今年(2007年)書いた「対話とモノローグ」の記事から、6つを選び、「弁証法試論」への導入とする。
目次
唯物弁証法の三法則の内的連関を断ち切り、「対立物の相互浸透」だけを引き継ぐ。そのとき、弁証法を表わす幾何学的図形は螺旋ではなく、楕円になる。これが、わたしの考えである。
楕円とは二つの焦点をもつ図形である。そこに二つの論理的なものを位置づけ、複合する。これが楕円を弁証法の幾何学的図形と考える理由である。弁証法の共時的構造と通時的な構造と対応しているのである。
二つのつながりに関する技術としての弁証法。主法則は、対立物の相互浸透――対話による展開あるいは否定と肯定――展開の楕円的な形式。
展開の楕円的形式を整理しておこう。
1 論理的なものを選択する主体は、図の中心に位置する。
2 二つの論理的なものは、二つの焦点に位置する。
3 二つの焦点から、混成モメントが形成される。
4 混成の軌跡は統一され楕円を描く。
例えば、ニュートンの楕円。
ニュートンは、ケプラーの惑星の法則とガリレイの落体の法則 を選択して、この二つを焦点に位置づける。順序正しくいえば、二つの法則を選択し、それぞれピンで留めた点が、焦点となる。ニュートンは、ケプラーの法則とガリレイの法則を混成する。これは楕円の作図でいえば、固有の長さの糸を用意して、その両端をピン(焦点)に固定することに対応する。固有の長さを決定することが、混成モメントの形成にあたる。ニュートンの場合、運動法則の定式と万有引力の構想である。そして鉛筆で、糸がたるまないように、また切れないように、張りつめたまま、回転していくこと、これが、天上の法則と地上の法則の統一に対応する。
わたしは螺旋と対照させて楕円をとりあげている。円と対照して楕円をとりあげたのが花田清輝だった。(「楕円幻想 ─ ヴィヨン」『復興期の精神』)
円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転するというプラトンの教義に反し、最初に、惑星の軌道は楕円を描くと予言したのは、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエであったが、それはかれが、スコラ哲学風の思弁と手を切り、単に実証的であり、科学的であったためではなかった。プラトンの円と同じく、ティコの楕円もまた、やはり、それがみいだされたのは、頭上にひろがる望遠レンズのなかの宇宙においてではなく、眼にはみえない、頭のなかの宇宙においてであった。それにも拘わらず、特にティコが、円を排し、楕円をとりあげたのは、かれの眺めいった、その宇宙に、二つの焦点があったためであった。すくなくとも私は、ティコの予言の根拠を、かれの設計したウラニエンボルクの天文台にではなく、二つの焦点のある、かれの分裂した心に求める。転形期に生きたかれの心のなかでは、中世と近世とが、歴然と、二つの焦点としての役割をはたしており、空前の精密さをもって観測にしたがい、後にケプラーによって感謝されるほどの業績をのこしたかれは、また同時に、熱心な占星術の支持者でもあった。
惑星の軌道と楕円を最初に結びつけたのがティコ・ブラーエとは、意外に思われた。わたしはケプラーだと思っていたからである。ケプラーの楕円の前にあったティコの楕円。そしてケプラーの楕円の後にあるニュートンの楕円。共通するのは「二つの焦点のある、かれの分裂した心」である。
焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、円は、むしろ、楕円のなかのきわめて特殊なばあい、── すなわち、その短径と長径とがひとしいばあいにすぎず、楕円のほうが、円よりも、はるかに一般的な存在であるともいえる。ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。
たしかに楕円のほうが円よりも一般的な存在である。さらに、円は単純な調和で、楕円は複雑な調和であるともいえるだろう。しかし、楕円は矛盾と関係があるのだろうか。「矛盾しているにも拘わらず調和している、楕円の複雑な調和」。これはレトリックだと思う。それともマルクス主義の制約というべきなのだろうか。いったい、楕円のどこが、なにが、「矛盾」しているというのだろう。「矛盾」の上に描かれている花田清輝の楕円。
エンゲルスの螺旋には、「否定の否定」の矛盾があった。花田清輝の楕円には、「レトリック」の矛盾があるといえるだろう。「矛盾」を排除して「対話」の上に描くのが、わたしの楕円である。二つの焦点に位置する「論理的なもの」、その「対話」によって描かれる楕円。これが、わたしの「楕円幻想」である。
