仏像

               説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif              寺院案内     歴史年表     仏師       

仏像の種類とその特徴        

  尊        名 

         適           用   

          主  な  印  相   

如 来     

    

    

釈迦如来  

唯一実在した如来 ・仏陀  賢劫の過去仏 

施無畏・与願印、降魔印・定印、転法印、禅定印禅宗・鎌倉以後)  

薬師如来  

浄瑠璃浄土  (薬壷を持つのは平安時代以後) 

 施無畏・与願・薬壺 

阿弥陀如来  

極楽浄土 

九品印・来迎印・転法輪(飛鳥天平頃まで)上印(九端定印とも) 

弥勒如来  

現在兜率天、56億7千万年後に如来となる 

 右手・施無畏・左手・膝の上で伏せるケースが 

大日如来  

両界曼荼羅の主尊 菩薩形、毘盧舎那仏と同体 密教統括仏

 智拳印・法界定印 

毘盧遮那仏  

 華厳経による三千大千世界(注15を統括する、  密教経典にも毘盧遮那仏

 施無畏・与願印 

阿閦如来  

金剛界曼荼羅の東尊          密教仏 

 右手・触地印・左手・衲衣の端を持つ 

宝生如来  

金剛界曼荼羅の南尊          密教仏 

 右手・与願印・左手拳を腹部 

無量寿如来  

両部曼荼羅の西尊で阿弥陀如来の別称 

 九品印の内上品上生 

不空成就如来  

金剛界曼荼羅の北尊          密教仏 

 右手・施無畏印・左手は膝 

宝幢如来  

胎蔵(界)曼荼羅の東尊        密教仏 

 右手・与願印・左手・袈裟を持って胸に 

開華王如来  

胎蔵(界)曼荼羅の南尊        密教仏 

 右手指先を垂れて胸 手の平は外・左手に袈裟 

天鼓雷音如来   

胎蔵(界)曼荼羅の北尊        密教仏 

 右手・触地印(降摩印)左手・拳にして臍まえ 

多宝如来   

法華経(見宝塔品第11に現れる如来 主に日蓮宗 日蓮宗の崇拝物に、南無妙法蓮華 経の文字を中心に釈迦如来・多宝如来を墨書したものが多い、二仏併坐像の仏像は南北朝時代の作が稀 に存在(千葉県・中山法華経寺)。 

釈迦と同じ印相もあるが様々

長谷寺の・法華説法図(国宝)唐招提寺に仏像がある

   

三尊形・その他の如来 

   

  

 

菩 薩 

 

  

 

 

聖観音 

十一面観音 

不空羂索観音 

千手観音 

如意輪観音 

准胝観音 

馬頭観音 

 

 

勢至菩薩 

普賢菩薩 

金剛薩埵 

文殊菩薩 

虚空蔵菩薩 

地蔵菩薩 

日光(月光)菩薩

般若菩薩 

大随求菩薩 

多羅菩薩  

他の菩薩 

明 王

 

 

 

 

不動明王

降三世明王

軍荼利明王

大威徳明王

金剛夜叉明王

孔雀明王

愛染明王 

鳥枢沙摩明王

大元帥明王 

 

天部他

 

 

 

 

四天王

毘沙門天

帝釈天

梵天

弁才天

吉祥天

大黒天

歓喜天 聖天

韋駄天

訶梨帝母(鬼子母神)

金剛力士

十二神将

羅漢

八大童子

十大弟子

技芸天 他

本地垂迹仏 他

八部衆 

蔵王権現

二十八部衆

阿修羅

 

 

