仏像案内 寺院案内 如来
薬師瑠璃光如来・大医王佛などと言い梵語名Bhaṣiajya‐guru-vaidūrya-prabha-rāja(バイシャジャ・グル・ブアイドーリャ・プラバ)の意訳である、瑠璃光浄土のguru即ち教主と医者集団のグルとに解釈される。
薬師如来の脇侍として日光菩薩・月光菩薩が随い、さらに十二神将が守護する構成となる、十二と言う数字は薬師如来のたてた誓願の数に由来するとされる(新薬師寺・東寺 等)、但し薬師如来の脇侍であるが「薬王薬上菩薩経」には二菩薩が脇侍として説かれている、特に東寺の場合は不空訳の「薬師如来念誦儀軌」に忠実に造像されている。
薬師如来に関する代表的な経典に玄奘訳の「薬師瑠璃光如来本願功徳経」所謂「薬師経」と義浄訳(注9)の「薬師瑠璃光七佛本願功徳経」すなわち「七仏薬師経」等がある、阿弥陀如来の四八と同様に菩薩時代に本誓すなわち十二の誓願をたてる事により如来となった。
その他薬師如来関連の漢訳経典は「灌頂経第十二抜除過罪生死得度経」・7世紀頃に達磨笈多訳の「薬師如来本願経」・8世紀義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願経」の等がある、近年5世紀頃と推定される梵語の写本も発見された、また密教と関連付けされる経典に「薬師七仏供養儀軌如意王経」「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」が言われている。
薬師如来の供養法として続命法が行われており薬師如来を信仰する衆生を十二神将が守護すると言われている、最澄に薬師信仰に篤かった事から台密に於いては阿閦如来と同尊とする思考も見られるが無理が考えられる。
インドに於ける古代信仰に長寿・投薬を司る神々の信仰から派生したとされる、また初期仏教に於いて仏陀を医王と呼称されたとの言われる、供養の代表とも言える四事供養(注3)に「湯薬」がありインドに於いても信仰は確認されている。
薬師如来の特徴は大乗仏教を更にデフルメした如来であり、深遠な哲学の探究は無く物的欲望を満たす仏である、即ちご利益が直接的・具体的であると言うことである、十二の大願を取り上げてみると・光明普照(浄瑠璃浄土で仏に成れる)・除病安楽(病を治す)・安立大乗(解脱に導く)・諸根具足(障害者を治す)・苦悩解脱(悩みを取り除く)・飽食安楽・美衣満足・施無尽仏・安心正見など至れり尽せりで他の如来のような精神的・哲学的なご利益などでは無く非常に実利的かつ菩薩的なご利益である、また神仏融合の先駆け的如来でもある。
また同じ他土仏(注12)であるが阿弥陀如来の浄土に於ける安寧と違い薬師如来は現世に於ける利益であり具体的である、法隆寺や薬師寺に於いても薬師如来は病気平癒の信仰から造像されている、浄土との往復券いわゆる「二種廻向」即ち「往相廻向」と「還相廻向」を言う浄土真宗ほど便利では無いが、薬師浄土と阿弥陀如来の極楽浄土との最大の相違は極楽浄土が来世を言うのに対して薬師如来の瑠璃光浄土は現世利益を言う、因みに
また瑠璃光浄土は男性のみの浄土で女性の存在しない事である、これは女性の苦しみを与えないために瑠璃光浄土に於いては男性に変身させる為と解釈があるが、男女差別が強いバラモンの思想からのサルベージとして、初期大乗仏教興隆の先端と言える「八千頌般若経」や「大集経全17分の内第9宝幢分の女が男に生れかわる思想」等の影響をうけ「
薬師如来の造像で現存する場所はインドには作品がなく中国に於いても少ないが龍門石窟(525年)・敦煌千仏洞の薬師浄土変相図辺りが最古とされる、朝鮮には多くの作品が残る。
除病安楽や呪術・悔過などを目的として、天平時代には薬師信仰の広まりは顕著で薬師寺を初め元興寺・大安寺・西大寺・興福寺・唐招提寺から国分寺の本尊にまで浸透する、さらに平安時代になると最澄の薬師信仰の篤さから延暦寺を中心に浸透する、因みに最澄は遣唐船に乗船前に大宰府に於いて船中安寧を祈願して四尊の薬師如来像を造像したとされるが現存像は存在しない。