『復興期の精神』を最初に読んだのは、「周期律の形成について」をやり直していたころである。30年ほど前である。1970年代、弁証法といえば武谷三段階論(『弁証法の諸問題』)であった。なつかしく思いだす。そのころ、わたしが見ていた弁証法は螺旋だったのである。
さあれ
20世紀の弁証法いまいずこ
上山春平は、問題解決の過程と「論理的なものの三側面」を次のように対応させていた(『弁証法の系譜』未来社 1963年)。
| 問題のない段階 | 悟性的モメント(正) |
| 問題をもつ段階 | 否定的理性的モメント(正と反) |
| 問題の解決した段階 | 肯定的理性的モメント(合) |
これに対して、わたしは次のような対応を対置した。
| 問題のない段階 | 悟性的モメント |
| 問題をもつ段階 | 否定的理性的モメント |
| 肯定的理性的モメント | |
| 問題の解決した段階 | 悟性的モメント |
対置の要点は二つあった。一つは、問題の解決した段階は悟性的モメントでなければならないことである。もう一つは、否定的理性的モメントと肯定的理性的モメントは二つの段階として区別できるものではなく、否定的理性的モメントと肯定的理性的モメントは一体となって一つの理性的段階を構成していると考えたことである。
また、「対立物の統一」における認識の進行形式を次の図式で表現した。
悟性―理性……理性―悟性
「悟性―理性」が問題の発生、「理性……理性」は問題を解いている段階、「理性―悟性」は問題の解決である。
「悟性―理性」の過程では理性が悟性よりも優位にある。ここでは矛盾は許容される。しかし、「理性―悟性」の過程では、悟性が理性より優位にあり、矛盾は許容されない。ここでは規定に普遍性の形式を与えなければならないからである。
「理性―悟性」の関係は、弁証法と矛盾律の関係を明確にする上で重要だと考えた。ヘーゲルは悟性に対する理性の優位を指摘するだけにとどまっているようにみえたからである。これは問題の発生に対応する見方であって、問題の解決に対応していないと考えたのである。理性に対して悟性が優位になる局面を設定することによって、弁証法が矛盾律の上で流動していることを明確に図式化しようと考えたのである。
「論理的なものの三側面」は悟性的・否定的理性的・肯定的理性的という表現のほかに、抽象的・弁証法的・思弁的という表現がある。また、悟性・弁証法・思弁という表現もある。
ヘーゲルは、論理的なものの最高の段階を思弁的(シュペクラティーフ)と特徴づけているのである。
牧野紀之の『小論理学』(鶏鳴出版 1989年)を読んでいて、興味ある注解を見つけた。かれは、「思弁」という訳語は正しいのかと疑問を表明していたのである。また、「シュペクラチオーン」(Spekulation)の訳語の「思弁」と「フェアシュタント」(Verstand)の訳語の「悟性」は、逆の方がふさわしいのではないかと指摘していたのである。
「シュペクラチオーン」の訳語として「思弁」という訳語は、誰が考え出したのか知らないが、正しいのかどうかということである。この場合の「思」は思考であり、「弁」は弁別の弁で、「区別してはっきりさせる」ということだろうから、むしろ「フェアシュタント」の訳語にふさわしい。逆に、「フェアシュタント」の訳語となっている「悟性」は、了解、分かる、つまり「事の核心をつかむ」というところからきているのだろうし、「イッヒ・フェアシュテーエ」という場合はたしかにそうだろうが、ヘーゲルの「フェアシュタント」の訳語としては「思弁」の方がふさわしく、「シュペクラチオーン」こそ「全体を一度に見る」つまり「悟る」のだから、「悟性」とした方がよいように思われる。定着している訳語を変えるのは大変だが、実際には変えないまでも、時々反省してみることは必要である。(『小論理学』訳者による注解)
「シュペクラチオーン」こそ「全体を一度に見る」つまり「悟る」。よいではないか。「悟性」が、「フェアシュタント」(Verstand)と「シュペクラチオーン」(Spekulation)の間で流動化する。抽象と思弁に二重化する。「悟性」がはじめとおわりに出てくるのは、「論理的なもの」の進行形式としてふさわしいのかもしれない。
悟性―理性……理性―悟性
「ε とμの複合」をまとめるとき、わたしは『人物で語る物理入門』(米沢富美子 岩波新書 2005年)を引用した。そのとき、「連立」ということばに、とてもいい響きを感じていた。「複合論」と共鳴していたのである。
米沢富美子は、2度、「連立」ということばを使っている。
最初は、マクスウェルが、アンペールの法則・ファラデーの法則・磁場に対するガウスの法則・電場に対するガウスの法則を「連立」させ、電場の変動が回転的な磁場を作るという考えを付け加える場面。
次は、4つのマクスウェルの方程式を「連立」させ、波動方程式を導く場面である。
最初の「連立」は、「選択―混成」と対応する。次の「連立」は「混成―統一」に対応する。わたしはこのようにみていた。
