そもそも・治療院・などという、何とも大ざっぱな名称は
一体いつからあったのだろうか。
私が子供のころは、・もみ療治・の看板は記憶にあっても
・治療院・の名は、見かけなかったように思うのである。
まあ、それはともかくとして
なぜ?私がいまさら・たかが治療院されど治療院・などと
大げさに銘うって、こんなことを述べる気になったのか?
それは、今もって医師の中には、治療院的施術に対し
相も変わらず否定的な目でみる方々が、以外に多いという
その現実を、改めて知る事由にぶつかったからである。
これは、実に残念なことではある。
長い間にわたって、優れた各諸先輩方の手により
医師が、治癒を断念したいくつかの疾病において
この施術を以て、多くの患者さんたちの危機を救ってきた
そんな事実があることも、是非知って欲しいものである。
ここに、私の身近に起きた、ひとつの実例がある。
Oさんという、現在は、私の患者さんであるこの方は
20数年前、作業中の落下事故によって、腰臀部を強打し
結果、右足の、血行不全に陥ってしまったことがある。
大病院で、回復治療をはかるも、経過はおもわしくなく
ついには、動かすことはもちろん、すべての知覚も消失し
まるで血の通わない、マネキン人形の足も同じであった。
ここに至って、病院側が、最後に下した結論は
「このままだと、足が腐って、命に関わる危険がある。もはや、切断するより方法がない」というものであった。
それでも、あきらめきれないOさんは、知人の薦めに従い
ワラをもつかむ思いで、あるマッサージ師の元を訪れた。
それから毎日、奥さんと二人三脚で、通院を開始。
しかし、1ヵ月過ぎても、何の効果も現れてはこない。
「やはり駄目か」 絶望感が、ふたりの胸を支配する。
ところが、治療も2ヶ月目の終わりに入ったころだった。
わずかだが、強く押すと、何かが触れているような感覚を
次第に覚えるようになってきたのである。
こうなると、Oサンも希望がわいてきて、気力も充実。
こういうことは、当然、治療効果に反映してくるものだ。
3ヵ月を過ぎたころには、少しずつ血液が通い始め
あれほど冷たかった右足も、序々に温か味をましていき
治療開始から、半年後には、多少のしびれ感は残るものの
ついには、働けるまでの、回復をみるに至ったのである。
「切断しなければ、命も危ない」
そう宣告された足が!である。
Oサンは笑っていう
「あのまま、病院のいうなりにしていたら、私の足は、付け根からなかったのです。マッサージ様様ですね」と。
また、私の師匠にあたる、ある治療院の先生は
オートバイの事故で、半身不随になった常連の患者さんの
「病院のリハビリでは、自分の体は元には戻らない」との
信念にも似た思いから、周囲の反対を押し切って退院し
毎日戸板に乗せられてやってくる、その信頼に応えようと
懸命に治療を行い、2年間かけて、完全回復させた話しを
うれしそうに語ってくれたものである。
無論、こうした成功例が、いつもかもあるわけではない。
それでも、あることは、まぎれもない事実なのである。
また、こんなに極端ではないが、私自身の経験においても
長期間、整形外科に通院するも、さほど効果の上がらない
いくつかの症において、数度の施術で治したこともある。
自慢でいうのではない。
逆に、症状によっては、病院を薦めることも多いのだ。
つまりは、どんな治療法が適しているかということであり
注射や薬などより、人の手による、治療院的施術の方に
より適応する疾病も少なくないということなのである。
最後に
ある医師は、自身の、心臓病での入院がきっかけとなり
機械や薬に頼る、無味乾燥の現代医学に限度を覚え
人と人との、血の通い合った治療がしたく思うようになり
退院後は、いっかいの町のマッサージ師に身を転じて
多くの人の、心身ともの支えになっているという話しを、
この章のしめくくりとして付け加えておきたい。
そして、もう一度声を大にしていわせていただく。
たかが治療院 されど治療院!
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