた力と運動との関係を(彼の発見した微分法を用いて)運動の行なわれる瞬間における矛盾の定立と解決との事実においてとらえ、惑星の楕円軌道を、逆二乗の求心力と慣性力(遠心力)との矛盾の解決の形態として導くことが出来たからなのである。
これは、マルクスの「楕円の論理」(注)にひきづられた展開であるといえるだろう。
逆二乗の求心力を不断の落下と対応させ、また慣性力(遠心力)を不断の飛去に対応させて、ありもしない「矛盾」を発見している。
惑星の楕円軌道は、逆二乗の求心力と慣性力(遠心力)との矛盾が解決され実現されている運動形態ではない。端的にいえば、惑星の楕円軌道は、逆二乗の求心力(太陽の求心力)と慣性(接線方向への直線運動)の合成された形態に他ならない。楕円には、矛盾がありそれが解決されているのではなく、そもそもはじめから「矛盾」は存在しないのである。
わたしの弁証法から見たニュートン力学の形成過程については、「ニュートン力学の形成と弁証法」 を参照していただければありがたい。
(注) マルクスの「楕円の論理」
商品の交換過程は、矛盾したお互いに排除しあう関係を含んでいることを知った。商品の発達は、これらの矛盾を止揚しないで、それが運動しうる形態を作り出している。これがとりもなおさず、一般に現実の矛盾が解決される方法である。 例えば、ある物体が不断に他の物体に落下しながら、同じく不断にこれから飛び去るというのは、一つの矛盾である。楕円は、その中でこの矛盾が解決され、また実現されている運動形態の一つである。(『資本論』)
目次
弁証法に取り組み始めたころ、わたしは対立物の統一を「止揚」と思い込んでいて、対立物の統一を「矛盾」と捉える考え方に気づいたとき、驚いた経験があります(「対立物の統一」参照)。 調べていくうちにわかってきたのは、次のようなことでした。
1 対立の統一を矛盾と考える立場と止揚と考える立場の二つがあること。
2 矛盾と考える立場では、対立関係を相関関係と捉えていること。他方、止揚と考える立場では、対立関係を二つの認識と考えていること。
ここで相関関係とは、磁石のN極とS極や相対的価値形態と等価形態のような関係をさしています。他方、二つの認識とは、光の粒子説と波動説のようなある対象に関する対立する二つの理論をさしています。最初にヘーゲルが弁証法を構想したとき、対立関係は、松村一人が指摘しているように、相関関係を意味していたと思われます。「ヘーゲルが言う対立の統一における対立とは、相互に連関しあって不可分のモメントであるが、同時に排除しあい或いは対立しあう両端なのである」(『ヘーゲルの論理学』)。
また、対立物の統一とは、島崎隆が指摘しているように、矛盾を意味していたと思われます。〈「対立物の統一」とは相互依存性と相互反発性の両立であり、その意味で矛盾そのものである〉(『ヘーゲル弁証法と近代認識』)。
それではどのように、対立関係は、相関関係だけではなく二つの認識を含むようになったのでしょうか。また、対立物の統一は矛盾ではなく、止揚という意味をもつようになったのでしょうか。
わたしは、正反合の図式の定着という次のような仮説を想定しました。(『弁証法試論』第4章 新しい弁証法の基礎)
対立関係として最初に想定されていたのは相関関係である。ヘーゲルは相関関係を基礎にして弁証法的進展を構想する。そして「論理的なものの三側面」を定式化する。 この「論理的なものの三側面」が、正反合(テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ)と定式化されることによって、テーゼ(主張・命題)が対立関係にはいりこみ、対立関係の範囲が拡大する。つまり、対立関係として見解・命題・主張・認識が想定できるようになる。
この仮説では、正反合の定着によって、「対立関係」や「対立物の統一」の内容に違いが出てきたことについてはふれていますが、「正反合」の図式がどのような根拠で成立したのかについては、述べていません。この点を補いながら、「論理的なものの三側面」と「正反合」について、検討していきたいと思います。
正反合の図式は、ヘーゲル弁証法の要約ではありません。むしろ、この図式は、ヘーゲル的でない弁証法への第一歩と考えるべきだと主張したいと思います。
岩崎武雄は、ヘーゲルが弁証法というものを考えたのは、独自の絶対者観と密接に連関していたと指摘しています。それは、ヘーゲル弁証法が、スピノザ・カント・フィヒテ・シェリングの批判的継承として形成されたということを意味していると思われます。ヘーゲルは、絶対者を次のように考えていたといいます。(岩崎武雄編 『ヘーゲル』世界の名著44 参照)
ヘーゲルの考える絶対者とは決して有限者に対立するものではない。それは有限者の彼岸に存するものでもなく、また有限者の根底に自己同一的に存するものでもない。むしろそれは有限者を自己のうちに包み込んだものである。有限者の変化を通じて絶対者は自己を実現してゆくのである。したがって絶対者は有限者を離れては存しえないのであり、有限者は絶対者の本質的な契機となるのである。
ここで絶対者を有限者の彼岸に存すると考えていたのは、カントやフィヒテです。例えばカントは、絶対者は認識の対象にはなりえず、われわれは有限の世界(現象の世界)を認識できるだけと考えました。フィヒテは絶対的自我という考えを提出しましたが、これはわれわれの行為の実現すべき目標であって、現実に実現できるものとは考えませんでした。 他方、有限者の根底に自己同一的に存すると考えていたのはシェリングです。シェリングは、絶対者は悟性的認識ではとらえられず、知的直観によって一挙にとらえられると考えたといいます。