七福神

荼枳尼天と稲荷


仏像の発生  

仏像は12世紀頃にインドで造像され始めアジアの各方面に伝わり固有の文化伝統を受容しながら変化して広がりを見せる。
インドでは当初偶像を否定していたが、佛教が行から信に移るに従い対象が必要とされる様になった、本生譚が制作された時代を境に偶像崇拝
(ユダヤ教・イスラム教から見れば偶像崇拝)に変化していった、また法華経方便品に於いて卒塔婆や仏像の製作を勧めている影響もある。
大乗仏教の興りと時代を同じくして礼拝の対象として製作されるようになる、仏像とは二世紀初め頃にクシャーン王朝に於いてマトゥラー地方に赤色のインド砂岩に彫られた。
仏像彫刻の源流でインド独自の美意識を持ち発展したマトゥラー
Mathura)と、ほぼ時を同じくして発生したガンダーラ(Gandhara)の仏像は緑片岩に彫られた、この仏像は侵攻したアレキサンダー大王の文化融合政策から送り込まれたギリシャ文化の芸術家によるものである、シルクロード交易で活躍しゾロアスター教(注1)から仏教徒に改宗したソグド人やガンダーラを支配し大乗仏教の帰依した騎馬民族クシャン人に拠るものであり、ヘレニズム(Hellenism)文化を取り入れているがアレキサンダー大王の遠征でガンダーラに入り仏教に帰依したギリシャ人の存在は大きな影響を受けている、更にBC2世紀後半頃に200年に亘り西北インドを支配したギリシャ人のミリンダ王Milinda達の統治時代の影響も考えられる。
因みにクシャーン王朝では金貨が現れ仏像が彫られている、但し金貨には他にバラモンのシバ神像・アフラマスダー像
(ahura-mazdāhアヴェスター語 ゾロアスター教の最高神)・や王の肖像も彫られている。 
仏教
発生時には偶像崇拝を否定していたインドは別として、中国や朝鮮及び日本では仏教を招来した時点から仏教と仏像は一体化していた、空海は御請来目録に於いて恵果の言葉として「‐‐‐図画に仮らずんば相伝することあたわず」と言っている、仏教はセム的一神教すなわちユダヤ教キリスト教イスラム教から偶像崇拝と批判される仏像や祖像を大切に崇拝する、但し対象とされる仏の持つ教義、理念を理解しなければ信仰や拝観は浅略になる、特に仏画は彫刻よりも著しい、仏教以外の世界宗教においては偶像崇拝を否定しながら例外的に三位一体や、公教要理202でモーセの十戒から第二戒の「汝は己の為に像を刻んではならない」を除外する巨大宗派もあるが、基本的には偶像崇拝を否定している、青木前文化庁長官の言葉を要約すれば、主に仏教だけが礼拝の対象とする美術作品が発達した、仏教は神があり神の僕となる事を想定しないで人間が覚者となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証となる。
ひろさちや氏は古寺巡礼
(小学館)の中で和辻哲郎氏の「われわれが巡礼しようとするのは、美術に対してであって、衆生救済のみ仏に対してはないのである」に反論して「寺は祈りの場である、真剣に祈れば仏は祈りに応えて下さる」と言う、しかし「寺は祈りの場である」には、まったく異存はないが仏像は真摯に祈る衆生と仏との結縁を満たす観想の対象像と考える、私は仏像に対して真摯に合掌するがサルベージを求めての祈りは行わない、従って秘仏に対しては否定的に考える、但し氏は別項に於いて神仏に救いを求める「請求書的信仰」を否定し「領収書的信仰」を言われる、時宗の「名号札(みょうごうふだ)」的であるが拙サイトは「感謝状的信仰」と表現したい。    
仏像とは仏教の祖である釈尊を後世の仏弟子達が釈迦如来を慕いその姿を観想して生まれた、即ち本来は覚者(覚れる者)を造形化したもので
礼拝の対象となる彫刻や絵画を言うが、彫刻を仏像・絵画を仏画と区分されている。
釈尊が覚りを開き直接説いたとされる仏教は現世救済の哲学(宗教全て哲学とが言えなくも無い)であり、初期の仏教には偶像崇拝は存在しなかった、即ち仏教の要諦は覚者(釈尊)の姿形すなわち肉体には関係無く、釈尊が覚った仏法にあると解釈されたからとも考えられる。
釈尊の教えは人々の生きる悩みを解決する事にありバラモン・ヒンヅウー教の形骸化した儀式至上主義や偶像崇拝的な行動も否定している。
   
また教えも口伝、即ち師資相承(ししそうじょう)・(師から弟子へ)であり釈迦が存命ならば仏像・経典も承認しなかったのではないかと思われる、但し当時は文字の使用はごく一部分の階層に限られ識字率は低率であった事も考慮しなければならない。
仏教に於ける偶像崇拝の対象、即ち仏像は大乗仏教思想の興りと共に教義を経典の他に理解の容易な形で示す必要から始まったと言える、当初は仏伝が語られそれが仏伝図として釈尊の存在を空白にして彫刻された、それが後に釈尊を蓮華(誕生)菩提樹(覚り)宝輪(説教)(涅槃)等をシンボリック的に偶像化される様になる。 
世界的規模の宗教では偶像崇拝を否定する教派は多いが偶像の背後にある神仏を感得して礼拝するものであり、偶像本体を拝する為ではなく一概に否定すべきでは無いと考える。
仏教は仏像や宗派に依るが祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は一神教
(ユダヤ・キリスト・イスラム)と違い神が存在し神の(しもべ)となる事は念頭にない、人間が覚者(如来・成仏)となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証明となる、青木前文化庁長官の言を借りれば『苦諦の除去(悟り)後にある事例は「無」であり、そこに見出せるものは美』であると言う、但し留意しなければならない点は、宗教に優劣は無く個別宗派を称賛や批判するものでは無い。  
仏教が民衆に受け入れられる為には救済を具体的に表現する必要に迫られた、仏像は人々の信仰的要求にこたえて発生したと言える。
大きな乗り物即ち大乗仏教
(Maha-yana)は「上求菩提下化衆生」がポイントであるが特に下化衆生を行う行為が求められる、衆生をサルベージする為に仏像すなわち如来菩薩明王を登場させた、阿弥陀如来には安寧を、薬師如来には医療行為を弥勒菩薩には次世代の救済が約束される。 
他に救済を目的とせず宇宙真理を表わし、如来の統括する毘盧舎那仏と同尊で密教に於ける大日如来を挙げる事が出来る。

大乗仏教の起こりと共に釈尊を思慕する所から「他土仏(たどぶつ)信仰」が生まれて阿?如来や阿弥陀如来が登場する、他土仏信仰とは我々の住む世界即ち釈迦如来の住む浄土では無く、異なる空間即ち別世界に釈迦と同様に覚りを開いた仏が存在すると言うインド哲学から生まれた信仰である、他土仏は法華経金光明経阿弥陀経など多くの経典に記述されているが共通する如来名は阿閦如来(あしゅくにょらい)と阿弥陀如来のみで異なる尊名が多数を占める、因みに後述する過去七仏は釈尊と同じ娑婆の世界の仏と考えられ応身仏である、いわゆる報身仏が他土仏に相当するとも言えよう