現存薬師像には該当しないとされるが続日本書紀745年薬師如来像七尊と経典七巻を製作された記録がある、日本に於ける初期の薬師像は法隆寺金堂の607年造像は奈良時代造像説も囁かれ疑問として法輪寺や興福寺の旧山田寺佛頭が685年とされ特に法輪寺像は最古の様式をもつ、薬師信仰は用命天皇の遺言により607年推古天皇と聖徳太子が造像したと言う伝承や、聖徳太子の病平癒祈願に始まるとも言いう法隆寺の薬師如来像を初めとして、日本書紀には686年経典講義が為されたと言い、天武天皇が皇后の病のとき薬師寺建立を発願があり、藤原不比等の病や聖武天皇が病んだとき薬師悔過が天皇家や貴族達の病気平癒に薬師如来に対する祈願が流行し釈迦如来が本尊である筈の国分寺にも薬師如来を本尊にする機運も生まれた、ご利益の関係から四事供養の中に飲食・衣服・臥具・と共に湯薬が加えられている、薬師信仰は8世紀後半から興隆するが怨霊鎮魂にも利用されたようで745年創建の新薬師寺は藤原廣嗣の鎮魂祈願に神護寺は弓削道鏡の鎮魂祈願に利用された形跡が感じられる。
創建当時には七仏薬師堂が本堂で七尊が本尊であったとされる新薬師寺の場合、薬師如来は鞘佛であり体内に香薬師を収納していたとされ、収納された尊像の霊を封じる目的があり鞘
また薬師如来は佛教伝来以後日本の古代信仰と融合が困難であったが、峻厳な表情等の造像が為され民衆に神仏融合の思想を植えつけた先駆仏と言える。
顕教に於いては四方佛の一尊に数えられ前世,即ち瑠璃光浄土に君臨する重要な如来であるが、密教では異なり両界(部)曼荼羅には多くの如来を初めとする仏像が取り上げられているにも拘らず薬師如来の姿は無い、これは教えがご利益に偏り他の如来の持つ真理・覚りの追究などはあまり感じられない為かも知れない、ただし強引ではあるが曼荼羅には存在しない為、阿閦法と共通点を挙げて阿閦如来との同尊説も言われるが如来の持つ哲学・姿形に相違が多い。
かさねて言えば薬師瑠璃光浄土とは女性の姿は無く、諸々欲悪、悪の道に悩む声等は無い、地面は瑠璃土で構成され、七宝で飾られた浄土とされる国であると「薬師本願経」は言う。
日本にある如来像の内最も多くの寺院が国宝指定を受けており(阿弥陀如来は16尊の指定であるが浄瑠璃寺に9尊が並ぶ為10箇寺に計算)、各時代を通じて多くの像が制作されたが特に平安時代(重文以上の指定佛の約80%が平安時代の作)に優れた造形の像が多く作られた、前述の如く最澄が薬師信仰者であったせいもあり天台宗の興隆と共に地方にも広がりを見せたが特に皇族・貴族が病気平癒などの祈願を多く受けていた、正木晃氏は延暦寺。教王護国寺などの本尊が薬師如来であり、言霊信仰が強く信じられた時代であり薬師に期待されたのは呪詛から回避を切望しての造像と言われている。
この時期(6世紀頃)に於いて不空訳の不空訳の「薬師如来念誦儀軌」に従い右手平を胸の前に見せ左手には薬壺を載せる尊像が造像される様になる。
日本の場合不空の「薬師如来念誦儀軌」の影響を受けて天平時代末から平安時代以降医薬の効験を示す佛として薬壷を持つ像が多く作られる、この経典に忠実な尊像の代表は東寺金堂の薬師如来である、これは主に脇侍の日光・月光菩薩や像高一メートル未満の十二神将の配置にある。
さらに既存の如来像に薬壺を置かれた例もある、日本以外にこの形態の像は多くはないが中国隋の時代に高揚し敦煌莫高窟148、417、220・雲崗石窟11窟・龍門古陽窟に薬師変相図として存在する、石窟以外ではボストン美術館所蔵の新羅・楡岾寺がある、53佛中の薬師像やソウル国立中央博物館等の像は薬壷を持つ、薬壺持つ事の根拠に付いては前述した不空の「薬師如来念誦儀軌」に記述されている。
しかしこの時代の民衆は観音・地蔵菩薩のほうが多くの信仰を集めていた様である。
経典には薬師経以外に数点しか存在せず薬師如来の姿形・印相等は薬師如来本願経に如来形と記述があるが、他には説かれていない為か釈迦如来と同じ形(施無畏与願印すなわち通仏相)をしており判別は難しい、古い造例に於いては右臂・施無畏印で左臂・与願印であるが平安時代以降左手に薬壺を載せる例が増える、また兵庫県水上郡の常勝寺の様な法界定印に薬壷を持つ薬師如来まで存在する、稀に智吉祥印(転法輪印)や天部形もある様だ、これらはインドに於いて釈迦以外にも過去・未来に於いて覚者(如来)が現れると言う哲学的思考から発達した為、姿形的に表現方法が同型に成ったのは致し方のない事であろう。