マクスウェルは光の本質は電磁波であると考えた。そのマクスウェルの発想のなかの弁証法の過程を、米沢富美子さんのことばでまとめると、次のようになる。
1 選択
「アンペールの法則」 電流は、回転的な磁場を作る
「ファラデーの法則」 磁場の変動は、回路に電場を作る
2 混成
「マクスウェル法則」 電場の変動は、回転的な磁場を作る
「ファラデーの法則」 磁場の変動は、回転的な電場を作る
3 統一
「磁場のみが現れる式」 横波に対する波動方程式の形
「電場のみが現れる式」 横波に対する波動方程式の形
「選択―混成」に対応する「連立」は、総合的であり、理性的である。これに対して、「混成―統一」に対応する「連立」は、分析的であり、悟性的である。
中谷宇吉郎の「電磁波の存在を示す数式 」(『科学の方法』)を初めて見たのは、複素過程論を弁証法の理論として見直していたころである。
まだ形はできていなかったが、中谷宇吉郎のA)B)C)の三段階に、わたしが求める弁証法の端的な表現を見る思いがしたものである。暗中模索のなかの一条の光。電気と磁気の統合過程に執着してきた理由である。
マクスウェルは光の本質は電磁波であると考えた。その発想のなかの弁証法を抽出すると、次のようになる。
1 選択
「アンペールの法則」 電流は、回転的な磁場を作る
「ファラデーの法則」 磁場の変動は、回路に電場を作る
2 混成
「マクスウェル法則」 電場の変動は、回転的な磁場を作る
「ファラデーの法則」 磁場の変動は、回転的な電場を作る
3 統一
「磁場のみが現れる式」 横波に対する波動方程式の形
「電場のみが現れる式」 横波に対する波動方程式の形
これを式で表せば、次のようになる。
弁証法の図式で説明してみよう。(「εとμの複合」では、自己表出と指示表出による説明は割愛したので、補充しておきたい。)
アンペールの法則の自己表出と指示表出は「回転的な場の出現」に関連するものと考えられる。これに対して、ファラデーの法則の自己表出と指示表出は「場の変化」に関連するものだったと考えられる。
2つの法則の自己表出と指示表出が関連しあい、回転的な場の出現と場の変化の関係を構成する。
| c | ← | bi | + | a | → | di |
| + | ↑ | ↓ | + | |||
| bi | ← | c | + | di | → | a |
ここで、上の中央の bi + a をアンペールの法則としよう。下の中央の c + di がファラデーの法則である。
右側の混成モメント di + a は、アンペールの自己表出 とファラデーの指示表出 から構成されている。これは、アンペールの自己表出(回転的な場の出現)とファラデーの指示表出(場の変化)とが結合する方向を示している。つまり、アンペールの法則の i (電流)を、電場の変化として捉えなおすことを意味している。
これが右側の混成モメント di + a に対応する式である。変化する電場は回転的な磁場を生み出すことを表している。
これに対して、左側の混成モメント bi + c は、ファラデーの自己表出 とアンペールの指示表出 から構成されている。つまり、ファラデーの自己表出(場の変化)とアンペールの指示表出(回転的な場の出現)とが結合する方向を示している。
これが左側の混成モメント bi + c に対応する式である。これは変化する磁場は回転的な電場を生み出すことを表している。
「マックスウェルの発想と複合論」では、エールステッドの法則とファラデーの法則からはじめている。「ε とμの複合」ではアンペールの法則とファラデーの法則からはじめた。エールステッドではなく、アンペールの法則からはじめたので、磁場と電流の関係を表す法則の自己表出と指示表出を「場の出現」ではなく、「回転的な場の出現」とした。選択と混成の関係を、簡潔に描けたのではないかと思う。
堀江忠男は、Hic Rhodos, hic salta! を、「ここがロードス島だ、ここで跳べ!」ではなく、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」と訳している(『マルクス経済学と現実』学文社)。わたしには、踊ると跳ぶの違いは、肯定と否定の違いに等しく、違和感を覚えるのであった。
「踊る」のイメージは、現実に対する肯定的認識、現実との和解、観想の立場と結びついていて、「跳ぶ」のイメージとは、かけ離れていたのである。わたしのこのイメージは、許萬元の『弁証法の理論』から来ている。
「哲学がその灰色を灰色にえがく時には、生命の姿は老いている。そして、灰色を灰色にえがいたところで、生命の姿は若返らせられるのではなく、ただ認識されるだけなのである。」