一世紀頃にクシャーナ王朝でストーバが作られ初め、二世紀頃仏教を信仰する阿育(あしょか)王の建てた記念碑(石柱・インド砂岩223㎝)の中に千幅輪があるのが仏足跡・菩提樹・台座・宝輪等(上座部仏教時代)と共に最初の崇拝された偶像物と言える、この時代はローマとの交易が盛んで大量の金等がインドに流入し金貨の鋳造や彫刻の起る触媒にもなった、特に宝輪はインドに於ける伝説上無敵の転輪聖王が武器に使用した金の輪を釈迦の説法にリンクさせた品で古代インドでは説得力の大さは測り知れない。17参照 
また偶像崇拝(久遠実状の釈迦如来)のもう一つの起こりとしてBC一世紀頃即ちギリシャ人のミリンダ王が支配していた近い時期に火葬された仏舎利śarīra を埋葬する為の「卒塔婆」ストーバ(Stupa)が建設されたが多くは侵攻したイスラムに 破壊された。 現存しているストーバにパールハットBharhut)ボト・ガヤ(Bodh-gaya)サンチーSanchi)第一塔、第二塔、アジャンター
Ajantā)の室内塔等があり現在日本に多数存在する五重塔,三重塔、多宝塔等の原流となっている。                              
これらインドの塔は土を碗型に盛り上げた中
(伏鉢)に仏舎利を納めこれを参拝したのが始まりである、これら卒塔婆にはインド古来の神々は顕わさされているが釈尊の姿は表わされていない、原始仏教に於いては仏法が崇拝されるもので釈尊の姿ではないとの思想からの偶像崇拝否定とも言える。
我が国に現存する塔の相輪(塔の屋根の上に建っている突出部分)の内、下部より 1,露盤(ろばん) 2,伏鉢(ふくばち) 3,請花(うけばな) 4,九輪(くりん) 5,水煙 (すいえん) 6,竜車(りゅうしゃ) 7,宝珠(ほうじゅ)とあり、この部分がインドのストーバに相等する、これが中国を経て卒塔婆(そとうば)になり塔と変化していった、塔の文字は土の集体には生えたと言う文字訳である、余談であるが相輪の重量は法隆寺の場合約3屯あり塔本体を押さえる構造物としての役割も持っている。   
したがって寺院の伽藍配置も初期のものは、信仰対象である塔(仏舎利の保管場所で主に伏鉢の中)を中心に金堂(東金堂・中金堂・西金堂―飛鳥寺跡)を始め諸堂が取り囲んでいたが、信仰の対象が仏舎利から仏像に変化するに及んで伽藍の中心は塔と金堂の並立時代四天王寺法隆寺・他)を経て金堂中心になり後には講堂に移る、塔は次第に伽藍の脇興福寺東寺他多数)に移動することになる。   
インドではBC二世紀頃から釈迦の前世の行動等が語られる様になる、インドに於いては五百余りの物語がありその姿を描く本生譚(ほんしょうたん)が盛んになる。しかし日本では神格化された久遠実状(大乗仏教)の釈迦が信仰されている関係から現存しているのは法隆寺の玉虫厨子に描き語られるのは捨身飼虎本生図・涅槃経聖行品のみである。   
       
土着信仰が盛んであったマトゥラーの仏像はインド独自の伝統芸術が表現されていると言えるがガンダーラの像と融合し中国に亘り中国文化と溶け合い日本に齎された、日本では仏教伝来以前は神祇信仰(じんぎしんこう)いわゆる山河草木を敬い、偶像崇拝を知らない貴族達に教理・理論よりも視覚に訴え芸術性を持った彫刻像や建築に大きなカルチャーショックを与えた事であろう。
初期の仏像はStupaの従的な存在として発生したとの説もあるが、時代を経て釈尊の神格化が求められたと言える、自由な様式・表現の像が制作されたが、やがて三十二相・八十種好(注1の規則が出来た、一般論としてこの規制のおかげで信仰の対象としては規格化されたが今日の視線で彫刻作品として観れば規制に呪縛されており、芸術作品として迫力に欠けるのではないだろうか、しかし日本の仏師達は仏の種類・装備など多くの制約を課せられた中で優れた像を生み出している、この特性は「折り紙」等に観られる様に世界に冠たるに値する日本人の特技の一つであろう、この場合仏教美術の研究と教理の研究に乖離がある事を念頭に置かねばならない、これは茶道具と陶工との関連にも見る事が出来る。
また概論で述べたように仏教は悠久の昔から存在する宇宙の真理を釈迦牟尼が覚ったものとされており、釈迦以前にも覚者が存在したと考えられ(聖書に於ける創造主の様に天地を作り出したものではない)過去仏や未来仏も作り出された、これを過去七仏と言う。
下述する毘婆尸仏から毘舎浮仏までを、過去の住劫(じゅうごう)すなわち荘厳劫の覚者であり、拘留孫仏以後の釈迦牟尼仏までは、現在の住劫、即ち賢劫(けんごう)の覚者とされる、因みに西暦1世紀頃のパールハット)に七仏の浮彫が有ると言う。

