世界の宗教

                  説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif                       仏像案内       寺院案内    ユダヤ教     キリスト教    イスラム教    仏教


宗教の持つ権力及び国家権力は言うまでもなく全ての権力機構は爛熟期を迎えた後に制度疲労や腐敗・堕落及び形骸化を繰り返えしてきた、如何なる教団も初期に於いては教理の探究を素直に求めるが組織を発展拡張させるには論理を逸脱した方便や行動を求める様になり一様に堕落の道に進む、これは民族の枠を超えて広がった世界宗教に著しいが、枠内に留まる民族宗教も例外ではない、小室直樹氏は「権力は腐敗する」「絶対権力は絶対に腐敗する」これは政治学の大定理と言う、しかし政治学と言うよりも「機構組織学」に変換できる。 
キリスト教
の興りはイエスが律法は律法の為では無く人のためにあると言い、神との新しい契約すなわち新約聖書を携えてして頭角をあらわしたのもユダヤ教団内部に於ける律法学者やパリサイ派の権威主義等、制度疲労が大きな原因ではないだろうか。
アレキサンドル六世やパウルス三世の様に己の内寵の子供を教皇や枢機卿に画策するなど爛熟期にカトリック教団が行った、また聖書に記述のない教会法を盾にした諸々の制約・権勢を振るい、傲慢及び腐敗堕落の中からプロテスタントが現れ、そのプロテスタントも初期の精神から逸脱する。 
また仏教でも出家者だけに偏る仏教即ち煩瑣(はんさ)な教理に固執し、難儀な修行や高邁な哲学に拘る上座部仏教(部派仏教)や同系のサルバースチーバーデインsarvāstivādinすなわち説一切有部(せついっさいうぶ)等から、法ではなく仏にスタンスを置き、民衆を導く大乗仏教が生まれるが後には教理、学問仏教に変質する、日本でも南都仏教僧の高級官僚化や腐敗などから、天台宗最澄真言宗を興した空海が頭角を表わし、それが次第に政治に関与し圧力・武力集団化する様になると、形骸化した天台教学を学んだ人々の中から・浄土宗真宗、浄土真宗禅宗系日蓮宗などが出現したのも同様のことが言える。
これは宗教に限られた現象ではない、政治・官僚制度も同様である、中国の科挙(かきょ)・朝鮮の両斑(やんぱん)(6更には日本に於ける過去現在の軍閥・官僚のキャリア制度も腐敗堕落によって形態を歪め国家を滅ぼす危機を招くことになる。
また宗教教団は初期の発展段階に於いて教理に純粋であるが故にカルト的性格を持ち信徒以外の民衆に多大な危害を与える、そして教団は年月をかけてソフト化するが強大な権力を維持せんが為の組織を持つ様になる、権力とはこの上ない恐怖を民衆に与えるパワーである。
また宗教とは飼い慣らしであると司馬遼太郎氏は言う、宗教は主な存在に陶酔し人の判断能力を停止させる効果を持ち妥協なき殺戮を繰り返えしてきた、宗教に飼い慣らされた集団が歴史上に起した事件などは、古くはカナンの地に於いて惨殺を行ったヨシュアから最近の中東紛争・日本に於いてはオウム真理教まで例を挙げれば際限が無い、小室直樹氏はヨシュア記にこそ宗教の秘密が隠されているという、現代は宗教から受ける影響が少ない「世俗の時代」と言われるが人間の文化は生まれ育った環境の持つ宗教的遺伝子を失っていない。

現在まで長く存続している宗教はイスラム教を除いて事実上消えては新たに発生を繰り返していると言える。
宗教と言う言語は明治時代に
Religionを訳された熟語であるが本来は「繰り返し読む」と言う意味を持つ、これはユダヤ教に於ける教典のト-ラー・ミシュナ・タルムードの流れの中にある「ミシュナ」と同じ意味である、文化的に遺伝子化されたエトスの宗教環境に育ち、生まれながらに決められた教団の信徒である人々には日本人の持つ「宗教」と言う熟語の受容は存在しないのではないか。