これらの考え方を批判して、ヘーゲルは、絶対者を有限者と対立するものではなく、有限者の全体のなかに自己を実現すると考えました。絶対者を「みずから生成していく現実的な主体」(『精神現象学』)と考えました。
この絶対者をどのように認識するかという試みから弁証法が出現しました。そして、それは「論理的なものの三側面」として定式化されたと考えられます。
ヘーゲルは、制約のある悟性的段階から始め、否定の否定によって、理性的段階へと進展していくという過程を想定しました。ヘーゲルはカントの悟性と理性の区別を継承します。そしてこの区別を克服するものとして、「否定的理性」を想定しました。いいかえれば、「理性」を「否定的理性」と「肯定的理性」に分け、「否定的理性」に「悟性」の一面性・有限性を否定する役割を担わせました。他方、「肯定的理性」には、全体性・無限性を把握する役割を担わせました。
「悟性」と「否定的理性」を連結する根拠として、ヘーゲルはスピノザの規定論を想定しました。「否定的理性」の「否定」とはスピノザの規定論に由来していると思われます。このように、有限者を絶対者の本質的な契機とする弁証法が出現したと思われます。
「論理的なものの三側面」がどのように形成されたかについては、 「論理的なものの三側面」の形成について を参照してください。 カントの二律背反の拡張とスピノザの規定論の拡張によって形成されたという考えを展開しています。
「論理的なものの三側面」の規定は『小論理学』の79節から82節にかけて展開されているものです。次のような三側面の構造と三段階の進行をもっています。
「論理的なものの三側面」の規定は、「対立する一項の内在的否定による進展」(松村一人)と表現できると思います。「論理的なものの三側面」で想定されている対立関係は相関関係であり、対立の統一は矛盾と考えられます。
例えば、それは次のような理解の仕方です。(『ヘーゲル用語辞典』参照)
弁証法的理性ないし否定的理性の働きは、上記の悟性の立てた分離的で固定的な諸規定がじつはそれ自身では成り立たないことを示すことである。たとえば、「生」とはなにかを論ずるとき、「死」について考えざるをえない。だが逆に、死は生の帰結だから死は生を前提する……。ここでは一種悪循環的な堂々めぐりが生じ、悟性的思考は破綻する。対立項への転化という動揺状態を描くのが、つぎの否定的理性の段階である。ここでは安定した認識は成立していない。そして最後の思弁的ないし肯定的理性の働きは、否定的理性によって分裂や悪循環に陥った認識のなかから肯定的成果を取り出し、高次元の立場で対象を諸規定の具体的統一、対立物のダイナミックな統一(いまの例では、生と死の相互前提的な統一のこと) として把握するものである。ここではじめて事物に内在する弁証法的矛盾が捉えられる。この矛盾こそがじつは論理の展開を駆り立てていたものである。
この矛盾は、アリストテレスの矛盾ではありません。ヘーゲル独自の弁証法的矛盾です。それは矛盾律の誤った適用に基因する見せかけの矛盾です。この点については『弁証法試論』第4章 新しい弁証法の基礎 を参照してください。
「論理的なものの三側面」は、岩崎武雄の表現でいえば、存在と認識の弁証法です。存在の弁証法とは、存在に矛盾が実在するという考え方を指しています。存在を把握するためには、矛盾律を放棄しなければならないと考えるものです。これに対して、認識の弁証法とは、認識の展開の仕方に限定したもので、矛盾律を前提にしているものです。
正反合の図式は、ヘーゲルの定式ではありません。だれが、いつ、いい始めたのかは、わかっていないようですが、フィヒテの自我の活動の三段階と対照させて、第三者によって、定式化されたもののようです。
フィヒテの自我の活動の三段階とは次のようなものです。
フィヒテは、この三つの命題を、それぞれ、定立 Thesis、反定立Antithesis、総合Synthesisと呼びました。
さて、「正反合」と「論理的なものの三側面」を直接に対応させることは、共通の認識ではありません。直接の対応とは、正反合に三段階の進展を次のように一対一に対応させるものです。
| 「正」(定立 Thesis) | 抽象的側面あるいは悟性的側面 |
| 「反」(反定立Antithesis) | 弁証法的側面あるいは否定的理性の側面 |
| 「合」(総合Synthesis) | 思弁的側面あるいは肯定的理性の側面 |
わたしはこの対応がもっとも自然な解釈と考えますが、武市建人は、正反合について別の解釈をしています。『弁証法試論』7章 「即自―対自―即かつ対自」と媒介の論理 を参照してください。また、正反合の解釈の多義性については『弁証法試論』 8章 新しい弁証法の理論 を参照してください。
岩崎武雄は、絶対者についてのヘーゲル的な考え方を否定しても、認識の展開の仕方として弁証法を考えることができると主張しています。
ヘーゲルが弁証法ということを考えたのは、すでに述べたとおり、その独自の絶対者観によるものであったろう。かれの絶対者とはその認識の方法としてまさに弁証法を要求するものであったのである。しかし弁証法は決してヘーゲル的な絶対者観と離れがたく結びついているものではない。われわれは絶対者についてのヘーゲル的な考え方を否定しても、弁証法という考え方をとることができる。むしろ弁証法はわれわれの日常の認識においても常に見出される認識の展開の仕方であると言うべきであろう。