過去七仏とは 
毘婆尸仏(びばしぶつ)     vipśyin   ヴイオアシュイン   荘厳劫の仏(過去の劫)
尸棄仏(しきぶつ)       
śikhin     シキン        荘厳劫の仏
毘舎浮仏(びしゃふぶつ)     viśvabhū   ブイシュアブー   荘厳劫の仏
倶留孫仏(くるそんぶつ)     krakucchanda クラクッチャンダ  賢劫の仏(現在の劫)
倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ) kanakamuni  カナカニム      賢劫の仏  
迦葉仏(かしょうぶつ)      k
āśyapa    カーシュヤパ     賢劫の仏     に至る六仏になる更に、
・釈迦牟尼仏   śākyamuni
(シャーキャムニ)を加えた 過去七仏に対して弥勒菩薩の様な未来仏も考え出された、これ等をベースにしてインド哲学は法華経を例にとればガンジス河の砂の数ほどもの如来・菩薩を生むが、密教の起こりと共に更に著しくその数を増やすことになる,因みに過去七仏は毘舎浮仏までを過去の劫(注13すなわち荘厳劫の仏であり、拘留孫仏~釈迦如来までを現在すなわち賢劫の仏となる。
これが大無量寿経に依れば阿弥陀如来の場合には54番目の覚者である、無限と言える過去
乃往(ないおう)過去久遠無量不可思議無央数劫(むおうしゅこう)に「錠光(じょうこう)如来」が出現する、その後錠光如来に次いで各如来が長い年月の間に現れる、錠光如来から53番目に「世自在王如来」が現れると「法蔵菩薩」は世自在王如来の弟子となり、師から210億の仏の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。

日本教の歴史文化的DNAのなかで熟成された日本の場合一神教徒から見れば異質に写る、日本に於いては神官や僧侶を含めて教義を軽視する人が多く存在している、仏像は本来仏教の持つ哲学や救済の目的を考慮して僧侶や衆生に対して尊像との結縁を発生させて拝ませる為に製作されるはずであるが、薬師如来や密教に於ける観音菩薩には多くの秘仏が存在する、これには2点の原因が考えられる1点は呪術が目的であり霊験・荘厳さを演出する為と思惟される、もう1点は山河草木に宿る神を崇拝して偶像が無い古代神道に馴染み御神体を覗く事による穢れや祟りに恐怖感を持つ事にあるかも知れない、しかし偶像崇拝は仏像の請来から始まり8世紀すなわち奈良時代に神宮寺・神願寺などに神像が取り入れられて神仏習合が起り次第に恐怖感は希薄になる。
また教義面に於いても徳河家康の行った檀家制度、明治政府が出した聖職者の婚姻制度に、日本人のエトス
(行動様式)が加わり教義に関心を示さない人が多い。
寺院の創建からの歴史、沿革が在るにしろ所属宗派には無用なはずの教義からは異端像が多く存在する、真言律宗の寺に阿弥陀如来が本尊であったり、浄土真宗系の寺に大日如来が奉られても不思議に感じない、キリスト教社会で言えばマリア崇拝を否定するプロテスタント及びイエスの神性の否定するアリウス派・ネストリウス派の教会にマリア像を安置した様なものではないか。
河口慧海、日高彪氏の著述を要約すると現在多くの人々が寺院に仏像や庭園の魅力に導かれて拝観に訪れている、しかしそこに真摯な仏教徒は少ない、責任は巡礼者にあるのではなく仏教者側にある、即ち寺院側が世俗に染まり過ぎ仏教的でないと言える、衆生が信仰に入る魅力に乏しからである、信仰に向かう衆生はむしろカルト的な教団に足を向けている、これは著名な僧侶が瀟洒な暮らしの中で豪華な僧衣を纏い仏教用語を駆使するだけの説法しか為されないという指摘が両氏以外にも随所にあ見られる。 

日本においては20103月1日現在に於ける文化財保存法に指定されている彫刻像は2639
(国宝126件)あるが1件で複数の指定がある、例えば蓮華王院千手観音は1件で1001尊ありトータルでは5300尊を超える数にのぼる、ちなみに絵画に於いては宗教画以外を含めて1952(国宝157件)である。



永澤寺        

                                                                   當麻寺中之坊本尊


仏像の種類 

初めに明治大正期の仏教史学者・村上専精(せんしょう)(注16の「仏教統一論」の最後尾を紹介する「‐‐‐‐密教家にありて、釈迦・大日の同体論あれば、大日といえども釈迦に外ならずというべく、又浄土教家にありて弥陀・釈迦の同体論有れば、弥陀といえども釈迦に外ならずというべし。然れば仏陀の名号その数極めて多しといえども、釈迦一仏以外に出でずというも、敢えて何の不可これあらんや。蓋し密教家にありて釈迦・大日の同体説を唄うるや、大日中心の一仏説を立せんが為なり、又浄土教家にありて弥陀・釈迦同体説を唄うるや、弥陀中心の一仏説を立せんが為なり。然るに今や密教家としてこれを論ぜんとするにあらず、‐‐‐‐‐」と総ての仏は釈迦如来一仏と記述している。

初期の仏教は宗教と言うより哲学であり無神論的要素を含んでいたが、イランのゾロアスター教・インドのヒンズー教・中国の土着宗教や更にはギリシャ・ローマ文化等に出会い、多神教共言える大乗仏教に変貌を遂げる。
大乗仏教の時代になり信仰の対象としての像が生まれるが、インドに於いて土着の神々を仏教に包括する様になる、仏像の整理が必需となり仏身論

