大日経と金剛頂経すなわち金胎両部の経を「両部の大経」と言い二経典は大日如来の仏徳を説く経典である、また真言宗の呼称の源となった経典でもある、即ち大日経の「真言法経」・金剛頂経の「真言陀羅尼宗」の記述から採られている、宗派名だけでなく教義に於いても空海の著述を含めて根幹を為し、真言密教の
密教、特に東密の場合は五部秘経・二論とされ五部秘経すなわち大日経・金剛頂経・
両部(界)曼荼羅のうち胎蔵界曼荼羅は大日経を典拠としており、金剛界曼荼羅は金剛頂経を典拠として絵画化して成立している。
密教の分類方法に純密(正純密教)と雑密(雑部密教)とに分けられるが「両部の大経」は純密に入り、その他の経典すなわち
経典の成立時期が7世紀初頭(大日経)と中期以降(金剛頂経)との違いがあり、成立した場所も異なる、インドでは胎蔵界曼荼羅については断片的にしか知られていない、したがって成立当初には関連は無きに等しかった、要するにインドに於いて大日経は金剛頂経が生まれるまで利用された程度で金剛頂経に凌駕されていた、従って両部曼荼羅の呼称はインドやチベットに於いては無いと言える、両経には時代や地域に相違があり関連は見られない、相違点として凡てではないが大日経は智法身であり衆生の視点から仏界を述べており、金剛頂経は理法身で大日如来の世界から穢土を俯瞰している様にも見られる。
中国に於いては善無畏が716年法華経を凌ぐ教えとして「大日経」の解釈書として「大日経疏」を洛陽に於いて著した時を嚆矢とする、さらに720年金剛智により「金剛頂経」が海路長安にもたらされ即身成仏が理論的に可能な真言宗の根幹経典である。
この両経(曼荼羅)を一体化し体系を理論化したのか恵果であり、その付法を受け踏襲したのが空海である、両部不二の思想は恵果による理論を空海が日本に於いて広めた哲学でインドやマントラ仏教すなわち後期密教のチベット等には考えられていない。
覚りの真髄を解くとされる大日経と実践を解く金剛頂経の両経を両部の大経と言い、密教に於ける最も重要な経典として、「金胎理智不二」「両部不二」と呼び関連付けされている、但し両部大経に付いて真言僧でインド密教学者の津田真一氏は(佛教経典散策・東京書籍)最後の大乗経典的である大日経と、完全な密教経典である金剛頂経とは、内容的にも二律背反とか、津田真一氏等は互いは稜線を挟んだ反対側の斜面にあるとか言われる。
しかし正木晃氏の指摘から観れば、金剛頂経に不足している論理的思想を大日経(特に住心品)に於いて、恵果から空海の流れの中で両部不二の理論付けを補足しているのかも知れない、また金剛頂経は辛うじて大乗仏教の範疇に留まっていると言う、と言う事は以後の後期密教タントラは利他行即ち大乗から逸脱して内面にスタンスを移した密教と言えよう。
頼富本宏氏はインド密教(春秋社)の中で「大日経は種々の点で大乗佛教の菩薩道の流れを引く斬新性・段階性を残しているが、梵我一如の大前提から聖俗両極の落差をいわゆるヨーガで無時間的に合一視しようとした金剛頂経とは懸隔がある」と書かれている、要するに異質の経典と言える。
国宝の「両部大経感得図」179cm×143cm平安時代は藤田美術藤館に存在している。
下述の大日経で述べるが特筆すべきは大日如来の呼称であるが、漢訳に於いては金剛頂経では金剛界毘廬遮那(一切如来sarvatathāgata・五智如来)とされており、大日如来の記述は大日経に於いても数か所使用されているのみで多くは毘廬遮那である、因みに中国に於いては毘盧遮那如来及び遍照如来と呼称されていたと言う、従う菩薩に付いては大日経では執金剛・文殊・普賢・地蔵・虚空蔵など旧来からの名称を踏襲しているが、金剛頂経に於いては金剛法・金剛利・金剛宝菩薩等に変化している。
日本に於いて佛教と習合した宗派に修験道がある、修験道は古来よりの山岳信仰(神道)、道教などと習合しているが最も重要な部分を密教すなわち両部の大経から影響を受けている、一例を挙げれば勧進帳に於ける安宅の関での富樫左衛門の尋問に対して弁慶の答弁は両部の大経に関連している。