薬壷は不空の漢訳「薬師如来念誦儀軌」以後所持する様になったとされる、天平時代の像で法隆寺・西円堂の薬師如来は薬壷を持つが像造当初の薬壷では無いとされている。 注目すべきは日本各地の国分寺や四国八十八ヶ所などに伝わる本尊に現世利益が叶う薬師如来が多いということである。
薬師如来の特徴として薬壷の他に光背に小さな如来を七尊すなわち七仏薬師(注1)を持つケースが多い、室生寺の場合国宝・釈迦如来は礼堂の蟇股の薬壷、光背の七仏薬師などから現在では薬師如来とされている。
2001年現在我が国に国宝15尊(興福寺佛頭を含む、室生寺釈迦如来除く)を含む約249尊の重要文化財指定の尊像が存在する、地域的には滋賀県・45尊が最多で奈良県・42尊次いで京都府34尊と続く。
絵画に於いては金剛院(京都)・高野山の桜池院などに薬師十二神将像がある。
薬師如来の具体的なご利益から「西国薬師霊場」が昭和の最晩年に49ヶ寺で結成され多くの著名寺院が参加している。
報身佛 真言 オン コロコロサンダリマトウギソワカ
注1, 七仏薬師とは初期の経典には記述されていないが「薬師瑠璃光七仏本願功徳経」義浄訳(注8)・達磨笈多訳の「薬師如来本願経」に記述があり七尊が本願及び仏国土を持つとされる、七仏を個々に祀る事により願いが成就するとあり、薬師如来の光背に化佛が存在するのはこの経典の影響と言える、またこれには七仏を夫々独立形で造像すれば所願成就が叶うといい、供養すれば横死を免れると言う。
七仏薬師法の採用は日本では円仁が熾盛光法・八字文殊法と共にを請来した大法である。
、主に息災と安産を祈る比叡山の重要な密教修法の一つで義浄が漢訳した経典を採用しており薬師七体を祈るものであるが、東方に七尊の如来が存在し最も遠い第七の如来が薬師如来であるとされる、しかし薬師如来の分身か別尊かの確証はない、七仏薬師信仰は8~9世紀にかけて天台宗が藤原摂関家の安産祈願を行なってから顕著になる、因みに真言宗に於いては七仏薬師に関する修法は行われていない。
薬師如来の光背に七尊又は六尊の薬師如来を配置された寺に薬師寺・新薬師寺・醍醐寺、東寺があり新薬師寺の場合は創建当初は七仏薬師が本尊であった。
七仏薬師信仰から七所薬師に対する信仰も生まれ、京都を中心に延暦寺・広隆寺・珍皇寺・法雲寺・護国寺・観慶寺・平等寺を言われたが現在は言われていない。
また唐招提寺の薬師如来の光背にも七仏薬師が存在したとされる、さらに神護寺・法隆寺西円堂・醍醐寺・黒石寺(岩手県)等にも、そのこん跡が見られる、現存する七佛薬師像に松虫寺・鶏足寺(己高閣)には七尊が揃い松虫寺は重要文化財指定を受けている、両寺の相違は松虫寺の場合は中尊が大きく坐像に対して、焼失した延暦寺の七仏薬師と同型とされる鶏足寺(下の写真参照)は七尊が立像で像高は概ね均等である。
瑠璃光浄土を描く曼荼羅で本来は瑠璃光浄土変相図に薬師八大菩薩(文殊菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・弥勒菩薩・宝檀華菩薩・無尽意菩薩・薬王菩薩・薬師上菩薩)を描かれる事がある。
七仏薬師の尊名は以下のようになる。 写真は鶏足寺・七仏薬師
鶏足寺七仏薬師
中尊
(1)善名称吉祥王如来(東方光勝世界) 光勝国浄土
(2)宝月智厳光音自在王如来(東方浄瑠璃世界) 妙宝国浄土
(3)金色宝光妙行成就如来(東方円満香積世界) 円満香積国浄土
(4)無憂最勝吉祥如来(東方無憂世界) 無憂国浄土
(5)法海雷音如来(東方法幢世界) 法幢国浄土
(6)法海勝慧遊戯神通如来(東方善住宝海世界) 善住法海国浄土
(7)薬師瑠璃光如来(東方光勝世界)の呼び名がある。 瑠璃光国瑠浄土
注2, 室生寺金堂の国宝・釈迦如来は後背に七佛薬師が画かれており本来薬師如来である。