認識の展開の仕方としての弁証法とは、「自分の認識の誤りを自覚することによってその考えを改め、しだいに真なる認識を目ざして進んでゆく」過程に限定されたものです。岩崎はこれを哲学においても自然科学においても観察できると想定しています。
この認識の展開の仕方としての弁証法こそが、「論理的なものの三側面」を正反合へと定式化していく根拠ではなかったかと思われます。すなわち、正反合の図式は、絶対者についてヘーゲル的な考え方を否定して、認識の展開の仕方として捉えようとする方向で定式化されたと思われます。
その核心は、ヘーゲルの見せかけの矛盾を排除することにあった考えられます。すなわち、ヘーゲル独自の絶対者観と結びついた存在と認識の弁証法から、存在の弁証法を切り捨てることにあったと思われます。いいかえれば、弁証法を矛盾律を前提にして構築していくことにあったと考えられます。つまり、弁証法を矛盾の論理ではなく、矛盾克服の論理として定式化することにあったと思われます。
それゆえ、正反合の図式はヘーゲル自身から言い出せるものではなく、第三者の定式化でなければならなかったと思われます。
また、矛盾の論理としてヘーゲル弁証法を継承するマルクス主義の研究者から反発を受けやすい図式と考えられます。例えば、島崎隆は次のように述べています。「哲学・思想の分野において、弁証法ほどオリジナルとその通説的理解がかけ離れたものはない。ヘーゲルは弁証法を「正・反・合」の単純な図式で説明などしていない。」
島崎は、正反合では、ヘーゲル弁証法のもつ疎外からの回復や自由の論理が切り捨てられていて、この単純な図式はオリジナルとくらべて後退していると考えているのではないかと思われます。しかし、正反合の図式は、弁証法理論の発展からいえば、後退しているのではなく、前進であると思われます。
わたしは、「論理的なものの三側面」を「正反合」と定式化したのは、人類の知恵だったのではないかと考えています。それは歪曲された矛盾論を排除し、弁証法を正常な位置に設定し直す方向を示しているのではないかと思われます。
認識の展開の仕方として弁証法が「認識の弁証法」です。岩崎武雄は、ヘーゲル弁証法とは本来認識の三段階的発展を意味するものであって、矛盾律を否定するような特別な論理ではないと注意しています。
何よりもまずわれわれは矛盾というものが認識の弁証法的展開において、その第二の段階においてあらわれるということを考えねばならない。それは悟性的・抽象的思惟が必然的に陥る段階であった。したがって矛盾というものはわれわれの思惟の展開においてきわめて重要な意義を持つのである。しかしこの矛盾の段階は決して最終段階ではない。それはさらに第三の思弁的段階によって克服されてゆかねばならぬ段階なのである。そしてこの第三の段階において、その矛盾は止揚されるのである。第二の段階は第一の段階の否定であり、第三の段階はさらに第二の段階の否定、すなわち否定の否定であるが、ヘーゲルはその『大論理学』の最後の「絶対的理念」の箇所で、否定の否定は矛盾の止揚である、とはっきり明言している。
もしも弁証法というものが矛盾律を否定し、矛盾を認める論理であるとするならば、われわれの認識はどうして第二の矛盾的段階を越えて、さらに第三の段階に進んでゆかねばならないのであろうか。むしろわれわれは第二の矛盾的段階こそ真理であると考えて、ここにとどまるべきなのではないであろうか。第二の段階を越えて第三の段階へ進んでゆかねばならないのは、まさに矛盾が止揚されなければならないからにほかならない。矛盾を認めることができないからにほかならない。第二の段階で矛盾に逢着するとき、われわれの思惟はどうしてもこの矛盾に耐えることができない。この矛盾をなんとかして解決しなければならないのである。それゆえにこそ、われわれの思惟は第三の段階へと進んでゆく。第三の段階において矛盾は解決され止揚されるのである。矛盾律の正しさはヘーゲルの弁証法においてもその前提となっていると言わねばならない。
岩崎が主張しているのは、ヘーゲル弁証法は認識の三段階的発展を意味していて、矛盾律を前提しているということです。対立関係は二つの認識で、第二段階で現われた矛盾が第三段階で解決され、「対立物の統一」は「止揚」であるという考え方です。わたしがここで主張しているのは、岩崎武雄が指摘している内容が、正反合の定式の根拠になっていたのではないかということです。ヘーゲルが矛盾律を前提して弁証法を考えたかどうかには関係ありません。
岩崎は「第二の段階を越えて第三の段階へ進んでゆかねばならないのは、まさに矛盾が止揚されなければならないからにほかならない。矛盾を認めることができないからにほかならない」と強調しています。しかし、これは、岩崎が矛盾を「思惟において両立することのできない二つの規定のあいだの関係」と考える立場からなされていることに注意しなければならないと思います。すなわち、かれは、矛盾をアリストテレスの矛盾と考えているから、第二段階から第三段階への進行が矛盾の克服、止揚に見えてくるのです。これは「論理的なものの三側面」に対する新しい解釈なのです。オリジナルとは違っているのです。
オリジナルでは、ヘーゲルが想定する弁証法的矛盾を実現するために、第二段階から第三段階への進行が想定されているのです。矛盾の論理を完成させるために、第二段階から第三段階へ進行していくのです。
