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梵語名 sanskrit語のXairocana(バイローチャナ・光り輝く)の音訳で毘盧遮那であり、意訳を広く光を照らす事で「光明遍照」また「光輝普遍」と訳される、経典により相違はあるが毘盧舎那佛(注7)と呼ばれることもある、法身佛(注5)であり智慧と慈悲とを無辺に照射する如来とされ、真理を擬人化した如来で宇宙の真理そのものを顕し悠久の過去から未来まで仏の王者である、宇宙とは佛教用語であり、BC2世紀頃前漢の淮南子や荘子に拠れば「宇」は空間で「宙」は時間を言い、世界は時間と空間のなかで構成されており源流をたどれば宇宙をあまねく照らす古代イランの太陽信仰に有るとされる、vai=広い ruc=照らす。
後述するが密教では意訳するとこれに mah´=大、または摩訶(大)を語頭に付けて摩訶毘盧遮那から大日如来となるとされる、但し摩訶毘盧遮那は曼荼羅の総体を言い、金剛界曼荼羅の主尊を毘盧遮那と言う金剛頂経からの説が妥当であろう。
毘盧遮那の顕教と密教の相違として挙げれば顕教の場合は装飾を身に着けず釈尊と同じ施無畏・与願の印を結ぶ、毘盧遮那は菩薩形でも智拳印や法界定印を結び装飾品を着ける、2〜3世紀頃に成立した華厳経に拠れば姿を現世に表す時は釈迦如来に変化して千の蓮華花弁に座すと言う、華厳思想は密教すなわち大日経・金剛頂経(両部の大経)に影響を与えているが密教の根本仏・大日如来の呼称に付いては金剛頂経に於いては全てに毘盧遮那と呼ばれており、大日経でも毘盧遮那が多く使われ大日如来の呼称は2〜3回で多くは毘盧遮那が使用されている、即ち大日如来と毘盧遮那佛は同尊であり翻訳者は中国の善無畏たちであるが大日如来は日本独自の呼称とも言える、梵語名はvairocanaであるが大日如来と訳したのは善無畏(637〜735)と弟子の一行(673〜727)である。
華厳経成立から時が経つにしたがい毘盧遮那は次第に影が薄くなるが、大日経すなわち大拘廬遮那成仏神変加持経による密教の成立で、一部は大日如来として再び脚光を浴びるようになる。
顕密を区別するもう一つの見解として金剛頂経に異説もあるが、顕教では華厳経に代表される「盧遮那仏」「盧舎那仏」が呼称され密教に於いては大日経の「摩訶毘盧遮那仏」「毘盧遮那仏」が多く使われる。
また毘盧舎那仏の出自は古く拝火教(ゾロアスター教)のの祖アフラ・マズダー到り非アーリア系とされ阿修羅王と同尊との説も言われアーリア系の帝釈天等とは対比される(雑阿含経)。
華厳経・梵網経の中に出てくる佛で無数に釈迦を発生させて説法すると言う、時代の要求に応じて釈迦以外にも仏が現れると言う哲学的思考から過去佛・賢劫の千佛・未来佛が発生した為姿形的には釈迦と同じ表現方法を採用したと思われる。
顕教に於ける三千大千世界即ち全宇宙に君臨する最高位の如来であり梵網経に拠れば100億の釈迦を顕し此処の国に於いて説法をしていると言う。
日本で現存する佛像は極めて少なく著名な像は「奈良の大仏」で親しまれる○東大寺大佛殿(752年開眼1692年再興)と○唐招提寺金堂と福岡県・観世音寺に隣接する●戒壇院と京都墨染の欣浄寺に現存するのみである。但し●東大寺 ●高山寺 ・園城寺などに鎌倉時代作の華厳経・大日如来の世界を咀嚼したとされる「華厳海会善知識曼荼羅」は存在する、また中国では石像が奉先寺(龍門)に存在する。
東大寺の場合は造像当初から残る蓮華座の蓮弁に線で刻まれた多くの釈迦如来を発射している、これら一つ一つが蓮華蔵世界を表している。
梵網経を典拠とする唐招提寺の毘盧舎那仏は印相と光背及び尊像の毛穴から発生した壱千にも及ぶ釈迦如来(蓮華蔵世界)を従えている、但し現在従えている光背の尊像は864尊である。
従来東大寺の大仏像な創建当初の部分は連弁の一部のみとするのが定説であったが松山鉄夫氏等東京芸大の研究調査により下半身や背部は天平時代の作であるとの報告がなされた。 しかし頭部や手の部分は江戸時代の修復であり、私は何度拝観しても天平の情感を感じることは出来ない。
これは佛師でも陶芸の世界でもその時代の代表作はその時代の文化の中で生きた人間でなければ生み出すことは出来ない、運慶や快慶は鎌倉時代のニューマの中に生き時代の代表作を生む事が出来たのではないか。