注3、供養 梵語のpūjanā(プージャナー)の音訳で仏に供物を供える事、 佛教では供犠すなわち生贄を肯定しておらず様々な供養方が説かれている、法と財とに分かれ礼拝・賛歌・恭順等と四事供養(飲食・衣服・臥具・湯薬)に代表される供え物とがある、その他二種供養とは香華・飲食を供えることを言い三種供養には香華・飲食(利供養)讃嘆恭敬敬供養、 密教で用いられる五供養(塗香・華・焼香・飲食・灯明)、その他六種供養・十種供養がある。
注4、薬師八大菩薩とは 薬王菩薩 ・薬上菩薩 ・弥勒菩薩 ・文殊菩薩 ・観音菩薩 ・得大勢至菩薩 ・無盡意菩薩 ・宝檀華菩薩を言う。
注5、四方佛とは 顕教に於いては四方に佛国土があると言う考えがあり、東方の瑠璃光世界に薬師如来 西方極楽浄土(来世)に阿弥陀如来 南方現世に釈迦如来 北方弥勒浄土に弥勒菩薩 が君臨している、この形態は興福寺の五重塔を初めとして多く存在するが、密教寺院である教王護国寺等の五重塔内は五智世界による羯磨曼荼羅で構成されている。
注6、鞘仏とは仏像の胎内に小規模の仏像を施入された外側の仏像を言い現在も厨子に納め施錠し怨霊を封じるため秘仏とされる像が多い。
注7、中国に於いては随の時代に薬師信仰の広がりが確認されており、雲岡石窟11窟、龍門古陽洞、敦煌莫高窟148窟、417窟、220窟など多くの変相遺例が存在する。
注8 石窟寺院 山は精霊の住む場所であり、そこに彫られた石窟はガルバ(子宮)と呼ばれ戒律を遵守し石窟瞑想の世界に於いて覚りを目指す格好の場所である、石窟寺院は人里から隔離されているが交通の要路近くに彫られており、水・寒暖に優しいところが選ばれている、代表的な石窟寺院にインドではアジャンター・エローラ・アフガンのバーミヤン・中国の敦煌・雲崗・龍門・朝鮮の石窟庵等が挙げられる。
注9、 義浄 635~715年 張氏の出身で唐時代の律僧、玄奘三蔵に心酔しインドに渡り約20年間留まり、各佛跡地を歴訪し経典を請来し「金光明最勝王経」「薬師瑠璃光七佛本願功徳経」等漢訳を行う、著作に「南海寄帰内法伝」「大唐西域求法高僧伝」がある。
注10、 梵語名 Bhaioajya=薬 guru=師匠 vaidurya=瑠璃 prabha=光 (梵語スペルは書き込み不正確)。
注11 カヤ材とは針葉樹で平安時代初期より木材の材質は楠から檜や榧に変わり始めた。
注12、 他土仏信仰とは大乗仏教が起こり釈尊を思慕した事から生まれた地球空間以外の空間の如来・菩薩である、代表的な尊名は阿弥陀如来・薬師如来等々である、法華経・金光明経・阿弥陀経など多くの経典に記述されているが共通する如来名は阿閦如来と阿弥陀如来のみで異なる尊名が多数を占める、因みに過去七仏は釈尊と同じ娑婆の世界仏である、いわゆる報身佛が他土仏に相当するとも言えよう、これに対して地球空間を「自土」と言う、従って釈迦如来は自土仏である。
主な薬師如来像 表内は国宝 ●印国指定重文 (興福寺佛頭を含む)
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寺 名 |
仕 様 |
時 代 |
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木造 坐像彩色(京都の若王子社本地佛)49,7cm |
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興福寺(国宝舘) 仏頭 |
銅像 鍍金(旧山田寺金堂の伝薬師如来)98,3cm |
白鳳時代 |
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元興寺(国立博物館寄託) |
立像 木造彩色 164,8cm |
平安時代 |
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獅子窟寺(大阪府交野市) |
木造 坐像素地 92,9cm |
平安時代 |
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勝常寺 (福島県河沼郡) |
木造漆箔(欅)中141,8日光169,4月光173,9三尊 |
平安時代 |