すでに見られたように、一般に歴史的、実践的な立場は「青年」の立場であるが、反歴史的、非実践的な観想の立場は「老いたるもの」の立場であり、ここにいう「認識」の立場なのである。現実を実践的当為にもとづいて根こそぎ改革しようとする若者とは異なって、老いたるものは、むしろ現実に対する肯定的認識によって現実そのものと融和することをめざすのである。完成した現実は存在する理性そのものである。だからヘーゲルは、「ここにバラがある。ここで踊れ」という。
「バラとしての理性( die Vernunft als die Rose )を現在の十字架のうちに認識し、よってもってこれを楽しむためには、この理性的洞察は、現実との和解( die Versohnung mit der Wirklichkeit )を概念的に把握( begreifen )しなければならないのである。」
わたしは、踊るを「老いたるもの」の立場、跳ぶを「若者」の立場と対応させて理解してきた。いいかえば、踊るは肯定的理性、跳ぶは否定的理性と関連し、ハムレットの表現をかりれば、踊るは「to be」(このままでいい)、跳ぶは「 not to be」(このままではいけない)と対応すると考えてきたのである。
いったい、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」などという訳はありえるのだろうか。
しばらくして、堀江忠雄が『弁証法経済学批判』のなかで、意図的に「跳べ」ではなく「踊れ」を選択していることを知った。次のように説明していたのである。
余談だが、ここのHic Rhodos, hic salta! は、「ここでロードス島だ、ここで跳べ」と訳されている場合が多いのに、「ここで踊れ」と訳したのは次の理由からだ。ヘーゲルの『法の哲学』の序文に Hic Rhodos, hic saltus. という言葉がある。これが「ここがロードスだ、ここで跳べ」である。これは『イソップ物語』に出てくる寓話の一節で、あるほら吹きがロードス島でものすごい飛躍をしたと自慢したので、聞いた人が「ほんとだったら、ここがロードス島だと思って、跳んで見せろ」といったら、参ってしまったという話だ。
さて、ヘーゲルはついで「さきの慣用句はすこし変えればこう聞こえるだろう。Hier ist die Rose, hier tanze! これがローズ(ばら)だ、ここで踊れ!」(以上、両文とも Hegel, Grundlinien der Philosophie des Rechts, HW, 7, S. 26.にある。二章(8)の資料 『世界の名著――ヘーゲル』171〜3ページ参照。)これをラテン語に書きなおせば Hic rodon, hic salta! である。マルクスはおそらくこの両方を知っていて、Hic Rhodos, hic salta! 「……踊れ」と書いたのであろう。
Hic Rhodos,hic saltus. の「saltus」が「跳べ」、Hic rodon, hic salta! の「salta」は、「tanze」(ドイツ語の踊れ)のラテン語訳で「踊れ」である。それゆえに、Hic Rhodos, hic salta! の「salta」は「跳べ」ではなく「踊れ」である。このように堀江忠男は推測している。
この推測は、まちがっていると思った。というのは、わたしは「salta」は、「 salto 」(跳ぶ)の命令形として存在しうることを知っていたからである。
『世界の名著44ヘーゲル』を見てみると、 Hic Rhodos, hic saltus.(ここがロドスだ、ここで跳べ)には、次のような注が付いている。
『イソップ物語』にあるほら吹きが、ロドス島でものすごい跳躍をやらかしたこと、おまけにそれを見ていた証人がいたことを自慢したので、聞いていた人が「お前さん、もしそれがほんとうなら、証人なんかいらない、ここがロドスだ、ここで跳べばいい」といった話がある。
また、「ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ。」(Hier ist die Rose, hier tanze!) には、次のような注が付いている。
ギリシア語のロドス(島の名)をロドン(ばらの花)、ラテン語の saltus(跳べ)をsalta(踊れ)に「すこし変え」たしゃれ。ヘーゲルはここにギリシア語もラテン語も記してはいないが。
この注は、まぎらわしい。 Rhodos と rodon、また saltus と salta が、韻を踏んでいることはよくわかる。しかし、ここには、saltus に「跳べ」、salta に「踊れ」と訳が付いている。おそらく、この訳が、堀江忠男の推測を歪めたのではないだろうか。
おそらく、マルクスは、両方とも知っていた。両方を知っていて、Hic Rhodos, hic salta! 「……跳べ」と書いたのである。これが、わたしの推測である。