(仏の三身・注10さらに密教の興りからその数は飛躍的に増大する。
仏像は四つの種類が形成される、1、如来 2、菩薩 3、明王 4、天部とが信仰されているが、本来の意味の仏像は如来のみを意味する、如来とは冒頭に挙げた様に覚者の造形化であるが、梅原猛氏の言葉を借りれば「仏教のさとりの境地に到達した、仏教における最高の理想的境地に居住している仏」である、菩薩は現在も慈悲心から菩薩活動を行う「自利利他行(じりりたぎょう)」「上求菩提、下化衆生」等と言われ弥勒菩薩観音菩薩勢至菩薩文殊菩薩普賢菩薩等は既に覚者に成っていると解釈される場合が多い、さらに時代の推移と共に菩薩だけでなく明王・天部までも信仰の対象となっている為、広義に解釈して仏像に加えられている場合が多い、そこで現在日本に於いて信仰されてきた仏像を如来から取り上げていくことにする。  
如来とは梵語の
tathāgataタターガタ) の意訳語であり、ほぼ仏陀の同義語として用いられるtathā (そのように) gata (来たれる者)合成語と世界大百科事典には記述されている。
仏教(仏像)には顕教の釈迦如来と密教の大日如来が頂上仏として存在するが、これを関係付ける事に意義があるかも知れない、すなわち大日如来と釈迦如来は同尊か異尊かである、これには大釈別体説と大釈同体説がある、別体説には真言宗があり空海の十住心論に於いては・真言宗(大日如来)華厳宗毘盧遮那仏天台宗(釈迦如来)の順にランクされている同体説には天台宗が法華経を最高経典とする為に久遠実成の釈尊と台蜜の大日如来と同列に置く必要がある。 

真理を会得した世界からのた者()即ち覚りを開いた覚者、「正しく目覚めた人」のことを言い、如とは真理を覚得したことに通ずる。
造像は大乗仏教の起こりから始まるが教義を大衆に受け入れさせる為には救いを具体的に表わす必要に迫られた事による、従って仏像は人々の宗教的要求をかなえた産物でもある。
仏像の姿形として如来は大日如来を除いて上座部仏教と大乗仏教と同じ形で顕れているが菩薩・明王は大乗仏教・密教の像であり豪華な在家貴族の姿形が多い、上座部仏教に於いて菩薩に相当する像は阿羅漢であるが糞帰衣(ふんぞうえ)と言う粗末な衣装である、通常仏像のは性別は存在しないとされるが、インドでは女性尊が存在し、菩薩信仰に篤い中国に於いては特に菩薩像に於いて唐時代以降は高貴な女性的イメージの菩薩像が現れる。 
大乗仏教に於いて阿羅漢など十大弟子は声門に扱われ軽視されているだけであろうか、これ等釈迦の高弟達は高いカーストの出身者であり目
?(もっけんれん)の様にビアイシャ(平民)の出身でも富豪出身者が多い。
また如来の識別方法は簡単な様で複雑な面があり、特に飛鳥・白鳳時代の作品は解釈の難しい仏像もある、かの閨秀歌人、与謝野晶子は吾妻鏡の影響もあるのかも知れないが、鎌倉時代の仏像ですら「みだれ髪」の中で間違いを犯している。
鎌倉・高徳院(大異山(だいいさん)高徳院(こうとくいん)清浄泉寺(しょうじょうせんじ))の大仏は阿弥陀如来であるのに「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と読んでいる、また室生寺薬師如来は近年まで迦如来として拝まれていた(室生寺の薬師如来は文化財指定は国宝・釈迦如来で受けている)大安寺の伝馬頭観音千手観音菩薩で文化財指定を受けている。
古い仏像名は後世に命名された仏像は多くある、一例を挙げれば大安寺の楊柳観音は造像当初の尊名は不詳である、また継承されて来た尊名を意図的に変更
2002年)された例として薬師寺講堂の三尊像がある、即ち大講堂建立を契機に薬師三尊像を弥勒菩薩が法相宗の初祖との説から弥勒如来を中尊に (ほう) (おう)(りん)菩薩(ぼさつ)(参拝者から右側)大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)に変更された。
仏像観賞に於いて「仏像のこころ」(岩波書店)で新しいジャンルを開かれた梅原猛氏は仏像の心を知るには形からは入れと言はれる、印相(印契)(日本舞踊もこれにはいる)等は言語が発達以前の意思の表示方法であり仏像の印もその流れの中にあると言える、印相を梵語では身振りを意味するが特に密教に於いては印が教理そのものを具現している。
材質面に於いては非鉄金すなわちはブロンズ(銅像)に鍍金を施す金銅仏、粘土で成形する塑像、土と木枠で躯体を作り麻布と漆を重ねる乾漆像、脱乾漆像、白檀、楠、欅、檜などの木造(漆箔(しっぱく)・素地檀像様)の他、石を斫り出す石造がある、特殊な例として経典の古紙や冊子を張り合わせた紙張貫(しちょうかんぞう) がある、これは像内に物品が納められるようになっており、茶道具の一閑張細工(いっかんばりざいく)の嚆矢とされる。
造仏は11世紀中盤から百年程の間に、材質の変化に加え定朝による寄木造や慶派による玉眼の開発により完成を観たと言える。
また製作年代及び場所は概ね特定されているが飛鳥時代の仏像は請来されたか、渡来人の作品か確定は困難とされる。

古仏すなわち文化財の像容は時代を経て変化していくが、通常諸外国に於いては古くなると造顕時の状態、すなわち金色に塗りかえられる、日本にでは古仏・仏画を復元する場合に於いて造顕時の金色に輝き、煌びやかな状態まで戻す事は無く、在るがままに近い状態に復元している、ここに日本人の美意識に対する真髄が見られる、徒然草を引用すれば「羅は上下(かみしも)はずれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と言れている、其処には作品の中から時の経過を読み取る文化が存在する。 