宗教と歴史を考察するサイドから見れば旧約聖書を基本ソフトに持つ一神教に於いては、伝承か一度発生したかの検証が困難な事例を奇跡として取り上げ歴史反芻の思想は見られない、しかしインドに於いて歴史学的認識は無いが輪廻思想は歴史を色濃く内包している、また「温故知新」を言う中国の儒教等は歴史学と関連と言うより歴史そのものである。 
宗教は哲学・芸術・文化・道義に大きく貢献した歴史を持つが、信仰は人間を猛進させる紛争の歴史でもある、過去に起った戦争の多くは信仰を凶器化した宗教戦争である、そして宗教戦争は妥協を知らず採算を無視した抗争は凄惨な結末を招く。 

以上を理解したうえに於いて考察に入る、宗教には神の産物・所有物として崇拝する「使命預言型」(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の一神教と、仏教などの仏の境地への到達を目指す「模範預言型」等の分類法があるが、イスラム教による分類方法によれば宗教には啓典宗教と非啓典宗教とがある、最高経典が明確な合意の基に出来ている宗教と古来より自然発生的に出来上がった宗教とを峻別することが出来る。
セム的一神教すなわち啓典宗教(啓示宗教)にはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三教を言い聖書の創世記によれば全て(天地・人間・動物他)は神により創作されたものであり三教とも呼び名は違うが同一の神でありイスラム世界に於いては「啓典の民」(注5)と呼ばれている。
これら三教は旧約聖書と言う基本ソフトが共通な宗教であり、ユダヤ教の場合ミシュナ・タルムードに、キリスト教は新約聖書に、イスラムの場合コーランにバージョンアップされて成立したといえる。
一神教すなわち啓典が固定している宗派は分派は発生するが国境を越えても、エトスの相違が存在しても変質する事は微細であるが、多神教すなわち仏教などでは地域・エトスの相違により変化が著しい。

ここで聖書に於ける疑問点を1点挙げておく、創世記1章・26節に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」の記述がある、一神教の主に複数形を使用している、1章・26節はヘブライ人の祖先達に依り語り継がれた古代バビロンのカルデア神話のコピーかも知れない。 
また少数ながら日本神道の基本ソフトを旧約聖書に求めて研究する人々も存在している。 
一方仏教やヒンズー教の場合基本ソフトは同一と言えるが記述に残る教義は輪廻転生・梵我一如以外はなくインド哲学の中に埋没している。
また最高教典が明確な宗教で全能の神の存在を認め全て神との契約
(神からの命令と理解した方が正確)により成立しおり、基本的には偶像崇拝を否定する。
ユダヤ教の場合にはトーラー五書、即ち旧約聖書に於ける 1、創世記  2、出エヂプト記 3、レビ記  4、民数記  5、申命記に ミシュナ・タルムード を経典とし断固として偶像崇拝を否定する。

キリスト教の場合は新約聖書 旧約聖書の部分・福音書 マタイ伝 マルコ伝 ルカ伝 ヨハネ伝などを経典とするが、特にカトリックの場合建前は偶像崇拝を否定するが事実上は三位一体やマリア崇拝などがあり行なわれていない。

イスラム教の場合、コーランが旧約聖書の最終解釈の書でもありムハンマドに神性は無く奇跡は起さない、奇跡を起せるのはアッルラー
(神)のみである。
またイスラムではイエスの神性を否定するが預言者として認定している、三位一体
(注8・マリア崇拝を含め偶像崇拝(idolatry)は断固否定する、因みにムハンマドはアラビア語でありイスラムの正統言語であるが、ペルシャ語読みではマホメットである。

その他の宗教として太陽神信仰
(シャーマニズム)から発展したもの等がある。
 

.ヒンドウー教(注1  2仏教  .神道  .ゾロアスター教(拝火教)(注2 、道教 中国に於いて自然発生すなわち宗祖不在であるが、・元始天尊・霊宝天尊(太上道君)・道徳天尊(太上老君・老子)の三清を神格化し、・福・禄・寿と神仙に到達して永遠の生命を獲得する、因みに桃源郷(とうげんきょう)とは東晋の陶淵明(とう えんめい)による「桃花源記」による道教哲学の描く理想郷である。   6、その他・集団救済すなわち共同体に於ける倫理道徳すなわち帝王の政治、倫理的評価する孔子に依る儒教 ・シク教(注4・ジャイナ教(注3などがある,日本独自の宗教で神道の他に修験道(注9)がある。