salta を「踊れ」と訳すのは、マルクスをヘーゲルと間違えるのと同じことのように思える。許萬元のことばでいえば、「踊る」は「絶対的総体主義にもとづいた歴史主義」、「跳ぶ」は「絶対的歴史主義に立脚した総体主義」と対応するのである。
堀江が「踊れ」を選択した理由を読んでいて、なじみがなかったのは、 Hic Rhodos, hic saltus. の表現である。調べてみることにした。"saltus" "salto" で検索すると、松原聡の「座右の銘」が出てきた。すべて解決した。
Hic Rhodos, hic saltus!
定訳は「ここが、ロードス島だ、ここで飛べ!」(「飛べ」ではなく、「跳べ」がいいのではないだろうか。――引用者注)。これでは、なんのことか、さっぱりわかりません。私が初めてこの語に出会ったのが、カール・マルクスの『資本論』でした。マルクスは、ヘーゲルの『法の哲学』からの引用です。
実は、『資本論』では、Hic Rhodos, hic salta! となっており、『法の哲学』では、Hic Rhodos, hic saltus! となっています。
そして、"saltus" と "salta" の違いについて、森田信也(東洋大教授)の見解を紹介している。
マルクスが資本論の中で使った salta は、salto「跳ねる、踊る」の命令形ですが、ヘーゲルが使った saltus は、「跳躍」という意味の名詞の対格(=直接目的格)で、おそらく ago「する」の命令形 age「〜をしなさい」が省略されていると考えるのが、最も妥当かと思われます。どちらも正しいラテン語で、どちらも同じ意味です。
まとめると、salta は「跳ねる」という動詞の命令形、saltus age は「跳躍をする」というという動詞「する」+名詞「跳躍を」で、saltus は、名詞の対格です。
例えば、英語でも、We wish you a Merry Christmas! の代わりに、単に Merry Christmas と名詞だけで言うのに似ています。定型文で、慣用の度合いが高いほど、名詞だけで表現される例が多いようです。
salto が原形で、「跳べ」でも「踊れ」でもどちらでもいいのである。saltus が「跳べ」、salta が「踊れ」ではなく、どちらも「跳ぶ・踊る」の意味を持っていて、saltus が名詞の対格、salta が動詞の命令形ということである。
「salto」が、跳ぶになったり、踊るになったりするのは、文脈によるのである。イソップの寓話は「五種競技の選手」の話なのだから、跳ぶがいいのではないだろうか。
ただし、わたしが手にした辞典(研究社 羅和辞典)では、salto に「踊る」の訳だけ、saltus に跳躍の訳だけが載っていた。Cassell's Latin Dictionary では、salto には、to dance,esp. with pantomimic geatures また、saltus には a spring, leap, bound とあった。salto 自体は、踊るの意味が優先するようである。
また、Hic Rhodos, hic salta! を「ここにロドス島あり、ここにて跳べ」、 Hic Rhodos, hic saltus! を、「ここにロドス島、ここに跳躍」と訳している辞典もあった。文法に忠実に動詞と名詞を訳し分けているのである(「ギリシア・ラテン引用語辭典」岩波書店)。
わたしは、堀江忠男の「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」の訳に違和感をもっただけではない。かれが紹介するイソップの寓話にも、とまどったのである。マルクスの引用の前後を含めてとりあげてみる。
この問題提起のところ(第四章第二節の終わり)で、マルクスは次のような気負った文章を書いている。
「資本は流通から発生しえないのと同様に、流通において発生しえないのでもない。それは流通において発生しなければならぬと同様に、流通において発生してはならぬ。……
貨幣の資本への転化は商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物同志(ママ)の交換が出発点たる意義をもつ。まだ資本家の幼虫として存在するにすぎぬわが貨幣所有者は、商品をその価値で買い、その価値で売り、しかも過程の終わりには、彼が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならぬ。幼虫から成虫への彼の発展は、流通部面で行われねばならず、しかも流通部面で行なわれてはならぬ。以上が問題の条件である。ここがロードス島だ、ここで踊れ!」余談だが、ロードス島というのは、ギリシアの東南方の海上、トルコ半島の西南端に近い島で、紀元前から地中海貿易の要衝だったところである。したがって、芝居、奇術、踊りなどの興業が盛んだったらしい。アイソフォスの寓話のなかに、ロードス島で他人が真似のできないほどすばらしく踊ったという人にむかって「ここでロードス島だと思ってもう一度踊ってみよ」といった話がある。
