孔雀明王

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梵語名偉大な孔雀Mahāmayūrividyārājñi(マハ―マユリー)の訳で音訳として摩訶摩瑜利(まかまゆり)と記述されることもあるが多くは「仏母大孔雀明王」と言い鳩摩羅什や義浄訳が4世紀前半に中国に伝わったが、8世紀の不空訳・「仏母大孔雀明王経」が多く用いられている、一説にはインドでは孔雀明王が最初に登場したと言い、その典拠としては「孔雀明王経」であるとの説がある。
インドに於いて中世には女尊が多く誕生している内の一尊である、本来女性尊であるが准胝観音等と共に漢訳された時点で性別は消滅する、しかし明王のなかで憤怒相でないのは発祥が女性尊である事に由来している。
経典には空海が請来した不空訳による「仏母(ぶつも)大孔雀明王経」と「仏説大孔雀明王画像壇場儀軌」(がぞうだんじょうじき)があり、陀羅尼の持つ呪力を尊格とした明王である、インドに於いては成立当初菩薩であったとの説もあり、明王の中で最初に成立したのが孔雀明王である、孔雀佛母菩薩・孔雀王母菩薩とも呼ばれ、孔雀が仏格化されたもので中国の寺院にも孔雀明王は多く奉られている、明王としては唯一面相及び外形も慈悲を表した菩薩形であり女性尊と解釈できて馬頭観音の憤怒相と対照的である、因みに密教では女尊を総称して明妃(みょうひ)と呼ぶ。 
孔雀はヒンズー教の女性神(偉大な孔雀)信仰を佛教に取り入れられた、三毒すなわち(とん)(じん)()を食す吉鳥すなわちインドの国鳥であり害虫・毒蛇(コブラ)を喰う孔雀を信仰の対象として成立した、また孔雀には雨季に対する予知能力があることから祈雨法にも用いられた、インドでは弁才天等の乗り物として信仰されている。 
仏母大孔雀明王経に拠れば「マハーマユリー仏母大陀羅尼」を唱えれば諸々の毒・厄難・畏怖・の除去及び延命息災・安産・天変等の安全祈願,
すなわち悉く皆が解脱して寿命百歳にして百秋を見て、明力成就し所求の願を満たす、等があるとされる。 
経典としては仏母孔雀明王経があり、孔雀明王を本尊としたとした密教呪法が「孔雀経法」とされる、孔雀経法による祈願は真言密教に於いては鎮護国家を願う大法であり、孔雀明王の重要性が強調されるが禁裏を始めとする貴族社会と一部修験者の信仰を受けたげ衆生に信仰を受ける事は無かった。
  
孔雀明王像は本生譚(注1即ちジャータカにも描かれており、キリスト教イスラムの宗教美術にも強い影響力を与えたとされる。
日本に於いては密教経典の請来と共に盛んになるが、明王の中では最初に請来され奈良時代頃からの信仰がある。
日本霊異記には「孔雀王の呪法」が存在し創建当初の西大寺金堂に安置されていた記録もある、前述の日本霊異記には役行者(役小角)のが孔雀明王の呪法を習得したと言う伝承記述がある、役行者の法系にある道鏡の信仰も篤く西大寺資材帳には如意輪観音と共に孝謙天皇と共に建立した西大寺に安置されたとされている、この祈祷・呪術は山岳信仰の修験者の大敵である蝮等の被害回避に用いており空海もこれを取り入れ真言宗の重要な呪術の一つに数えられた、この祈祷は仁和寺の得意とする呪法で、ここには南宋時代の作で国宝の孔雀明王像がある、御室派、広沢流に於いても行われた様であり、また天台宗に於いても用いられた。 
姿形としては前述の「大孔雀明王画像壇場儀軌」に拠れば坐像に限られており、孔雀の上に乗り一面四臂、右手には倶縁果(ぐえんか)・蓮華、左手には吉祥果・孔雀の尾を持ち女性的な面立ちを持ち慈悲相・菩薩形とされている、四臂像が多いが胎蔵界曼荼羅蘇悉地院に於いては二臂、菩薩形で描かれているが全てが独尊で造像され描かれている、孔雀明王の彫刻は日本に於いては多くはないが、中国の寺院には多く観られるようで西安近くの水陸庵などや四川省・大足の北山石窟1126年)には3.16mの巨像がある。
下記・東京国立博物館の画像は空海の請来とは系統とは異なる系列に属する様で、醍醐寺の観賢に関連があり、上部に月輪と種子が画かれており大日如来のシンボル的な意味を持つと言う、この作品と共に「大孔雀明王画像壇場儀軌」に忠実な彫刻像としては快慶の手になる金剛峯寺が著名であるが刻像は数が少ない。


真言 オン マユラギ ランチィ ソワカ
  



絵画は以下の印作品が著名である。
東京国立博物館の絹本著色・孔雀明王像掛幅装 148.8cm×98.8cm 鎌倉時代 (公式サイト)  
仁和寺の絹本著色・孔雀明王像 掛幅装 168.8cm×103.0cm 南宋時代     ○印国宝  

法隆寺   ●醍醐寺(密教図像の内)  ●安楽寿院   ●智積院   ●松尾寺(京都)   ●サンリツ服部美術館(公式サイト)   平安時代・鎌倉時代   ●文化庁 絹本著色 一幅  平安時代        ●印重要文化財  


金剛峯寺(孔雀堂) 木造彩色 切金文様 玉眼  像高78,8cm 全体高235,2cm 鎌倉時代  快慶作
 
 正暦寺     坐像    奈良県奈良市菩提山町157   無指定

注1、 本生譚(ほんしょうたん)(ジャータカ jātaka )  釈尊の前世に於ける行動を物語化したもので、その数は数百も存在すると言う。
日本に於いては玉虫厨子の両面に描かれている、a捨身飼虎図(しゃしんしこず)・飢えた虎の親子を救う為に前世の釈迦
(摩訶薩た王子)が崖から飛び込んで虎の餌になる。b施身聞偈図(せしんもんげ)・釈迦の修行中羅刹に変身した帝釈天が「諸行無常」と囁く、釈迦は羅刹に続偈の教授を願い出たところ「汝を食わせれば教える」と言う、承知した釈迦は聞いた偈(仏の言葉)を岩に刻んで身を投げたところ羅刹は帝釈天に戻って釈迦を空中で受け止めた。
また玉虫厨子には他に天王図・菩薩図・霊鷲山・草木図等が描かれている。


 
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最終加筆日2004年7月12日  200648 710日文化庁の孔雀明王 2009年1月22日 2011年12月8日女尊明妃 加筆