これらの宗教は教相判釈の相違によつって分裂するものや民族の行動様式が独自の宗教に発展して来た。 
教相判釈
(通常は教判と略される)によるのは仏教に於いて行われたもので、ヒンズー教などは行動様式及び、太陽神信仰から由来している。
根本的な相違は啓典宗教の場合には神が天地・人・など全てを創造したものに対して仏教の場合は宇宙真理・教理を釈迦が発見者であって創造者ではない。
これに付いて小室直樹氏の喩が大変面白い、万有引力の法則はニュートンが発見者であって創造者ではない、釈迦とニュートンの同根性で説明している。
キリスト教はユダヤ教の厳しい律法主義から事実上現世救済の奇跡を行って病を治すとか、ただ神を信ずることのみで良いとする入信しやすい宗教にして多数の民衆
(大衆救済)の支持を広め普遍化に成功して世界宗教の根幹となった。
仏教にも同様のことが言える、厳しい上座部仏教から大乗仏教が生まれたのもインドに於いて増殖するヒンズー教対策だけではない事が理解できよう。


また同一の神を信ずる、ユダヤ教、キリスト教、イスラムの三教は聖書を翻訳された言語の相違からの分裂と言う一面を持つ。
所謂へブル語
(ヘブライ)の原典から訳語の相違からでもある。
1、ユダヤ教      へブル語の原典からミシュナ、タルムードが生まれている。
2、カトリック      原典からラテン語訳が用いられ、これをウルガタ訳
(一般の)と言う。
3、プロテスタント   ウルガタ訳を否定してヘブル語に返れとの運動でもあった。
4、東ローマ帝国    ロシア正教・ギリシャ正教などがあり、古代ギリシャ語訳に新約聖書が付いた。

世界の宗教人口比率を見ると約63億人の内、キリスト教32,9% ・イスラム教19,9% ・ヒンズー教13,2% ・中国土着信仰
(儒教・道教等)6,3% ・仏教5,9% ・ユダヤ教0,2%となる、中国土着信仰の中に儒教・道教があるが、日本仏教に大きな影響を残している、一例を挙げれば日本仏教に使われる位牌は本来儒教のものである、また宮中で行われた四方拝、六曜や陰陽道、七草粥、菖蒲湯等は道教の信仰と言われている、しかし道教の定義は難解で諸説あり儒教の範疇に有るとも言える、宗教としての道教と道教思想すなわち神仙思想とを分類する必要がある様である。
現在中国や台湾には祠廟と言う社が多く存在するが、・儒教・道教・仏教・土着神が混在して奉られており、参詣者に教義の区別は存在しない様である、中でも漢民族の民俗宗教とも言える道教の道士の影響力は欠くべからざる存在である、儒教が日本に於いて儒学とも言い学問であり宗教と観られにくい理由の一つに儒教には僧侶・道士などの聖職者が存在しない事が挙げられよう、即ち集団救済の為に官僚機構により執務が代行されるからである。
ここで世界宗教の共通点の一つに数珠がある、数珠はインドを起源としてバラモンでも使用されていた、
中村始著般若経典に依ればバラモンを介して佛教に採用された、ジャバ‐マーラー
(japa-māiāと言い、japaは念誦を意味しmāiāは輪を意味すると言われる、古代ローマ人などがjapaをジャッパー(バラ)の輪と聴いたと言う、これがロザリオ(ポルトガル語rosario)・ロザリウム(ラテン語rosarium)・ローザリー(英語rosary)・ローゼンクランツ(ドイツ語rosenkranz)などカトリックやイスラム圏に広がったとの記述がある、但しプロテスタントは使用していない。

ここで乱暴ではあるが各宗教の相違を表にしてみた。 

ユダヤ教:キリスト教:イスラム教の主な相違点         

ユダヤ教  

キリスト教 

イスラム教  

律法及び神との契約の遵守 ,政教一如 信者としての行動が必要 

神に対する信仰心が大切で契約にあまり拘らない (隠れキリシタンが可能になる)   