第二段階から第三段階へ進むことは、ヘーゲルの弁証法においても矛盾律の正しさが前提となっていることを意味しないのです。すなわち、矛盾の内容が異なっているのです。オリジナルでは、対立物の統一が矛盾、その対立関係は相関関係なのです。しかも、ヘーゲルは、第一段階から第二段階(反対の諸規定への移行)、また第二段階から第三段階(対立した二つの規定の統一 )への移行も弁証法的矛盾と考えています。これは「相関関係」を矛盾とする考えとは異なった性格をもっていますが、これも「論理的なものの三側面」で想定されている矛盾です。
このような「論理的なものの三側面」を貫いている弁証法的「矛盾」に対して、アリストテレスの「矛盾」を対置し、認識の三段階論として「論理的なものの三側面」を再構築しようとしたのが、正反合の定式化の試みだったと思われます。
正反合によって、第三段階は「矛盾」から「止揚」に替わったと思われます。いいかえれば、対立物の統一は「止揚」という意味を持つようになったと思われます。
また、対立関係は相関関係だけではなく二つの認識が想定できるようになったと思われます。
一言でいえば、弁証法は矛盾の論理ではなく、矛盾克服の論理となる可能性をもち始めたと考えられます。
正反合はヘーゲル弁証法の本質を保存したコンパクトな図式ではないのです。正反合はヘーゲル弁証法と連続しているのではなく、断絶していると思われます。正反合はヘーゲル的でない弁証法への第一歩であると考えたほうがいいと思われます。それは、存在の弁証法によって、混乱におちいった弁証法的な「矛盾」の考え方を、アリストテレスの矛盾律を前提にすることによって、弁証法を認識の弁証法として、矛盾克服の論理として設定し直す方向を示したと考えられます。
「論理的なものの三側面」の枠組みは、きわめて強固なものです。認識の弁証法に限定しても、「論理的なものの三側面」の進行の形式が、認識の展開を制約してくるのです。
例えば、岩崎武雄でいえば、第二段階で現われてくるのはアリストテレスの矛盾であるにもかかわらず、これを「悟性的・抽象的思惟が必然的に陥る」ものと考えています。「必然的に陥る」と考えているところに「論理的なものの三側面」の影響を見ることができます。
もう一人、廣松渉の場合で「論理的なものの三側面」の影響を見ておきましょう。
廣松渉は『弁証法の論理』のなかで、「論理的なものの三側面」の進行を「実際には、学理的"認識"の進展が物象化されて表象されたものであり、そのかぎりでは、認識の合規則的な展開相に応ずるもの」と捉えています。そして次のように述べています。
では、この悟性規定の準位から、認識は何故また如何にして、合規則的に次のステップに進んでいくのか? このさい、次のステップというのが高次の準位であることが一つの論点です。同じ準位内での進行であれば、分析的精緻化とか、比較校合による整序とか、さらには、同一の埒内での悟性的推理とか、こういう機制によって進捗が生じえます。が、今問題にしているのは、悟性的な次元そのものを超える進展です。
考えてみれば、しかし、悟性的規定の準位に甘んじてしまう認識がむしろ"常態"といえるほどですから、この準位からの踰越が何故また如何にして合規則的・必然的に生ずるのかという設問は、非常な大問題です。
悟性的段階から否定的理性的段階への踰越に合規則性・必然性を想定しています。しかし、悟性規定の準位から弁証法的準位へという進展は、スピノザの否定論を拡張することによって、絶対者を把握しようとする試みのなかで仮構された要請であって、ここには、規則性も必然性も存在しないと思われます。廣松がここで取り上げている問題は、「論理的なものの三側面」の解体と同時に、消滅してしまう問題だと思われます。
岩崎武雄は「存在の弁証法」は成立しないが、「認識の弁証法」は成立すると主張しました。かれの考えた弁証法は、「矛盾の論理」ではなく、「矛盾克服の論理」でした。わたしは、これを「論理的なものの三側面」が「正反合」の定式化された理論的な根拠と考えます。
しかし、岩崎の「認識の弁証法」は、ヘーゲル弁証法に呪縛されていると考えます。例えば、次のような箇所によく現われていると思います。(『弁証法』参照)
弁証法とは通常矛盾の論理として解せられていたごとく何らかの意味で矛盾に関係したものでなければならない。
認識の展開過程はそれが弁証法的でもあり得るというのではなく、本質的に弁証法的なのである。すなわちそれは矛盾への逢着とその矛盾の止揚という経過をたどって行われていくのである。
つまり、わたしには、岩崎武雄は弁証法と矛盾の関係に拘泥しているのではないかと思えるのです。弁証法は「矛盾克服の論理」といえますが、これは、あらゆる論理展開が、矛盾律を前提にしていることの弁証法への反映であり、弁証法の必要条件を表しているにすぎないと考えます。矛盾の克服は弁証法の必要条件ですが、十分条件ではないのです。
岩崎武雄は『弁証法』の序論のなかで、弁証法が歴史的にみても「矛盾の論理」ではないことの根拠として、弁証法の語源について指摘しています。
弁証法ということばがもともと対話術という意味であり、なんら矛盾の論理という意味を持たない
弁証法の語源が「対話」にあることは指摘されていますが、「矛盾の論理」ではないという点だけで捉えられていて、「対話」それ自体が捉えられていません。
マルクス主義が「矛盾の論理」としての弁証法を強調するなかで、岩崎武雄は弁証法を「矛盾の論理」ではなく「矛盾克服の論理」であると主張しました。弁証法の正しい理解に一歩「近づいたといえるでしょう。しかし、それは弁証法の必要条件でしかなく、「対話」を核心に取りいれた必要十分条件を満たしていないといわざるをえません。