大仏の像高に付いて、大仏に関する定義は確定していない、日本に於いては丈六仏(立像で約48000 cmを上回る背丈の尊像を大仏と呼称されている、しかし大仏とは東大寺盧舎那仏の坐像(創建時1620.0 cm現在1486,8cmや鎌倉、高徳院の阿弥陀如来の坐像1138,7cm)を連想されている、前述の大仏の他に日本三大仏と言われた大仏に岐阜大仏(金鳳山正法寺・岐阜市大仏町・天保3年)がある、像高13.7mの釈迦如来で木竹芯乾漆像がある。 
仏教
の発祥地インドに於いてはカニシカ王等の例外を除きサンガ
(教団)を中心に檀那衆からの寄進に依り造像された為に巨大な仏像は少ない。 
仏教が東漸(とうぜん)と共に仏教徒の王が支配する国家仏教が成立すると巨大な仏像が造像される様になる。 
インドに於ける少ない巨像の内で著名な尊像はナーランダにあった立像は20mを越えていたとされる、大仏で世界的に知られたのはアフガン、バーミヤンの二大仏であるがタリバンに破壊された事は痛恨の極みである、因みにバーミヤンの東大仏は38m、西大仏が55mであったとされる。 
中国に於いて多くの大仏が造像されたが敦煌北大仏
96?33m倚像(いぞう)・南大仏130?26m倚像がある、最大の大仏は四河省楽山・凌雲寺71m倚像、弥勒像とされている(宮路昭著東大寺の歴史と教学・法蔵館参照)、因みに倚像とは台座に腰掛け両足を下に揃えた尊像を言う、また世界遺産・凌雲寺の倚像サイズは8世紀初頭の造像で頭部14.7m、首3、0m、耳7m、指8.3m、足11、0mと言う。
因みに慶長大地震で崩壊した京都東山大仏
(方広寺)の像高は18mとされている、現在に於ける日本最大の仏像は牛久大仏と呼ばれる阿弥陀如来像で、総高120m、総重量4000t、螺髪のサイズ1m200㎏ 鉄骨銅板化粧で平成411月完成した(茨城県牛久市久野町2083。 参考―‐米国の自由の女神像40m  東大寺盧遮那仏 1498m   


仏像の時代別特徴(見分け方)

  時   代

             特                                 徴

飛鳥 時代  

眼は杏仁形(きょうにんけい) ・唇は仰月形(ぎょうげつけい) ・顔は長い ・アルカイックスマイル 
 ・正面は左右対称像が多い 
 ・印形以外はシンメトリー 裳懸坐(もかけざ)  ・銅像

白鳳 時代 

顔は丸く表情に明るさ ・肉付きが良い ・眉と目の間隔が広い ・側面、背後に細工の像がでる ・飛鳥寺代の面影を残した像が残る ・彫りの深さ ・立体感 ・写実性の始まり  ・楠材 ・丈六仏 ・優美・繊細
この時代に百済、高句麗が滅び渡来系工人が各地に分散し仏像・工芸品を多く広め絢爛たる天平文化に引き継ぐ ・衣文等がシンメトリーから抜け出し皴に自然さ

天平 時代 

均整が取れ写実性に富む ・多眼多臂の密教像が出始める ・観音像、変化像など種類が多様化 ・材質が多様化し奥行きがでる(銅像・塑像・乾漆・木心乾漆造) ・造仏所が出来て流れ作業化する  ・ダイナミズム  ・檜材 如来以外の像造
仏教美術の爛熟期を迎える   ・木屎漆で衣文などテクスチャーに(texture奥深さ

貞観 時代  

檀像様(注7や密教像が増える ・木像は80%以上を占める ・檜の一木造が多い  ・翻波式  ・力感が増し表現の多様化  銅像・塑像姿を消す   材質もあり地方に広がる  神像(神仏習合)の広まり 

藤原 時代 

優美なラインを持つ和様彫刻の起こり ・寄木造の始まり・ 彩色像の増加 ・顔が大きく伏目勝ちで貴族好みの優雅さを持つ ・浄土信仰による阿弥陀像が増える ・浪漫主義 ・後半玉眼の起こり ・地方への広がり  ・装飾性 

鎌倉 時代 

銅像・塑像の復活  ・武家好みの豪快さ躍動感  ・玉眼の浸透  ・造形、写実性の完成 ・勇猛力感  
康慶と息子、運慶を先導に慶派の台頭 ・法衣の裾が長くなる、襞も複雑に ・顔が卵型で細い切れ眼 ・塑像、鉄像 ・半跏像 

南北朝時代 

装飾性 ・禅宗様 肖像が多くなる ・為政者による注文が激減  
南都仏師や鎌倉に於いて宋時代の様式を踏襲した臨済宗の注文を受けた作品が残る(東慶寺水月観音など)


*我が国の仏像の特徴として半眼の尊像が多い事にあろう、統計的に調査していないが外国の仏像は両眼を見開いている像が多く閉眼も存在する。  


1,  三十二相の要点説明を大智度論から引用の佐和隆研/編・仏像図典、(吉河弘文舘)から主なものを抽出した。

 

三十二相の抜粋 

解                     説 

 足下安平立相(そくかあんぺいりつそう) 

 足の裏が扁平で大地に立つと、地面と足の間が密着する 

 足下二輪相(そっかにりんそう)  

 足の裏に千幅輪が現れている  

 長指相(ちょうしそう)  

 手足の指が長い  

 足跟広平相(そくごんこうびようそう)  

 踵は広く平ら  

 手足指縵網相(しゅそくまんもうそう)  