信仰は行動で示す、 政教一如、 礼拝・断食 等コーランの厳守 

唯一絶対の神・ヤハアウエを信ずる 

父なる神、神の子イエス 精霊、三位一体でバランスをとる Trinity 予定調和説  

唯一アッラーを信ずる(三位一体の否定) 

偶像崇拝の断固否定 

十字架のイエス像、マリア像など崇拝の対象(特にカトリック)   

偶像崇拝の断固否定  

旧約聖書・特にトーラー五書(創世記・出エジプト記・民数記・申命記)ミシュナ、タルム ード・新約聖書は認めない、肉体から離れた 魂と言う考えは無い 

新約聖書、旧約聖書特に福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハ ネ伝)・最後の  審判のあと現世に於ける ( 神の国)での永遠の生命) 

最高位にコーラン、新約聖書の部分、旧約聖書、 (コーランが旧約聖書の最終解釈 の書)モーセ・イエスを預言者としては認めるが神の子とは認めてない。  死後に於ける緑園世界への保証 


上記三教の共通点を挙げると下記の3点となる。  
1、唯一の神(三教同一の神)を崇める。 
2
、神から預言者に下賜される啓示、経典、戒律がある。 
3
、最後の審判を受けた後に永遠の生命か死を峻別される。
三教をセム的一神教と呼ばれている、セムとはセム語を話す世界を言いアラビア語・ヘブライ語・アラム語などが相当する。 

 

仏教 とキリスト教の相違    

   

        仏     教  

     キリスト教  

真 理 

釈迦が真理を発見 

神が全てを創造 

教祖の死 

釈迦の自然死・諦め 

キリストの受難・恨 

行動様式 

人と自然の調和・共存 

人間中心の支配・自然をも支配 

経典 

最高経典が不明確・無  

最高経典が明確  

 内容

 慈悲

 

発生環境 

米作、養蚕農業・農耕民族が多い 

麦作、牧畜農業・狩猟民族が多い

主と人間の関係

釈迦のレベル、即ち覚りへの到達を目指す 

神の僕 (主の水準に到達する事は絶対に無い)

到達点  

輪廻からの離脱・永遠の死を授かる 無余涅槃

最後の審判後に永遠の生命を受ける 

布教組織 

組織化された布教活動は一部分を除けば無い

組織化された強力な布教活動 

形 態 

模範預言型 

使命預言型 

不変と多様性  

尺間法   使用する用途により変わる  

メートル法  変化する事は無い  

偶像崇拝    

釈迦の時代すなわち原始仏教では否定       

否定ただしカトリックは建前のみ否定  


*仏教は仏像や祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は神が存在し神の僕(しもべ)となる事は念頭にない、人間が覚者(如来・成仏)となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証明となる、青木文化庁長官の意見を借りれば『苦諦の除去(悟り)後にあるものは「無」であり、そこに見出せるものは美』である。
初期の仏教は「仏陀を仏陀たらしめるのは仏陀の肉体ではなく、覚った法にあると考えた」
(両界曼荼羅の誕生・田中公明・春秋社)大乗仏教が起こり最初の大乗経典とされる「金剛般若経」に於いては仏陀の姿形(肉体)と一体化すなわち法身を解く様になった。

*宗教には新旧・完成度を含め優劣を付ける必然は無く、個別宗派を称賛や批判するものでも無い。

*仏教すなわち釈尊の教えは一神教と異なり、信仰勢力の拡大に軍事力を行使しない唯一の世界宗教である、基本的に信仰面に於ける義務を強制される事は無い。
     

*メートルの単位は不変であり変更は不可能であるが尺間法は多様である、一般に使用された「尺寸法」は「かね尺」であり和裁の場合は「くじら尺」である、昔は尺も「奈良尺」「高麗尺」(こまじゃく)などが存在していた、坪の単位も通常は3,3㎡であるが皮革の1坪は0,3cm×0,3cm=0,09㎡である、またタタミ一帖(和室のサイズ)も京間・江戸間と多様な規格が使用される。   

