魂・精神・肉体
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魂と精神、肉体の差について向こうの世界で認識されている事を書きます。 まず注意したいのは、魂と精神はよく混同されがちですが、別の状態だということです。 どれも大切なものではありますが、存在の大きさというかエネルギーの可能性の大きさから言うと魂>精神>肉体となります。 この世界で言うなら、魂は「無意識」、精神が「意識」、肉体はそのまま「肉体」です。 今の私達は魂の部分をなかなか意識して感じる事ができません。だからこそ無意識と呼ばれているのですが。 でも、あちらの世界ではもっと「魂」部分の知識やエネルギーを自分のものとして意識して感じる事ができます。 また、「魂」は不滅です。質量保存の法則じゃないですけど、まさに「状態は変わってもそのエネルギーが失われることはない」のです。 「全」としての魂が「オン」だとすると、「個」としての魂が私達の「本体」ということになります。 ただし「個」としての魂は実は「個」として分割されている…離れているわけではないそうです。 「濃度」の差が「個」を作っているのであって、魂同士は実は全て繋がっているのです。 ですから私もあなたも神と呼ばれるものも実は全て繋がっているのです。 これが「全ては神(全)である」という事ですね。 でも実際問題私達が「魂」と呼んでいるのは「個」の部分の魂ですよね。 で、「魂」というのは突き詰めれば「エネルギー」です。そしてそのエネルギーとは「意志」なのです。 そして「意志」により「出会い、結合し、創造し、進化する」のです。 つまりある方向性を持って出会ったエネルギーの粒子の集合が「密度」の違いを作り出し、それによって「状態が変わって見える」部分を作っている、これが「個」です。 大元は一緒のものですが、目的別に集合するとそれはまたその集合体としての目的・意志を持ち、行動し、他の部分からは区別されて見えるということですね。 たとえるなら、ある人々がどこかへ旅行に行こうというツアーで集まったとします。すると集まった人々は「どこどこ行きツアーメンバー」という自己の認識を持ちますし、周りからも「あ、どこどこ行きツアーの方ですね」と言われる。でもメンバーの一人一人の本質が変わったわけでもなく、「人間」という分類から外れたわけでもありませんよね。 ただ、ある意志を持って集まったものはその「集合体」として認識される、ということなのです。 この「目的別によるエネルギーの集合」こそが「個としての魂」なのです。 そして肉体とは「その目的に向かい、様々な事を実体験する」為のものです。 たとえばロールプレイングゲームをするとして、「キャラクター」が「肉体」です。ゲームの中でキャラクターはあなたの分身として動きますよね。 そして、操作している「あなた」が「魂」と呼ばれる部分です。 そしてそのゲームを作ったのが「神」です。そのゲームの中には「全て」がすでに入っていますよね。グッドエンディングもバッドエンディングも様々な途中経過も「全て」あります。 私達の選択と操作で進み方が刻々と変化するだけなのです。 そして、そのゲームの世界観においてそのキャラクターが考えたり悩んだりしていること…これが「精神」なのです。 つまり魂>>>>>精神>肉体というくらい魂は他の部分とは認識の幅が違うのです。 ですから、現在とあるロールプレイングゲームのキャラクター状態の私達からは、なかなか「本体」である魂の存在に気付いたりはしにくいものなのです。 また、気付いたとしても、その「個としての魂」にあなたが思っているような神秘的な「完璧」を期待してもだめです(笑)。 その魂もまた「認識の度合いが多少違うプレーヤー」でしかないのですから。 「個」としての魂が完璧に全てを知っているわけではないのは、「そうしたら面白くない」からなのです。 「全」としての魂(オン)がゲームを造ったとして、製作者=プレーヤーではそのゲームを「ゲームとして楽しめない、ゲームとしての出来栄えを正確に判断できない」と思ったとします。 そこでそのゲームの製作過程や内容を全て忘れた「プレーヤーとしての自分」を造り出したわけですね。 それが「個」たる魂です。 ですから、ゲームの内容やウラ技を全て憶えてしまっている状態では面白くない=意味が無いのです。 ですからあなたの「本体」である「個としての魂」の存在をなにかしら意識したり、時には認識してキャラクターである自分側からコミュニケーションをとる!なんてことがたまに出来たとしても、そこに「ゲームの全ての内容やウラ技、これからのストーリー展開」などを聞いても無駄なのです。 その「魂」もまたあなたなのですから、自分で選択し、今後のストーリーを楽しみに進むしかないのです。 どちらも「あなた」です。でも「状態が違う」のでお互いに相談したり、会話したり、時にはあちらの状態を教えてくれるかもしれません。 私とリアラスの関係はそんな感じなのです。 そして「私」というキャラクターはあるエンディングを迎えたら役目を果たすでしょう。これがここにおける死です。 しかしまた別のキャラクターとして別のストーリーを体験すべく私の魂が遊びはじめるでしょう。 そして「私」として体験された事は本体である「魂」の記憶となるのです。 つまり「死」とはキャラクター変えの事であって「新たなストーリーを体験する」ために行われる事なのです。 「キャラクター」としての私は確かに消えるのですが、私の「正体」はプレーヤーである「魂」なのです。 そしてその「魂」にもまた似たような「死」が訪れ、いずれ製作者である「全」としての魂(オン)に「体験したという記憶のおみやげ」を持って戻るわけですが。 いずれにせよ「死ぬ」ことで全ての記憶が失われ、無になる事はありません。 しかし「死ぬ」ことによって魂のリニューアルがされるので、オンに戻るまでは基本的には記憶は忘却されているのです。 ただし、この第5世界はちょっと特殊な状態にあるので、第1世界および第4世界にある「本体」が死ぬまで第1,4世界に戻った時点では記憶は失われません。 第5世界内でのキャラクター変え(転生)においては記憶は忘却されていますが、「本体」としての第1,4世界人の魂としては記憶しているのです。 これは「本体」である第1、4世界側でのその魂が「死んだ」わけではないからなのですが…。 これについてはいずれまた説明します。 |