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坐像 木造(カヤ)一木造 素地 190,3cm |
平安時代 |
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立像 木造(カヤ)一木造 169,7cm |
平安時代 |
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仁和寺(北院旧日本尊) |
坐像 木造檀像 11,8cm 円勢・長円 |
平安時代 |
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醍醐寺(上醍醐) |
一木造漆箔 三尊 中尊176,5 脇侍120,1―120,9cm |
平安時代 |
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立像 木心乾漆 漆箔 369,7cm |
平安時代 |
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法隆寺(金堂) |
坐像 銅像鍍金 63,0cm |
飛鳥時代 |
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法隆寺(講堂) |
坐像 木造 三尊 中尊247,2脇侍172,1cm |
平安時代 |
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法隆寺(西円堂) |
坐像 脱活乾漆造 244,5cm |
天平時代 |
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薬師寺(金堂) |
坐像 銅像 三尊 中254,8左311,8右309,4 |
白鳳時代 |
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臼杵 |
磨崖佛(まがいぶつ) 智拳印 |
平安時代 |
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室生寺(金堂・釈迦如来) |
立像 木造彩色 237.7cm 薬師如来説が本流 |
平安時代 |
●中尊寺 立像 木造漆箔 266,0cm 藤原時代
●高山寺 坐像 木心乾漆像 漆箔 73.6㎝ 天平時代 三尊像であったが日光菩薩(半跏像)は東京国立博物館・月光菩薩は東京芸大に所属 本尊 東博寄託
●興福寺(国宝舘)坐像 木造漆箔 107.3㎝ 玉眼 藤原時代
●興福寺(東金堂)三尊 銅像 中尊漆箔 255.0㎝ 脇侍 約300.0㎝ ・天平時代 中尊・室町時代
●法隆寺(新堂) 三尊 木造漆箔 85,5cm 月光104,7cm 日光103,0cm 藤原時代
●薬師寺(講堂)三尊 銅像鍍金 天平時代 薬師寺講堂の三尊像は中尊は・文化財指定は薬師如来であるが薬師寺では2003年から弥勒三尊と呼ばれるようになり脇侍に法苑林菩薩・大妙相菩薩とされるようになった。
●室生寺(金堂)立像 木造彩色 164.6㎝ 藤原時代
●新薬師寺 立像 銅像 73.0㎝ 白鳳時代 盗難に遭い現在不明
●唐招提寺 立像 木造 160,2cm 平安時代
●秋篠寺 三尊 140,5cm 木造 中尊素地140,5cm 脇侍 彩色 月光156,7cm 日光155,1cm 藤原時代(中尊室町時代)
●般若寺 立像 銅像鍍金 天平時代
●教王護国寺 三尊 木造漆箔 玉眼 288,0cm 月光290,0cm 日光289,0cm 桃山時代
●双林寺(京都)木造 漆箔 85.4cm 平安時代 東山区下河原鷲尾町
●松虫寺(千葉・印旛)七佛薬師 中尊坐像 木造寄 54,3cm、 立像 木造一木造 38,8cm 37,9cm 38,4cm 38,4cm 38,4cm 39,0 cm 平安時代
●宝城坊 三尊(神奈川・伊勢原市)木造116,7cm 平安時代
●覚園寺(鎌倉)木造木造玉眼 181,2cm 三尊 鎌倉時代
●法輪寺 楠一木造・坐像 110,2cm 白鳳時代