 手足の指の間に水掻きの様な膜がある 

 足趺高満相(そくふこうまんもうそう)  

 足の甲が高く亀の甲のように盛り上がっている 

 正立手摩膝相(そうりつしゅまそくそう)  

 直立した時の手は膝をなでるくらいの長さ 

 身広長等相(しんこうちょうとうそう) 

 身長は手を横に広げた長さに等しい 

 金色相(こんじきそう)  

 全身が金色に輝いている 

 光相(じょうこうそう)  

 全身の周囲一丈の範囲光り輝いている、 丈光相から光背が出来た   

 大直身相(だいちょうしんそう) 

 体が大きく端直無比   

 真青眼相(しんせいがんそう)  

 眼晴は青蓮華の如く紺青色である   

 牛眼睫相(ごげんしょうそう)  

 牛王の如く睫毛がながい  

 頂髻相(ちょうけいそう) 

 頭上の肉が隆起しており、その形は髷のよう  

 白毫相(びゃくごうそう)   

 眉間の白い毛が右回りにねじれて、光を発している


2, 八十種好とは三十二相を詳細化されたもので ・眉は新月のように細く美しい ・耳輪は長くたれている ・腹は細く ・臍は丸い ・耳朶環状 ・三道(喉のしわ) ・臍は深く右渦をまく ・ その他手相のことなど八十項目がある。

3、如来十号 如来には多くの呼称があり
如来十号と言う。 
1、如来   覚りを開いた人  
2、応供(おうぐ)  供応を受ける適格者  
3、正等覚(しょうとうがく)または正遍知 如来供応正等覚者とも言い正しい覚りを開いた人  
4、明行足(みょうぎょうそく)  明は智慧 行は、おこないを言い明行を兼ね備えた人 
5、善逝(ぜんぜい) 迷いを断ち切り静寂心を会得した人 
6、世間解(せけんげ)  世間の事の理解者
7、無上仕(むじょうし) 最も秀でた人 
8、調御丈夫(ちょうごじょうぶ) 指導救済者 
9、天人師(てんにんし)  天界人と人間を導く  
10、世尊(せそん)  尊敬に値する、釈迦牟尼世尊の略
  


4、 釈迦の真物とされる仏舎利(
śarīra)は1900年タイ国のチュラロンコン国王から贈呈され名古屋市の覚王山・日泰寺の奉安塔(舎利塔)に安置されている。
覚王とは覚者の王即ち釈迦如来のことで、日泰寺は日本・タイ国から命名された。
 

5、四方仏 四方に仏国土があると言う考えがあり、東方の浄瑠璃世界に薬師如来  西方極楽浄土に阿弥陀如来  南方娑婆に釈迦如来  北方弥勒浄土に弥勒如来 があり、興福寺の五重塔を初めとして多く存在する。

6、偶像崇拝を一神教は否定するがカトリックは建前として偶像崇拝を否定するが十字架のイエスやマリア崇拝が存在する、仏教は仏像を拝するが偶像崇拝は礼賛しても否定すべきくではないと考える。


7檀像 ・白檀(びゃくだん)紫檀(したん)・等の木材で彫られた像を檀像と呼ばれる、優填王(うてんおう)が造像させた最初の釈迦如来像が檀像であるとされる、木目が微密で薫香を発し珍重された、インドや東南アジアに於いて産出される白檀で造像された檀像は5世紀後半中国に請来されるが中国に於いては白檀など香木は産出されず、清凉寺に請来された釈迦如来像の様に中国桜で代用された、さらに日本に於いては(かや)や檜材が使用され小像が多かった檀像様は比較的大きく造像出来る様になる、因みに仏像彫刻の世界では白檀を栴檀とも言う。
日本に請来された檀像の代表として法隆寺国宝・九面観音と同じく金剛峯寺の諸尊仏龕がある。
白檀はH10m、幹は60㎝程度に成長しその中心部の赤味部分のみが仏像などに使用される、硬質で光沢に優れ薬効成分も含む、最高質の栴檀を牛頭(ごす)栴檀と言い牛頭山(インドのマラヤ山)産出の栴檀の下部(根に近い)が特に珍重される、因みに阿含経を基に最初に彫られた釈迦如来像が檀像(牛頭栴檀)と言う。
 

8、仏像の表情にアルカイクスマイル(archaik smile 古式微笑)と呼ばれる事があるが古代ギリシャに於いてはBC 600480年をアルカイク期と呼ばれた、この時期に於ける彫刻の微笑をその後の仏教美術品に受け継がれたと言われるが、日本の仏像との関連は定かではない、わが国の仏像では法隆寺の百済観音・救世観音や中宮寺の如意輪観音、広隆寺の弥勒菩薩の口元をアルカイクスマイルと言われる事がある、因みに請来された時代もあるが密教像には生身すなわちリアルな尊像が一般的とされる。  

9、国宝に指定された仏教関連の彫刻は祖師像を含めて126尊に東京都の西新井大師総持寺所蔵の蔵王権現鋳銅彫像(銅鏡)があり、地域別には 奈良県70余・京都府余37尊 ・和歌山県5尊 ・大阪府、滋賀県 各4尊 ・東京都2尊  ・岩手県・福島県・神奈川県・兵庫県・大分県が各1尊となる。 