「他人が真似のできないほどすばらしく踊った」? これでは、アイソフォスとイソップは別人ではないか。異説があるかもしれないから断言はできないが、「踊る」の訳を自然にするために、堀江忠男が捏造した寓話ではないだろうか。
堀江忠男は「貨幣の資本への転化」の展開には、3つの誤りがあると指摘していた。この指摘のなかで、「踊り」は重要な役割を担っている。
労働力が商品となるのを契機として剰余価値が発生し、貨幣が資本に転化するという考え方は、商品の内包する、使用価値と価値の対立を出発点として資本主義の発生・発展・死滅を論ずる『資本論』の弁証法的理論構造の、不可欠な一環を構成するものである。それが、言葉のアヤと踊りの主役の無断変更と、さらに舞台装置の間違いから生じた錯覚であったということになれば、『資本論』は弁証法の模範的な適用である、という一般の評価、『資本論』は弁証法の論理学であるというレーニンの有名な言葉も、根底から考えなおしてみる必要があろう。
「踊りの主役の無断変更」、「舞台装置の間違い」は、「ここがロードス島だ、ここで踊れ!」に起因しているのである。それが、「虚偽」によるものだとしたら。わたしは堀江忠男を評価する記事を書いてきていた(〈幻視のなかの弁証法 〉 、〈濁りの引き継ぎ〉 、〈「濁り」と「論述あいまいの虚偽」〉)。見逃していたものがあったのではないか。『資本論』の弁証法とともに、堀江の指摘する3つの誤りも、根底から考えなおしてみる必要を感じるようになったのである。
『マルクスもうひとつの弁証法――「貨幣の資本への転化」について』
ところで、わたしは「salta」が「 salto 」(跳ぶ)の命令形であることを知っていたと述べたが、20年ほど前に、調べたことがあったのである。そのころ、わたしは、科学論に関心があった。わたしなりに科学哲学の問いを設定するときに、フォイエルバッハが、どこかで「ここがロドスだ、ここで跳べ」と対照して「ここがアテナイだ、ここで考えろ」という表現を提示していたことを思い出した。フォイエルバッハのいいかえは、わたしの問題意識を集約する表現のように思え、これをラテン語でどのようにいうのかを知りたかったのである。本には、ラテン語は並記してなかったので、『資本論』の Hic Rhodos,hic salta! を参考にして、作文しようと思ったのである。そのとき、「salta」が「 salto 」の命令形であること知り、これと対応させて、考える( cogito )の命令形を「 cogita 」と活用して、次のように作ったのである。
Hic Athenae, hic cogita!(ここがアテナイだ、ここで考えろ)
そして、わたしは、これを『もうひとつのパスカルの原理』のなかで、次のように使ったのである。
この過程は、バシュラールやケストラーが描くように、奇妙な過程なのだ。それは「自分自身の運動を支えとしている」し、また「あてにならない直感に頼っている」のだ。いま、まさに私たちがこの奇妙な過程に入っていくのである。一度でもこの過程の内部に立ち入ったことのある者なら、その難しさを知っていることだろう。しかし、困難が前途をさまたげてもけっしてへこたれないようにしよう。この過程の入口には、地獄の入口とおなじ次のような要求が掲げてあるのだから(マルクス『経済学批判』参照)。
「ここでいっさいの優柔不断をすてなければならぬ
臆病根性はいっさいここでいれかえねばならぬ」この過程に入っていくとき、かれ(科学者)は対象について未知であり、この過程から出てくるとき、かれは対象を把握している。この過程の初期において、対象は知の「さなぎ」として存在しているにすぎないが、この過程の終期において、対象は知の「蝶」として存在している。かれの対象がさなぎから蝶へと転化していく過程、つまり未知と知の関係は、さなぎの形姿(Form)が蝶の形姿とまったく異なるように異なっており、さなぎの構成(Gestalt)が蝶の構成と対応しているように対応している。この過程に入っていくまさにその瞬間、かれは、はるかかなたの恒星が光ったとひとり信じている。この過程のまんなかで、かれはその光がとどくのをじっと待っている。そしてこの過程から出てくるとき、かれはまさにその光が地球に降るさまをみている。これが着目している過程の条件である。Hic Athenae, hic cogita ! (ここがアテナイだ、ここで考えろ!)