   鯨尺(くじら)1寸=37,8ミリ  曲尺(かねじゃく)1寸=30,3ミリ  

次に宗教の救済方法について個人救済と集団救済について表にしてみたい。  

個人救済

仏教・キリスト教・イスラム教・道教・ヒンズー教・等

集団救済(国家)

 儒教・ユダヤ教  (詳細は小室直樹氏日本人の為の宗教原論参照) 

  

伝統宗教 

シャーマニズム

神道・ヒンズー教等

有史宗教

民族の族の枠を超えて

仏教・キリスト教・イスラム教 等

1、ヒンドウー教  インドに於ける固有の民俗宗教である、膨大な数の神を持つが創造と破壊を繰り返すシヴァと安寧の神ヴィシンヌの二神を主体とするのがヒンドウー教である。
インド国民の80%を超える民族宗教であるが7億人とも言う信者を持ちキリスト教・イスラム教に次ぐ人口を有する巨大教団であるが、衰退したヴエーダ聖典を持つアーリア系民族のバラモンと、非アーリア系のインドに於ける土着信仰が融合して自然発生的に成立しており開祖を持たない、従って幅は広く仏教も取り込み釈迦もヒンドウー教に於ける神の一人である。
ヒンドウー
Hinduの語源は自分たちが呼称したものではなく、当初はムスリムの人達の呼称で梵語のSindhu(スインドウ)が変化してヒンドウーとなったものでインダス河流域の人を意味する、すなわちヒンドウーとはインドと同意でありインド教である。
最高神(三大神)は・ヴィシンヌ・シヴァ・ブラフマンである、個々に多くの信者を有しているがヴィシンヌ宗、シヴァ派と言った集団ではなく系列程度の分類である、近年のヒンドウー教徒には「永遠の法」(
Sanātanadharma・サナータナ・ダルマ)や「ベーダの法」(Vaidikadharma・バイディカ・ダルマ)と称する系列もある。
バラモン教は仏教以前の教団でカーストに於いてバラモン層を中心としてベーダ聖典を典拠に発展した宗教である、ヒンドゥー教は前述の様に紀元6世紀~4世紀にバラモン教と土着信仰、社会制度、ヱトスなどを合体したもので膨大な思想を内包している、ヒンドゥー教を語る場合はバラモン教・仏教を含んで語られる、多神教の最たる宗教であるが主要な三神を挙げれば・破壊を担当するシバ神(大自在天) 創造を受け持つブラフマー(梵天) それを維持するヴイシンヌである、因みにインド以外の研究者の間ではバラモンとヒンドウーを区別されているが、インドに於いては特に区分されていない様である、ヒンドウー教は多神教が通説であるが司祭の目的等に依り呼称が変更されるが概ね同一神との主張もある。
またヒンドウー教の本覚思想すなわち如来蔵は大乗仏教に大きな影響を与えている、如来蔵とは総ての人間に覚者となる資質を宿している事を云う、しかし仏教とヒンドウー教はインド教(ヒンドウー教はインド教と同意)即ち仏教もインド生まれの為にヒンドウー教の一宗派と観られるが、梵我一如やカーストの否定等完全に異質な宗教である、また現在に於いても輪廻転生はインド国民に於ける文化的遺伝子であり根幹哲学として生きている。
前述のヴェーダとは知識を意味する、ヴェーダ聖典は主に神々への賛歌が記述されている、BC500~1000年頃インドに於ける宗教書を言う、長期に亘り合議や口述などを編纂された聖典である、因みに宗派名のバラモン教やヒンドウー教の銘々はヨーロッパ人に依るものである。
因みにカーストとは基本的には四階級と言われるが、事実上は五階級に分類され、さらに夫々が細かく分類される。 (バラモンに付いては仏教の注2参照。 
1 ブラーフマナ・バラモン(婆羅門)司祭と訳され聖職に付き式典の祭主を勤める。 
2 クシャトリアと呼ばれ王族・貴族・武士などを指す。 
3 ビアイシャと言い平民、商人、労働者を指す。 
4 シュードラと言い賎民を言い卑しいとされる職業に就き13に奉仕する。 
5 アチュートと言いカーストの枠内に入れない不可蝕賎民(ふかしょくせんみん)を言う、戦に敗れ奴隷にされた先住民等を言い非人間扱い即ち家畜以下の扱いを受けておりヒンズー教徒でありながら寺院や公共施設に入る事が出来ない、インド人口の25%近い数を占めると言う。 

