鶴田塾跡(少林塾)

 

□鶴田塾とは?

 

幕末に活躍した後藤象二郎や福岡孝弟、間崎哲馬らを輩出した鶴田塾。ここは長浜鶴田で閉居していた吉田東洋が開いた私塾でした。

高知市長浜にある鶴田塾跡石碑

現在の高知市長浜にある鶴田塾跡地。いつか行ってみたいとは思っていた場所で、ようやく訪問する事が出来たのですが、下調べの段階で正確な場所を特定する事が出来ず、不安を抱えた出発となってしまいました。

はりまや橋のある国道との交差点から自由民権記念館のある方向に県道34号線を南下していきます。途中出てきた宇津野トンネルの長さには少々驚きましたが、必死で地図と睨めっこして、瀬戸南町の交差点を左にそれ、ひたすら南下すると再び県道34号線に出る交差点が出て来て、左折してすぐに左側にあるスーパーの駐車場の隅の四国銀行のキャッシュコーナーの裏手に左上の写真の石碑が建っていました。後藤象二郎や福岡孝弟らが学んだこの地をようやく踏む事が出来ました。着いた時に素直に思ったのですが、同じ高知市内でも中心部から少し距離があり、当時の塾生はどのようにして通っていたのでしょうか?

 

鶴田塾。

 

安政元年6月、江戸で藩主容堂の親戚筋旗本松下嘉兵衛を招いての酒宴で暴行事件を起こして謹慎処分を受けた吉田東洋が、のち家族と共に長浜鶴田に移り住み、この時に鶴田で開いた塾でした。

鶴田塾では後藤象二郎ら土佐藩上士というエリート組以外にも、のち吉田東洋と対立する事になる土佐勤王党で幹部として活躍する間崎哲馬や三菱グループを創業した岩崎弥太郎らもこの塾で学び、弥太郎と象二郎はこの頃からの付き合いだとか。

高知市帯屋町にある吉田東洋石碑

吉田東洋が参政に復帰すると門下生の多くは藩庁に登用されていった事から、門下生である後藤象二郎や福岡孝弟らは人々より『新おこぜ組』と称されてしまいます。しかし彼らは土佐藩政の中心人物となり幕末維新に貢献しているのです。当時古い体質、習慣を変えていく事は大変な事で、それには若い優秀な人材の力も必要だったのではないでしょうか?

  

左から高知市にある福岡孝弟誕生地、間崎哲馬邸跡、安芸市江の川公園の岩崎弥太郎銅像。

また上士という身分に拘らず、優秀な人材を多く輩出した鶴田塾。もっと評価されても良いのではないかとわたしは思ったのですが。高知市内中心部より桂浜へ向かう途中の道を少しそれるとありますので、市内中心部から桂浜などを訪れる時に、機会があれば見学してみる事をオススメします。わたしは大満足でしたが、それぞれ好みがあるでしょうけど。。。ただ地図でちゃんと場所を確認しておきましょう。