いくつか感想を述べさせてもらう。
バーネットという科学哲学者は、科学とはギリシア人のように考えることだという科学の定義をしていた。アテナイは、それを念頭に置いたものだったと思うが、いまは、ラファエロの「アテネの学園」と関連させたい気分である。
「気負った文章」を書いたものだが、それでも、場所を限定し、探究していこうとする精神は表われているようなので、まずまずかなあと思う。
下敷きにしたマルクスのロードス(「貨幣の資本への転化」の条件)と比べてみて、わたしのアテナイ(「知の形成過程」の条件)には、矛盾律に挑戦する姿勢が表われていないことに、安心する。似させて書いたつもりだったが、いま読むと、あまり似ていないのではないかと思う。
初出は、「試行」71(1992年5月)である。『もうひとつのパスカルの原理』は、ここまで(第4章)「試行」に、載せてもらった。
さて、記憶はあてにならないものである。こんど、フォイエルバッハが、どこで、「ここがアテナイだ、ここで考えろ」といっていたかを探してみた。『将来の哲学の根本問題』にはなかった。『唯心論と唯物論』にあったのだが、信じられなかった。
そこには、「跳べ」ではなく、「踊れ」とあったのである。
すなわち我は単に、ここで思惟し、ここにあるこの肉体のなかで思惟し、とくにあなたの頭の外にあるこの頭のなかで考えるこの個体の言語上の省略法にすぎない。ただ「ここがロドスだ、ここで踊れ!」といわれるだけではなくて、また「ここがアテナイだ、ここで考えよ!」ともいわれるのである。(船山信一訳 岩波文庫)
角川文庫 桝田啓三郎訳 も見たが、同じように「踊れ」であった。
単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
これには訳注がついていた。
アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodos,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。
この訳注では、「跳べ」と「踊る」が混在しているようである。
いったい、船山信一も桝田啓三郎も、どんな理由で「跳ぶ」ではなく、「踊る」と訳したのだろう。堀江忠男と同じなのだろうか。違う理由があるのだろうか。岩波文庫の初版は、1955年である。角川文庫の初版は、1962年である。そのころは、「踊る」が主流だったのだろうか。
しかし、間違っている。ロードス島では踊らないのである。ロードス島では跳ぶのである。
「踊る」のはバラ(薔薇)、「跳ぶ」のはロードス島、「考える」のはアテナイである。
3人の哲学者のラテン語を読んで、終わりとしよう。
ヘーゲル
Hic rodon, hic salta! (ここに薔薇がある、ここで踊れ!)
マルクス
Hic Rhodos, hic salta! (ここがロードス島だ、ここで跳べ!)
フォイエルバッハ
Hic Athenae, hic cogita!(ここがアテナイだ、ここで考えろ!)
弁証法は、対話をモデルとした思考方法で、対立物を統一する技術である。これがわたしが主張している弁証法の新しい考え方である。複合と名付けたが、吉本隆明のことばを借りて、対幻想といってもいいような気がしてきた。「ペアになっている幻想」。「論理的なもの」の対(ペア)。
大文字の対幻想は、全幻想領域の構造を解明する軸の一つとして提起されたもので、家族や男女の問題をあつかう。
小文字の対幻想は、「対」に二つの「論理的なもの」を対応させるもので、共時的な構造と通時的な構造から出現する「幻想」(fantasy) をあつかう。
小文字の対幻想は、大文字の自己幻想として現われ、共同幻想に向かう。