2、ゾロアスター教  中国名を拝火教・?(けんきょう)とも言い、 一神教の先駆けとも言える宗派で預言者ザラシュトラ(zara?u(v)tra)即ちギリシャ風呼称ではゾロアスターが受けた神託を嚆矢とする。
BC7
世紀頃~BC3世紀頃に現在のイランで東北部で発生し、サーサーン王朝が国教に認定しペルシャ文明の根幹を形成した宗教で世界最古に属する宗教と言える、経典は「アヴェスター(avest
?)」であるがペルシャ文明は口伝であり記録を残したのは古代ギリシャ人とされる、またavest?の語意も不詳である。
唯一の神・アフラ・マズダー(ahura-mazd
?h アヴェスター語) の名からマズダー教・サルベージに善行を重視する事から善教・また松教とも言われ当寺のイランを席巻した、一神教信仰の嚆矢とも言える教義を持ち現在の世界三大宗教に儀礼や哲学に多大な影響を与えていたが、七世紀後半からイスラム教に席巻されたが、インドに亡命した人々により儀礼や儀式などヒンズー教に引き継がれた部分は多い。
善悪に二極化し善即ち光の神アフラ・マズダーと悪神アングラマイニュとを対比させて成立した。
善意・良心・道理を重要視した行動を示す、火を象徴として宗教儀礼に用いる事から拝火教とも呼ばれる、ただし祭祀や儀式で火は必ず燈るが礼拝の対象とはしていない、古代からユダヤ教、キリスト教に大きな影響を与え仏教に於いても阿弥陀信仰や不動明王等の火炎光背や、密教で重要視される護摩の火はゾロアスター教が源流とされる、またイスラム教シーア派にも影響があるとされる。
もう一つ世界宗教の源流と言えるものに前述した善悪・光闇を峻別したことにある、以前の神はギリシャ神話にもある様に善悪二面性を有していたがゾロアスター教以後の宗教は神と悪魔即ち善悪が分けられた。 
中国では松教(けんきょう)と呼ばれた。活動期はBC2000年紀ごろからBC76世紀など諸説があるが定かではない。
現在新たな入信者の門を閉ざしておりインドボンベイを中心に世界(オセアニア・英国・ドイツ・シンガポール)に教団組織が見られるが定かではない、約17万人の信徒を持つ。

3、 ジャイナ教  梵語名 jainaで輪廻(ジナ)からの勝利者を意味し英語ではjainism (ジナの教え)となる、発生は仏教と地域及び時代は概ね同じくしている、開祖マハーヴィーラと釈尊はライバルであったとも言われ、競い影響しあった宗教で教義上の共通点を多く持ち欧米の研究者の間では仏教の分派と誤解された時代がある、総ての生き物に霊魂があると言い不殺生・禁欲・苦行を説く、佛教の看板とも言える縁起に付いては ジャイナ教が先行して説いていた。
仏教特に原始仏教との共通点は多くあり、如来・羅漢等々の呼称や戒律・涅槃・輪廻・解脱などの共通点を持ち双子姉妹の宗教と言われていると言う。教義の基本はトリ・ラトナ即ち「三つの宝」にある、1、正しい信仰、2、正しい知識、3、正しい行いを掲げる。
インド国内に於いては商人など財力がある信徒の比率が多く、国内に影響力を持ち約365万人の信徒を持ち現在も存続している、煩悩の除去を言うが、非苦非楽の中道を行く仏教との相違点を挙げれば、ジャイナ教は煩悩を滅する為に著しい苦行・禁欲を是とする事にある、因みにジャイナ教の経典に於いては仏教の祖は釈尊ではなく十大弟子のひとり舎利弗であると言う記述もある、インド全人口御0.5%程度の信徒数であるが堅固な社会基盤を築いている。  
因みにBC五世紀以前はアンチバラモンを標榜する教団を持つ
自由思想家が群雄割拠しており、代表的な六教団及び祖をを仏教の側から異教徒の祖を「六師外道」と呼ばれジャイナ教もこの範疇にあった、また舎利弗や目連が釈尊に帰依する以前に所属していたサンジャ・ベーラッテイブッダの提唱する教団も六師外道に入る。
 信徒数365万人~450万人