「矛盾克服の論理」に、「対話をモデルとした思考方法」という契機を導入する必要があると思われます。「論理的なものの三側面」には「対話」を入れる余地はありません。わたしの試みは「論理的なものの三側面」を解体して、弁証法に「対話」を導入することにあるのです。
参考文献
ヘーゲル・松村一人訳『小論理学』岩波文庫 1978年
城塚登『ヘーゲル』講談社学術文庫 1997年
岩崎武雄『岩崎武雄著作集第一巻 歴史と弁証法』新地書房 1981
廣松渉『弁証法の論理』青土社 1980
岩佐茂ら『ヘーゲル用語事典』未来社 1991
島崎隆『ヘーゲル弁証法と近代認識』 未来社 1993
島崎隆『ポスト・マルクス主義の思想と方法』こうち書房 1997
松村一人『ヘーゲルの論理学』勁草書房 1969
許萬元『弁証法の理論』創風社 1988
岩崎武雄編 『ヘーゲル』世界の名著44 中央公論社 1978年
中埜肇『弁証法』中公新書 1973
長谷川宏は『新しいヘーゲル』のなかで、弁証法(Dialektik)と対話(Dialog)は近接したことばだが、日本人にはその近さが見えにくいと述べています。
わたし自身、弁証法と対話の関係を説くヘーゲルの文言を、どこか釈然としない思いをだきつつ読むうち、洋の東西における対話の社会的な位置のちがいに思いあたって、違和感がものの見事に解消された経験をもつものだ。
違和感が解消したのは、談論風発、和気藹々の「東洋の対話」に対して、相手との対立点をきわだたせることに力をこめるのが「西洋の対話」だと考えたことだったようです。対話の流儀のちがいに気づくことよって、弁証法と対話の関係に納得がいくようになったと述べているように思われます。すなわち、「東洋の対話」と弁証法は遠い関係にあるように見えるのに対して、「西洋の対話」と弁証法は近い関係にあると考えたように思われます。
わたしは、弁証法(Dialektik)と対話(Dialog)は洋の東西を問わず、近接したことばだが、その近さが見えにくいと考えています。この立場を明確にするために、長谷川宏が想定している弁証法と対話の関係を検討してみることにします。かれが想定した「ヘーゲルの弁証法と深く通いあう西洋ふうの対話」は次のようなものです。
なにより、むかいあう二人ないし数人の人びとのあいだに、明確な対立と、対立ゆえの緊張が存在しなければならない。というか、個の自由と自立の原理からして、何人かの人間がおのれの信念を開陳するベくむきあうとき、そこに意見の相違があるのは当然の前提であって、その相違を自他にたいしてあきらかにしていくのが対話の重要な課題なのだ。むきあう相手とのあいだになんらかの一致点を見いだすのが対話の目的ではなく、当然あってしかるべき相違点を明確な表現にもたらし、対立する見解のいずれが理にかなっているかを問う、というかたちで思索を深めるのが西洋の対話の基本型なのである。
明確な対立と緊張の存在を前提にして、意見の相違を自他に対して明らかにしていくのが、対話の重要な課題というのは、妥当な指摘だと思われます。ただ、なぜ、これが西洋の対話だけに限定して想定しているのかには疑問が残ります。なぜなら、東洋の対話にもこの関係は、存在すると思われるからです。
一方、西洋では、相手とのあいだに一致点を見いだすのは対話の目的ではないと強調しているのは、奇妙な「対話」の理解といわざるをえません。西洋では、ほんとうに、対立する見解のいずれが理にかなっているかを問う、というかたちで思索を深めているのでしょうか。西洋では、どうして相手とのあいだに一致点を見いだすのは対話の目的ではないのでしょうか。対話の目的に、洋の東西で違いなどないと思われます。
長谷川宏の表現を使って、わたしなりに「対話」の基本型(洋の東西を問わない)をまとめれば、次のように要約できると思います。
1 はじめに明確な対立と緊張が存在する。
2 意見の相違を自他に対して明らかにする。
3 対話の目的は一致点を見いだすことである。
わたしには、長谷川宏が弁証法と対話の関係を理解しようとしたとき、「対話」の内容を歪曲したのではないかと思われます。それは、「弁証法」を「否定と対立と矛盾の方法」であると考えると同時に、この方法をそのまま「対話」と対応させたからだと思われます。強調していえば、ヘーゲル弁証法にあわせて、「西洋の対話」の基本型を想定したのだと思います。こうして弁証法と対話の関係を、かれは次のように納得しました。
相手との対立点をきわだたせることに力をこめるのが西洋の対話の流儀だとすれば、その流儀を哲学の方法として応用しようとする弁証法がまとまりや和のみを強調するものであるはずはない。
この立場から、弁証法が「なにより否定と対立と矛盾の方法」であることの確認として、「論理的なものの三側面」の第二側面(弁証法的側面、否定的理性的側面)が紹介されています。これが、対話の目的から相手との一致点を見いだす局面が切り捨てられた根拠だと思われます。
しかし、むしろ、弁証法は「まとまりや和のみを強調するもの」ものとして、「論理的なものの三側面」の第三側面(思弁的側面、肯定的理性的側面)を紹介するほうが、弁証法と対話の関係を把握できる可能性が高いと思われます。
弁証法(Dialektik)と対話(Dialog)が、日本人にとって遠く思われるのは、対話の流儀が西洋と違うからではありません。弁証法と対話の関係は、日本人にも、また、例えばドイツ人にも、どこか釈然としない思いがすると考えられます。