両部の大経に蘇悉地経を其々「大日三部経」「真言三部経」「台密三部経」と言う呼称がある、但し真言宗は両部の大経を天台宗は蘇悉地経を重要視している。
大日経 空海最大の力作と言われる秘密曼荼羅十住心論すなわち秘蔵宝鑰は大日経の住心品から主に引用されている、大乗仏教の経典すなわち大日三部経の一経である「蘇悉地経」や「華厳経」の特に入法界品に哲学を取り込んだ「金剛手灌頂タントラ」等を足場に更に発展させ正純密教へ誘った経典である、6~7世紀の発生とされる経典で興りは西インド地方か中部のナーランダ周辺・東部オリッサ地方と多様な説のある経典である、善無畏(伝持の八祖の五祖、śubhakrasiṃha、シュバカラシンハ)と弟子の一行(伝持の八祖の六祖)の漢訳が知られ梵語経典は発見されていないが、存在していた事は確実視されている、閑話休題密教に特定される尊挌の中で明王と言う呼称は大日経翻訳グループの善無畏が嚆矢で弟子の一行が広めたと言われている。
大和の久米寺に存在したとされこれを空海が読み唐留学を決意させた経典とされる、正式名称は「大毘盧遮那成佛神変加持経」と言い、日本など漢字圏に於いては略して「大日経」で通用するがアジア圏以外に於いては大日経の呼称は無い、毘盧遮那と言う尊名の一部分を大日如来とした善無畏等の訳が知られる、全六巻三十一品及び七巻目に供養法で構成されている、初品(住心品)
全ての智慧を取得体感する為の経典とされ、真理を具現する法身仏である毘盧遮那が金剛薩埵の問いに答える形式をとる、儀典・一切智・三密(身・口・意)の構造を主体に説いている、概略は理論編と実践編に分かれ第1章の「入真言門住心品」は理論編で華厳経が反映されており最後の大乗経典とも言われる、究極の悟りの智慧が記述される、実践編として純粋な密教経典となる第2章「入曼荼羅具縁真言品」から第6章「嘱累品」で曼荼羅の手法等が書かれており第7章「供養念誦三昧耶法門真言行学処品」までがあり教理の根幹を説く経典と言える。
大日経の根幹は菩提心にあり一章入真言住心品「三句の法門」即ち1.菩提心を因となし、 2.大悲を根となし、3.方便を究竟となす、の三句にある、中でも③の方便の究竟に密教への誘いがある、ここでは「利他の方便」を言い他人(世間)に利益を与える菩薩行を言う、華厳経の影響を受けながら3.方便を究竟に密教の独自性が見られる。
梵語の原典は存在せず経典の成立時期は定かには出来ない、漢訳は善無畏と弟子で天台教学の碩学で法華経にも精通した一行に拠る大拘廬遮那成仏神変加持経であり、七巻三六章の内、六巻三一章の嘱累品・七巻五章の供養法も要諦とされる、八世紀頃にインドに於いては金剛界曼荼羅に凌駕され消滅に近い状態にあったと言う、注釈書として唐に渡来した善無畏とその弟子の一行訳を基本として復旧させた「大日経疏」を真言宗が採用し、善無畏の孫弟子の智儼による「大日経義釈」を天台宗が採用している。
空海の「秘密曼荼羅十住心論」は大日経疏を原点とされる、要するに一行の大日経疏は1~6巻であるが、一行の死後弟子の智儼達が7巻を著した、7巻は法華経色が強い為に天台宗に採用され胎蔵界曼荼羅は第2章入曼荼羅具縁真言品と第8章転字輪品、第11章秘密曼荼羅品に記述されているが経典と現図曼荼羅とは尊数や呼称に相違がある。
大日経を典拠とした曼荼羅は他にも存在し円珍請来による「胎臓図像」「胎臓旧図様」などがある。
梵語名ヴァイローチャナ
大日如来の呼称に付いては金剛頂経に於いて毘盧遮那佛と呼ばれており、大日経では数か所で大日如来と訳され、大部分は毘盧遮那佛と訳されて、訳名は併用されている、梵語名はvairocana(ヴァイローチャナ)
ちなみに大日経で呼ばれる大日如来の呼称には「胎蔵大日」とか、特にインド、チベットでは明確に知るとされる意味合いから「現等覚大日」とも言われている。
大日経はインドに於いては支持が少なく下述の金剛頂経が起るまでの命運であり、中国に於いて一行~恵果の時代まで消滅状態とされた、しかし近年発掘されたインドのパーラ朝(8~12世紀)の金剛界五智如来(五仏)に混ざり胎蔵の大日如来も独尊で散見出来る、一行の大日経䟽では毘盧遮那仏すなわち大日如来の関連を「除暗遍明」「能成衆務」「光無生滅」に記述があると言う。