10、仏の三身とは大乗佛教と共に仏の種類が増えた為に整理上行われた理論で「仏身論」として言われた 「法身・報身・応身」を言う、しかし「大釈同異」と言われるように大日如来と釈迦如来別体説と大釈同体説がある様に解釈は分かれる。
    法身仏とは 覚りであり本来は姿形を持たない、宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来まで仏の王者とも言える、毘盧舎那仏大日如来を言う。
    報身仏とは 菩薩が修行と善行の報いにより到達する姿を仏身で顕したもので阿弥陀如来薬師如来などを言う。 
    応身仏とは 衆生を導く為に仏国土を離れて娑婆に自土仏として、顕した仏身で成道と入滅を行う如来で、釈迦如来をさす。  

11、 ゾロアスター教   BC7世紀頃~BC3世紀頃に現在のイランの東北部で発生しペルシャ文明の根幹を形成した宗教で世界最古に属する宗教と言える、経典は「アヴェスター」であるがペルシャ文明は口伝であり記録を残したのは古代ギリシャ人とされる。
神・アフラ・マズダの名からマズダ教・善教・松教とも言われ当寺のイランを席巻した、一神教信仰の嚆矢とも言える教義を持ち現在の世界三大宗教に儀礼や哲学に多大な影響を与えているが後にイスラム教に席巻された。
善意・良心・道理を重要視した行動を示す、火を象徴として宗教儀礼に用いる事から拝火教とも呼ばれる、ただし祭祀や儀式で火は必ず燈るが礼拝の対象ではない、古代から仏教にも大きな影響を与え阿弥陀信仰や不動明王等の火炎光背や、密教で重要視される護摩の火はゾロアスター教が源流とされる、またイスラム教シーア派にも影響があるとされる。
もう一つ世界宗教の源流と言えるものに善悪・光闇を峻別したことにある、以前の神はギリシャ神話にもある様に善悪二面性を有していたがゾロアスター教以後の宗教は神と悪魔即ち善悪が分けられた。
中国では松教(けんぎょう)と呼ばれた。活動期はBC2000年紀ごろからBC76世紀など諸説があるが定かではない。
現在新たな入信者の門を閉ざしておりインドボンベイを中心に世界に広がりが見られるが定かではない、約17万人の信徒を持つ。

12、頂相 禅宗寺院に仏像はあるが、本来は「頂相」即ち祖師の像を重要視して拝する。

13、 
 劫(こう) 劫波の略語で梵語kalpaの意訳で佛教の言う非常に長い期間を言う、盤石(ばんじゃく)劫の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。
また大智度論に依れば芥子劫も有り芥子の実を百年に一度160㌔平方㍍の城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、また
ヒンズー教に於いては一劫は432千万年とする記述もある、今現在の劫を賢劫(けんごう)と言い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿(せいしゅく)劫と呼びこれを三世三千佛と言う、曼荼羅に登場する賢劫の千佛はここから由来している。阿弥陀如来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った、ちなみに阿弥陀五劫思惟像は東大寺(木造・漆箔・106,0cm 室町時代)に合掌姿で存在している。
劫の分類は複雑で宇宙形成から繰り返す壊滅、空劫、成劫、住劫までの劫を一大劫、器世間と言う時間を単位とする物を歳敷劫という。
阿弥陀如来が
四十八誓願をかなえて覚りを開いてから十劫が経過していると言う、人間が成仏出来るまでの時間軸に三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)の間に積功累徳(しゃっくるいとく)を必要とされる、三阿僧祇劫,無数101403×1056乗×1劫となる、但し乗数は52-56等の説がある。     
因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(1/75秒)と言う、因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(1/75秒)と言う、また「一弾指(いちだんし)」すなわち指を一度弾くと65刹那とも言われる。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に
「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった、インド仏教世界には「一大劫」と呼ばれる思想があり成住壊空すなわち成(世界の創造)、住(維持)、(破壊)(無)を反復すると言う、因みにヒンズー教に於いては一劫を43億2千万年とされている。

14
阿弥陀如来の九品印とは上品上生~中品中生~下品下生までの九の上中下、品、生、の印を言う、経典や儀毅に記述は見られないが生前に積んだ功徳の相違から決められるとされる。

15
三千大千世界 大辞泉に依れば、仏教の世界観による広大無辺の世界。須弥山(しゅみせん)を中心に日・月・四大州・六欲天・梵天などを含む世界を一世界として、これが千集まったものを小千世界、それが千集まったものを中千世界、さらにそれが千集まったものを大千世界といい、これらを総括していう。三千世界。

16、村上専精(せんしょう) (18511929年) 仏教史学者、近代仏教学の草分け的存在で東京帝国大学インド哲学の初代教授、「仏教統一論」を著し富永仲基1715年~1746年)の大乗秘仏説を事実上肯定し真宗大谷派の僧籍を剥奪された、その他の著作に「大乗仏説論批判」「仏教三大宗摘要」「日本佛教一貫論」「日本仏教史綱」等々。

注17、輪宝 全ての悪敵を葬る武器で古代インドに於ける飛翔武器で土着信仰から生まれた転輪聖王を象徴化された八角等の金輪で密教では灌頂等にも使用される。


2005226日調整  42671日。106日。1127 転輪聖王 2007327日仏像の種類序文 725日注7 200847日 66日大安寺馬頭観音 2008710日偶像崇拝の一部 2008年9月1日 劫の一部 他土仏 2009年12月31日 古仏の時の経過 2010727日 注14他 1019日造像の起源  201143日大佛 10月26日法華経の影響など2012年2月写真掲載 2012年4月2日仏身論加筆    

説明: C:\Users\Owner\katada202\button1.gif         寺院案内   歴史年表   仏師