なぜなら、そもそも、ヘーゲル弁証法は「対話」と対応する構造をもっていないないからです。
ヘーゲル弁証法は、「論理的なものの三側面」に集約的に表現されていますが、その最初の段階は「抽象的側面あるいは悟性的側面」です。それは次のように規定されています。「悟性としての思惟は固定した規定性とこの規定性の他の規定性に対する区別とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものがそれだけで成立すると考えている」。この最初の局面に、「明確な対立と、対立ゆえの緊張」は存在しているのでしょうか。対立と緊張は、長谷川宏が想定する「西洋の対話」にも、また、わたしが想定する「対話」にも、共通に含まれている契機です。
ヘーゲル弁証法を「否定と対立と矛盾の方法」と特徴づけるのは、妥当な考えだと思います。しかし、これをそのまま「対話」(Dialog)と関連づけるのは、そもそも無理があると考えられます。
弁証法(Dialektik)は、「対話」(Dialog)と密接な関係にあります。わたしの考えは、弁証法と対話の関係を理解しようとするとき、長谷川宏とはまったく反対になります。つまり、かれが「ヘーゲル弁証法」を絶対化して、「対話」の構造を変更するのに対して、わたしは「対話」の構造を絶対化して、「ヘーゲル弁証法」の構造を変更するのです。「対話」(Dialog)の構造をモデルにして弁証法(Dialektik)を構築しようと考えるのです。「対話」が保存されるべきで、ヘーゲル弁証法は捨てられるべきだと考えるのです。
弁証法(Dialog)は「否定と対立と矛盾の方法」ではありません。それは「対話と止揚の方法」というべきなのです。これまでに提出された弁証法の理論は「対話」の構造と対応していません。わたしは、「対話」と対応する「弁証法」の理論を、「論理的なものの三側面」の規定を解体することによって、実現しようと試みているのです。
ヘーゲル弁証法と対話の関係については、とくに、『弁証法試論』第5章 対立の統一と対話を参照してください。中埜肇『弁証法』を検討しています。
参考文献
長谷川宏 『新しいヘーゲル』 講談社現代新書 1997年
長谷川宏は『新しいヘーゲル』のなかで、ヘーゲル弁証法の具体例として、「ひまわりの弁証法」を紹介しています。
ここにひまわりの種がある。それを地面にまくと、芽が出てくる。やがて茎が伸び、茎は葉をつけ、夏になると大きな花が咲く。花びらが散ったあと、花の中央にたくさんの大きな種がみのり、年を越して春になると、この種がまた芽を出す。それがひまわりという有機体の生命過程である。 これを弁証法的に表現するとこうなる。種が否定されて芽となり、芽が否定されて茎や葉となり、茎や葉が否定されて花となり、花が否定されて種となり、こうして有機体はおのれにもどつてきて生命としてのまとまりを得ることができるのだ、と。
ひまわりの弁証法という命名は、印象的です。これは、ヘーゲルがどこかで述べているのでしょうか。それとも長谷川宏が名付けたものなのでしょうか。ヘーゲルではなく、長谷川の命名だと思われますが、本当のところは、よくわかりません。ついでにいえば、ヘーゲルは有機体の生命過程をどこかで弁証法の例としてあげているのでしょうか。わたしは的確な答えを知りません。ただ『精神現象学』序論に次のような箇所があり、これがひまわりの弁証法と関連しているのかなと思ってみるだけです。
花が咲けば蕾(つぼみ)が消えるから、蕾は花によって否定されたと言うこともできよう。同様に、果実により、花は植物のあり方としてはいまだに偽であったことが宣告され、植物の真理として花にかわって果実が現われる。植物のこれらの諸形態は、それぞれ異なっているはかりでなく、たがいに両立しないものとして排斥しあっている。しかし同時に、その流動的な本性によって、諸形態は有機的統一の諸契機となっており、この統一においては、それらはたがいに争いあわないばかりでなく、どの一も他と同じく必然的である。そして、同じく必然的であるというこのことが、全体としての生命を成り立たせているのである。(山本信訳)
ひまわりの弁証法がどこに文献としての出自があるのかはわかりませんが、ひまわりの弁証法は、ヘーゲル弁証法の特徴を表現していると考えます。それは唯物弁証法にも引き継がれている考え方だろうと思います。しかし、それは、わたしが否定しようと考えている弁証法なのです。
長谷川宏は、ひまわりの弁証法から引きだせる弁証法の要項は「否定」と「まとまり」の二点であると述べています。
普通には、種が芽を出す、というところを、ヘーゲルはあえて「種が否定されて芽となる」とか「種の否定が芽である」とか、もってまわったいいかたをする。否定の働きをぜひとも強調したいのだ。AがおのずとBになるのではなく、Aが否定されてBが出てくる。そのようにAとBとのあいだに対立があり、その対立が変化や運動の原動力となると考えるのが弁証法の基本なのである。 もう一つ、種から出発した生命過程が何回かの否定を経て、ふたたび種にもどる――そういう形でまとまりの生じることが、右に劣らず重要な弁証法の原則である。否定に否定を重ねて、ゆくえの定まらぬ運動が続く、というのでは弁証法とはいえない。