4、 シク教  シーク教とも言いヒンズーとイスラムの混血的宗教、1469年イスラムに対抗する手段としてヒンヅュー教徒から発生した教派で姓はシンを名乗り生涯髪や髭を剃らずターバンを被る、当時北インド現在はパキスタン・ラホールで興り初代教祖(グル)はナーナクと言いインド人口の2%弱。

5、啓典の民 イスラム世界で主に使われる用語で「啓典を与えられている民」を意味し、ユダヤ・キリスト・イスラム教徒を言う、
一神教の異教徒に敬意をはらった用語で多神教徒と差別している、アラビア語のアフル・アル・キターヴと言い、アフルは民・アルはTheに相当しキターヴは啓典を言う、しかし特にユダヤ教はムハンマドは経典(聖書)を授かっていないとして預言者と認知していない。

6、両班 「やんぱん」と言い中国の科挙を参考にした高麗・李王朝に於ける高級官僚並びに支配機構制度を言い文班と武班に分かれる、文班が上位にあり難易度の高い試験が行われたが武班は世襲や選抜制も行われた,時代の経過と共に硬直化して官僚の貴族化が進行した。
形態としては、良民には両班、中人、常人が存在し、賤民として奴婢、白丁と分類された。

7、 預言者と予言者 預言者とは神からの預託を受けた事柄を伝える人を言い、予言者とは呪術者を言う、通常預言者はノア・アブラハム・モーセ・イエス・ムハンマドを言いイスラムにおいてはムハンマドを最後の預言者としている。

8三位一体(さんみいったい) キリスト教で言われる教えである、父(神)・子(イエス)・聖霊を三位と言い、元来は一体であり、一体の神が三の姿となって現れたものであると言う教理、因みに聖霊とは人間に宿り啓示を与え聖化へと導く立場と国語辞書に記述されている。

9、修験道 山岳修行と呪術等、実践儀礼を中心とした宗教である、古来神道を含む山岳信仰に佛教(密教)、道教、儒教などと習合して平安時代末に宗派としての形態を為したものである。
役小角を祖としているが、最澄や空海が修験者的行動をしており、両者の後継者にあたる真言僧で醍醐寺を創建した聖宝や天台僧で回峰行を始めた相応等により広められた。
唱えられた経典は般若心経・法華経普門品であるが、主に真言や陀羅尼を唱えて加持祈裳に効験のあった者を修験者と呼ばれたが、修験者に出家と在家の区別は存在しなかった様である。
天皇家や貴族の金峯山参詣すなわち御嶽詣や熊野詣の先達を行い権力機構とのコンタクトを為した。
修験者は僧侶、在家信者など制約は無いが密教僧が多く参加している、従って密教の王道である両部の大経が最も重要視されている、但し修験道は浄土真宗を除く全宗派に習合している。
信仰対象としては大日如来を中心として両部曼荼羅が主体であり大日如来の教令輪身としての不動明王などが広く信仰された、また金剛蔵王権現、大峰八大童子、熊野権現などが出現した。
多くの宗派が存在したが江戸時代には二大宗派に所属を義務化された、すなわち天台系の本山派と真言系の当山派である、明治政府によって修験道は廃止され本山派は天台宗、当山派は真言宗に所属させられた。
20世紀中盤から真言宗醍醐派(総本山三宝院)、本山修験宗(総本山聖護院)、金峰山修験本宗(総本山(きん)()山寺(せんじ))等が勢いを盛り返している。

修験道の主な聖地に・羽黒山・日光・高尾山・伊吹山・園城寺・聖護院・醍醐寺・金峯山寺・那智山

最終加筆日2004814 200514日  98 2006102日宗教と歴史 2007312日ゾロアスター教一部  115日比較表一部 200879日 偶像崇拝加筆

 
 
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