日本に於ける衆生信仰の三大尊に・観音菩薩・地蔵菩薩と共に不動明王があるが、「不動如来使」であり尊挌として視た場合明王は菩薩よりランクは低いが胎蔵界曼荼羅すなわち大日経では重要尊として扱われている。
閑話休題、密教に於ける根幹のに即身成仏と金胎不二があるが、津田真一氏は大日経の体系は即身成仏を拒否すると言う。
金剛頂経 南インド地方に於いて起った経典で、真言密教に於いて大日経を凌ぐ最高経典とされている、金剛頂経は主に「初会金剛頂経」が主体であるが、異説も存在する様子であるが単独の経典ではなく十万の詩頌(詩歌)と言う膨大な筆量を持ち「金剛頂経十八会」と言われる経典群(注3)から抜粋されており「初会金剛頂経」すなわち真実摂経を中心として金剛界曼荼羅の中核をなす四大品(注2)すなわち「金剛界品」「降三世品」「遍調伏品」「一切義成就品」から成るが不空、施護などの異訳も存在する、因みに初会金剛頂経は正式には金剛頂一切如来真実摂経と言い、金剛頂系経典の集合を金剛頂経と呼ばれ、「ひとまとまりの音として意識され単語の構成要素」と言う、十万の詩頌は凡そ書籍25冊分(7500頁)に当たるとされる。
南インドで起り教理の実践をとく経典である、膨大な経典とされるが金剛頂経の中で日本で受容されている経典は密教の創始者の一人龍樹(龍猛)の作と伝えられる経典である、不空訳で空海が請来した「金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経」三巻がオールマイテイーと言える。
密教の根本経典の一典でこれを図解したのが、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」からの金剛界曼荼羅であり、金剛界曼荼羅に登場する三七尊の即身成仏の過程を示した所謂悟りに到達する為のマニュアル書で「受法者の資格」「壇」「灌頂」「作曼荼羅法」念誦」等があり、智・即身成仏等を説いている、不空による漢訳や金剛智の「金剛頂経義訣」が伝えられる、また円仁請来の「略出念誦法」がある、即身成仏に付いては大乗仏教が成仏までに三劫と言う無限大の期間を要するのに対して即身即ち娑婆に生きながらの成仏である、因みに三劫成仏とは菩薩が成仏するまでに必要とされる時間軸で三阿僧祇劫(注7)と言い無限大と言える。
南インドで起り教理の実践をとく経典である、膨大な経典とされるが金剛頂経の中で日本で受容されている経典は密教の創始者の一人龍樹(龍猛)の作と伝えられる経典である、不空訳で空海が請来した「金剛頂一切如来摂大乗現証大教王経」三巻がオールマイテイーと言える。
密教の根本経典の一典でこれを図解したのが、「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」からの金剛界曼荼羅であり、金剛界曼荼羅に登場する三七尊の即身成仏の過程を示した所謂悟りに到達する為のマニュアル書で「受法者の資格」「壇」「灌頂」「作曼荼羅法」念誦」等があり、智・即身成仏等を説いている、不空による漢訳や金剛智の「金剛頂経義訣」が伝えられる、また円仁請来の「略出念誦法」がある。
即身成仏のマニュアルとも言える「五相成身観」が中核にあり、一切義成就菩薩すなわち釈迦の出家以前・菩薩時代を意識した部分がある、経典には一切義成就菩薩が覚りを開いて毘盧遮那成佛すなわち大日如来に成ったとされている。
1、菩提心を持つ「通達本心」 2、菩提心を清浄かつ拡大の「修菩提心」 3、菩提心を堅固にする「成金剛心」 4、佛性を会得の「証金剛身」 5、即身成仏の「佛身円満」が言われる(注1に重複)。
ちなみに金剛界曼荼羅の典拠である初会金剛頂経は金剛智・善無畏・不空・施護の漢訳があり善無畏訳が円珍招来の五部心観となり不空訳等が空海招来とされる、円珍は空海が「金剛頂経開題」「教王教開題」を著すなど広義の金剛頂経(金剛頂経十八会)を重要視したのに対抗して初会金剛頂教を前面に挙げたと思惟される。