長谷川は、AとBとのあいだに対立があるといいます。Aが否定されてBが出てくると述べています。わたしは、ここに、問題があると考えます。種と芽、これがAとBに対応しています。このA(種)とB(芽)とのあいだの対立は、時間の経過にしたがって想定されています。この「否定」によって出現する「対立」が、変化や運動の原動力として、弁証法の基本と考えられています。しかし、この「対立」は、すでに変化や運動を経験していて、原動力としては機能していないのではないでしょうか。「対立」は、そのまま変化や運動と対応しています。
ひまわりの弁証法の「対立」を、過程における「対立」と考えてみます。長谷川宏は、この過程における「対立」を根拠にして、弁証法を考えていることになるでしょう。
わたしが否定したいのは、このような弁証法なのです。つまり、ひまわりの弁証法の「対立」は、対話の「対立」とは、まったく違っていると主張したいのです。
過程における対立は、否定だけで構成されています。肯定は「否定の否定」として想定されていますが、過程における「対立」では、否定が主で、肯定は従の位置関係にあると思われます。否定と対立は一体となっていて、区別できないように思われます。これが弁証法の基本となっています。
これは、「反対の諸規定への移行」が「弁証法的側面あるいは否定的理性の側面」と規定してあることと密接に関係していると考えられます。
対立と否定と弁証法が同位にあるとすれば、過程における「対立」はヘーゲル弁証法にとって、必然的な「対立」といわなければなりません。ここに「論理的なものの三側面」の規定がそのまま三段階の進展の形式に横すべりしていく原因を見ることができると思います。ここには対話の「対立」が入り込む場所はないように思われます。
以上は、ひまわりの弁証法の「否定」について見たものです。もう一つの「まとまり」についても見ておきましょう。
長谷川はもう一つの弁証法の原則として、種から出発してふたたび種にもどるというような形で、運動にまとまりが生じることをあげていました。しかし、この指摘は「対話」とどんな関係があるのでしょう。何の関係もないと思われます。むしろ、否定に否定を重ねて、ゆくえの定まらぬ運動が続く、といった方が弁証法に近いというべきでしょう。
対話の「対立」を、「場」における「対立」と考えてみます。この「対立」は、同時的なものです。場における同時的な対立が、変化や運動の原動力になると想定しなければならないでしょう。また、場における対立は、否定だけでなく、肯定と否定によって構成されていると考えられます。同時的であることを強調するために、対立するのはAとBではなく、AとA´と表示することにします。対立するAとA´は、相互に肯定されると同時に否定されます。これが、変化や運動の原動力となり、Bが形成されると考えるのです。これが弁証法の基本であると思われます。
このような対話の「対立」に基づいた弁証法を対置するには、「論理的なものの三側面」を解体し、再構築する必要があります。これが『弁証法試論』で試みていることなのです。
単純にいえば、直列につながれている否定的理性と肯定的理性を並列につなぎなおして、最初から否定的理性と肯定的理性が一体となって同時的に進行していく形式を設定しているのです。いいかえれば、「否定」と「否定の否定」という進行ではなく、「否定」と「肯定」が同時に進行していくという設定を考えているのです。否定的理性と肯定的理性は、異なった二つの段階ではなく、一つの理性的段階です。これを弁証法の基礎に置いています。
「ひまわりの弁証法」はヘーゲル弁証法の特徴を表現していますが、弁証法(Dialektik)とは違っています。それはまったく、対話(Dialog)との関係をもっていないのです。
参考文献
長谷川宏 『新しいヘーゲル』 講談社現代新書 1997年
岩崎武雄編 『ヘーゲル』 世界の名著44 中央公論社 1978年
弁証法の語源はギリシア語のディアレクティケーだと言われています。ディアレクティケーはもともと形容詞で、ヘー・ディアレクティケー・テクネー(対話術、問答法)のように、女性名詞のテクネー(術)、デュナミス(能力)、エピステーメー(知)などと続くのが、基本的な用法ということです。弁証法の語源としては、テクネーが省略された形と考えられています。
ディアレクティケーと関連する語には、名詞のディアロゴス、動詞のディアレゲイン、ディアレゲスタイがあります。
ディアロゴスは、対話や問答で、ディア(分かつ、区別する)という接頭語とロゴスから成り立っています。ダイアローグの語源です。ロゴスは、レゲインという動詞から派生したもので、話、言葉、理論、理法などの意味をもっています。レゲインには、言う、話す、集めるという意味があります。
ディアレゲインは、ディア(分かつ、区別する)という接頭語とレゲインから成り立っていて、選別するという意味になります。また、ディアレゲスタイは対話するという意味です。(茅野良男『弁証法入門』参照)
藤沢令夫によると、ディアレクティケーは、プラトンが『国家』で作ったことばということです。しかし、プラトンは問答法や対話術としてディアレクティケーを使ったのは、2回だけで、同じ内容を動詞の不定法(「問答(対話)すること」)で表現していたと言っています。それは、ソクラテスの対話の精神を継承する姿勢を表わしていると考えられています。
ところが、プラトンのこの姿勢は、置き去りにされ、2回しか使われていないディアレクティケーは、ひとり歩きを始めたといいます。