●称名寺 立像 木造 138,0cm 藤原時代
●浄瑠璃寺 坐像 木造漆箔 藤原時代
●広隆寺(霊宝舘)立像 木造彩色 藤原時代
●広隆寺(本堂)坐像 木心乾漆 平安時代
●神護寺 坐像 木心乾漆 漆箔 68,3cm 平安時代
●観心寺 木造漆箔 89,4cm 平安時代
●興福寺 木造漆箔 107,3cm 平安時代
●横蔵寺 木造漆箔 87,7cm 鎌倉時代
●栄山寺(奈良) 木造金泥 玉眼 109,0cm 室町時代
●西教寺 木造漆箔 88,5cm 鎌倉時代
●法界寺(京都) 木造 88,8cm 平安時代
●宝菩提院 立像 木造漆箔 彩色 110,3cm 平安時代
●六波羅蜜寺坐像 木造漆箔 藤原時代
●高山寺 木心乾漆 漆箔 73,6cm 天平時代
●東寺(金堂)三尊 288,0cm 十二神将 坐像 木造漆箔 桃山時代
●醍醐寺(金堂)三尊 木造彩色 玉眼 鎌倉時代
●法界寺(伏見区醍醐) 立像 木造彩色 玉眼 88,8cm 藤原時代
●平等寺(因幡堂、いなば) 立像 木造漆箔 153,0cm 藤原時代 康尚(定朝の師で父)作の可能性 京都市下京区烏丸松原上ル東入ル因幡堂町728
●岩船寺 坐像 木造彩色 藤原時代
●勝持寺(京都市西京区大原野)坐像 木造切金文様 91,0cm 平安時代
●延暦寺 立像 銅像 鍍金 天平時代
●善水寺 木造漆箔 102,5cm 藤原時代 秘仏
●四天王寺 木造漆箔 138,0cm 藤原時代
●櫟野寺(滋賀) 木造漆箔 222、0cm 平安時代
●醍醐寺 三尊木造 玉眼 128,8cm 鎌倉時代
●浄瑠璃寺 木造漆箔 彩色 85,7cm 平安時代
●高田寺(愛知) 木造 75,6cm 平安時代
●願興寺(岐阜)三尊 木造 137,3cm 脇持各206,6cm 平安時代
●奈良国立博物館 坐像 銅像 37,3cm 藤原時代
●常勝寺(兵庫)木造漆箔 玉眼 77,2cm 鎌倉時代 (法界定印)
●多田寺(福井小浜) 木造 192,5cm 平安時代
●覚園寺(神奈川)三尊 木造 中尊181.0㎝ 脇侍150.0㎝ 中尊 鎌倉時代 脇侍 室町時代
●宝城坊(神奈川県伊勢原市) 三尊 木造 中尊116.6㎝ 日光 123.2㎝ 月光113.9㎝ 平安時代
●寛永寺(台東区上野) 木造 素地 薬師如来 142,25cm 日光 142,4cm 月光 135,4cm 平安時代 秘仏 本尊は滋賀・石津寺 脇侍は山形県 立石寺からの移設
●勝尾寺(大阪府箕面市)木造 50,0cm 脇持各 53,2cm 平安時代 (かちおじ)
●黒石寺(岩手県水沢市黒石町)木造 桂一木造 漆箔 126.0cm 平安時代(862年)
●立石寺(山形市大字山寺)坐像 木造 129.7㎝
●万福寺(大寺薬師 出雲市東材木町416) 三尊 木造彩色 橡一木造 中尊133.7㎝ 日光 161.7㎝ 月光160.3㎝ 平安時代 飜波式衣文
●延算寺(かさかみやくし) 岐阜市岩井 木造(榧.かや一木造) 古色 153.0cm 平安時代
●大善寺(ぶどう寺) 山梨県甲州市勝沼町勝沼3559 三尊 木造桜材 漆箔 薬師85.4cm 脇侍103.0cm 平安時代 手にぶどうを持つ。
大窪寺 坐像 木造 一木造 約140,0cm 天平時代 (四国霊場八十八番札所 秘仏) 等々
鶏足寺(己高閣・滋賀)七佛薬師立像 七尊 木造90,0~100,0cm 藤原時代 滋賀県指定文化財
薬師三尊像は多く存在しており、法隆寺(講堂) 薬師寺(金堂) 勝常寺 醍醐寺(講堂)が国宝であり、重文では銅像の薬師寺(講堂) 興福寺があり、木造の法隆寺(新堂) 宝城坊 寛永寺 願興寺 教王護国寺(金堂) 秋篠寺 勝尾寺(大阪)など三〇組を超える傑作が存在する。
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最終加筆日 2004年7月2日 12月10日 2005年4月13日 12月17日瑠璃光浄土 2006年4月10日注7、 11月1日関連経典 2007年1月10日 7月7日 2008年12月15日 2009年7月11日 加筆