真言宗に於いては五部秘経の中でも最重要視されているが独立した経典ではなく膨大経典の中より抜粋された様で、不空が解釈的に翻訳したのが「金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経」であり、3巻・4部構成が金剛頂経で即身成仏の手法などがある。
金剛とは梵語の vajra(バジュラ)でヴエーダ聖典では雷を意味する、インドラ神の武器で金剛杵を言い金属の堅固・剛毅・強いと解釈されている、大漢和字典には「五行の金の気、剛毅から剛」とありインドラ神は仏教に取り入れられて帝釈天となる。
(帝釈天śakra‐Devānaṃ kauśika シャクラデー・バーナーム・インドラ)
金剛杵は金剛頂経から派生した後期密教の必須アイテムである、古来伝承ではインドラが金剛杵で魔神を退治したと言い金剛杵は雷を起す武器である、種類は多様で刃先が一本~五本(チベットでは九本もある)あり独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵とあり武器で無い宝珠鈷杵・塔鈷杵。等を合わせて五種杵と言う、金剛薩埵が通常所持する金剛杵は方便を金剛鈴は智慧を表現する。
また東大寺に存在する著名な執金剛神の執金剛とは金剛杵を持つ者を意味する。
因みに金剛頂経の「頂」は諸説あるが峯を意味するシカラ(śikhra)の支持が多いようだ、また金剛界曼荼羅では金剛は大日如来の智慧を顕している。
注1、五相成身観 五相成身観とは唯識と空観を融合したとされ即身成仏する為の五段階の観想法である。
1「通達本心」菩提心を己の根幹に持つ、真実の自性成就目指す
2「修菩提心」菩提心に清浄智を拡大、通達本心がより明確になる、
3「成金剛心」菩提心を堅固にする
4「証金剛身」佛性を会得、金剛心を本質に
5「佛身円満」一切如来の様に となる。
注2、四大品の内金剛界曼荼羅には中央の成身会(羯磨会)から・三昧会・微細会・供養会・四印会・一印会までを金剛界品(六種)から引用される、理趣会は理趣経(六種)から取られ降三世品から・降三世会(十種)・降三世羯磨会が引用されている。
注3、主な金剛頂経群 「金剛頂瑜伽中略出念誦経(略出念誦経)」 「金剛頂一切如来真実攝大乗現証大教王経(一切如来真実摂経)」 「一切如来真実攝大乗現証三昧教王経(金剛頂大教王経)」。
注4、金剛頂経で不空訳が日本に於いては一般化しているが漢訳で整備された経典は施護訳でり、南北朝時代に東寺の杲宝が「三十巻教王経次第」二巻を著している。
注5、 釈摩訶衍論 大乗起信論の注釈書で竜樹の作と言われるが、中国で8世紀初頭に華厳経を典拠に登場した哲学で竜樹とは時代が合わない、空海が密教と顕教の相違の説明に引用した様で如来蔵と阿頼耶識の結合を理論化したとされ本覚思想と密教おも一元化している。
注6、 密教は日本に於いては雑密すなわち雑部密教と正純密教(純密)分類されている、また空海以前すなわち雑密は前期密教に、空海が請来した純密は中期密教に分類されている、後期密教は中国や日本には左道(淫し)佛教としてタブー視されていたが、チベットやブータンなどは後期密教すなわちタントラ佛教であり近年見直しがされている、玄昉や道鏡は雑密僧にも分類出来る、因みに雑密の熟語は空海の「真言宗所学経律目録」が嚆矢と言われている、空海は純密と言う熟語は使用しておらず両部と呼称していた、この二項対立を始めたのは慧光(1666~1734年)と言う僧が嚆矢で江戸時代中期以降である。
7、劫(こう)とは梵語kalpaの意訳で仏教の言う非常に長い期間を言う、劫には複数の算定方法があり、
賢劫の千仏とは現在の劫を賢劫と言い過去の劫を
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。
劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
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2007年3月14日 三句の法門他 加筆 2008年7月4日大日の呼称 2009年8月7日 2012年3月3日方便の究竟 7月3日大日経䟽 加筆