この探求が行なわれる領域は、「ロゴスがそれ自身で、問答(対話)することの力によってこれを把握する」と言われている。「問答(対話)すること(ディアレゲスタイ)の力」というのは、先へ進んでから出てくる「ディアレクティケー」(問答法、対話術)と同じ意味を表わすが、プラトンでは、述語化されたこの女性形容詞「ディアレクティケー」はただの二回しか現われず、いま見られた「問答(対話)すること」(の力、知識)という、動詞の不定法を使った言い方のほうがずっと多い。そういう具体的なニュアンスの表現を用いることによってプラトンは、自分の構想した哲学固有の行程が、生前のソクラテスが行なっていた問答・対話の精神に根ざし、それをまっすぐに継承するものであることを、示そうとしているように思われる。 他方、ただの二回しか現われない「ディアレクティケー」という専門用語的な名詞は、プラトン以降ひとり歩きを始め、アリストテレスから近・現代に至るまで、それぞれの国の語形にそのまま移されて(dialectic, Dialektik, dialectique, etc.)、さまざまの――必ずしも原義どおりではない――意味内容をこめて多用されてきた。特にわが国では、これがなぜか「弁証法」という意味不明瞭な言葉に変えられて、この硬直した訳語が万能の魔法の杖のように乱用された。(『プラトンの哲学』)
藤沢令夫は、プラトン以降、ひとり歩きを始めた弁証法の歴史を否定して、プラトンの対話の精神にもどるべきであると主張しているように思えます。
ひとり歩きを始めた弁証法の歴史。たとえば、アリストテレスがゼノンを弁証法の創始者と考えたのは、ひとり歩きの第一歩のように思えます。また、ソフィストの詭弁的な推論を弁証法と考えたのは、その第二歩のように思えます。さらに、中世から近世にかけて、弁証法を(形式)論理学と考えていたのは、プラトンとは何の関係もないと思われます。ひとり歩きの極めつけは、ヘーゲルとマルクス主義の弁証法だと思われます。ここでは、対話が排除され、矛盾が導入されています。
わたしは、ヘーゲル弁証法の合理的核心はヘーゲルからマルクス主義への方向ではなく、ヘーゲルから古代ギリシアへの方向にあると考えています。(「5番目の弁証法」を参照してください。)ですから、藤沢令夫の姿勢に基本的に賛成です。
しかし、わたしは「弁証法」を「意味不明瞭な言葉」とは思わないし、「硬直した訳語」とも考えません。むしろ、ディアレクティケーと正確に対応した訳語ではないかと考えています。
「意味不明瞭」・「硬直」は、「dialectic」や「弁証法」という形式にあるのではなく、そこに盛り込まれた内容にあると考えます。
ふたたび、茅野良男『弁証法入門』を参照させていただきます。
弁証法は旧字体では、辨證法や辯證法と書かれていました。「辨」の意味は、分ける、わきまえる、考えわける、区別するです。他方、「辯」の意味は、分ける、明らかにする、言い争うです。また、辨も辯も、半分、という原意を持っています。一方、「證」は、人に言を升進する、告げるという意味です。
辨も辯も、半分、分けるという意味を共通にもっていて、わける、区別する、わきまえるという方向に位置づくのが辨であり、言葉、言論による話しぶりを強調したのが辯です。辨は、認識的な意味が強く、辯は表現的な意味が強いといえるかもしれません。
茅野良男は次のように要約しています。
戦前は、辯證法より辨證法の使用度のほうが高いということです。
武市健人は、「弁証法」(『弁証法の問題』所収)の中で、二つの訳語をくらべて、「辯證法」の方がよいと言っています。
訳語として弁証法には、「辯證法」と「辨證法」との二つの書き方が行なわれているが、ギリシア語の語源からいっても、辯證法の方がよい、辨は「わきまえる」、「判別する」の意味で、どちらかというと主観的、観念的な匂いが強いからである。
わたしは、反対に、どちらかというと「辨證法」の方がよいのではないかと考えます。弁証法は、対話をモデルとした「思考」方法で、「認識」における対立物の統一と考えているからです。いいかえれば「認識の弁証法」には、「主観的、観念的な匂い」が避けられないと考えるからです。
しかし、違いにこだわるわけではありません。旧字体の「辨證法」や「辯證法」の簡略体が「弁証法」なのですから、違いを認めた上で、その複合的な意味が「弁証法」に保存されていると考えればよいと思われます。
弁証法の「弁」はディアレクティケーの「ディア」と対応し、「証」は「レクティケー」と対応していると考えます。
ところで、「辨證」ということばが、はじめて現われたのは、明治の初年で、西周によるものです。しかし、これは、dialecticの訳としてではなく、discoursiveの訳語としてです。
はじめてdialecticが訳されたのは、明治14年で、「敏辨法」という訳語でした。(『哲學字彙』井上哲次郎編)この由来はよくわからないということです。
また、明治16年に、井上哲次郎は、dialecticに「辨證式」という訳語をあてています。
Dialektikが、はっきり「辨證法」と訳されたのは、三宅雄二郎『哲學涓滴』(明治22年)がはじめてといいます。しかし、三宅はヘーゲルのDialektikを、「三斷法」と訳しています。
ヘーゲルのDialektikを、はじめて「辨證法」と訳したのは、中島力造「ヘーゲル氏の辨證法」(明治24年)ということです。また、中島はカントのDialektikを「辨證論」と訳しています。
「辯證法」という訳語は、桑木嚴翼『哲學概論』(明治33年)がはじめてのようです。
参考文献
茅野良男『弁証法入門』講談社現代新書 1968年
武市健人『弁証法の問題』福村出版 1971年
藤沢令夫 『プラトンの哲学』岩波新書 1998年