摩訶(大)毘盧遮那仏と毘盧遮那仏の区別に付いて大日経には毘盧遮那仏は経典の主であり曼荼羅の中核に座す如来(大日如来)であり、摩訶毘盧遮那仏とは曼荼羅全体を意味するとされる、almighty(オールマイティー)、即ち一切如来(sarva tath´gata)とも言われている。
法身佛 (以下全編サンスクリット語は梵語で統一) 法身仏とは不変の真理を佛身で表現したもので毘盧舎那仏・大日如来を指す。
摩訶毘盧遮那佛(国宝) ●印 国指定重要文化財の抜粋
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寺 名 |
仕 様 |
時 代 |
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坐像 銅像 華厳経による 大仏 総重量400トン弱 1486,8p |
天平時代 |
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坐像 脱活乾漆造 梵網経による 339,4p |
天平時代 |
●戒壇院(福岡県筑紫郡太宰府町観世音寺)坐像 木造漆箔 148,5cm 藤原時代
注1, 三千大千世界 梵網経・華厳経によると小釈迦が千箇所集まって小千世界を形成しそれを中釈迦が統括する、中釈迦が千箇所集まって中千世界を形成しそれを大釈迦が統括し、大釈迦が千箇所集まって大千世界となって夫々の釈迦が法を説いている、これらを摩訶毘廬遮那佛が統括している、したがって釈迦の数も膨大な数になる。
注2、賢劫の千佛 現在の劫を賢劫と言い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿劫と呼びこれを三世三千佛と言う、賢劫の千佛はここから由来している。阿弥陀如来は宝蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った。
劫(こう)とは梵語kalpaの意訳で佛教の言う非常に長い期間を言う、劫には複数の算定方法があり、盤石劫(ばんじゃく)の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。また芥子劫とは芥子の実を百年に一度大きな城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある。
劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
注3, 新大仏寺(三重県阿山郡) 鎌倉時代に快慶作の佛頭に江戸時代に躯体を補作した,●如来像 坐像 木造 漆箔 293,0cmが阿弥陀如来とも毘廬遮那佛とも言はれる、また鎌倉・円覚寺の宝冠釈迦如来像は当初は盧舎那佛であるが火災時に頭部(鎌倉時代)が避難出来たが、その他は後補であり文化財指定は受けていない円覚寺・宝冠釈迦如来 坐像 木造 260、0cm。
注4、過去佛 佛教は悠久の昔からの宇宙真理を釈迦牟尼が覚ったものであり過去にも同じ覚りを開いた人物が存在したとする考察が行われた。 ・毘婆尸佛(びばしぶつ) ・尸棄佛(しきぶつ) ・毘舎浮佛(びしゃふぶつ) ・拘留孫佛(くるそんぶつ) ・拘那含牟尼(くながんむに)・迦葉佛(かしょうぶつ)までの六佛に釈迦如来を加えて過去七佛と言われる、又過去佛が作り出されると共に未来佛も考え出され弥勒佛(弥勒如来)がある。
旧訳聖書では神が万物を創造しているのに対して毘盧遮那佛・大日如来は宇宙・真理そのものであり釈迦如来は真理の発見者とされる。
注5、 法身佛 宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来まで仏の王者とも言え、毘盧舎那仏・大日如来を言う。
報身佛 修行の結果成道し永遠の仏となる、阿弥陀如来・薬師如来などを言う、極楽及び浄瑠璃と言う浄土を持つ他土仏。
応身佛 衆生を導く為に顕した佛身で成道と入滅を行い、釈迦如来をさす、娑婆で涅槃に入った自土仏。
注6、 毘盧遮那佛を本尊とした寺院は消滅したが京都・法勝寺(11世紀)と方広寺(16世紀)が存在したとされる。
注7、 毘盧遮那佛と盧舎那佛であるが華厳経に於いては毘を除き遮と舎を併用され大日経に於いては毘盧遮那佛すなわち遮が使用されているが場合が在る、宗派により呼称は違うが同尊である。
最終加筆日2004年10月15日 2006年11月25日注5 2008年6月28日他 補筆