中岡 慎太郎 1838〜1867

なかおかしんたろう 天保9年〜慶応3年

 

天保9年4月13日、安芸郡北川郷柏木の大庄屋中岡小傳次の長男として中岡慎太郎は生まれています。名を福太郎、光次。正道。迂山。

安芸郡北川村にある中岡慎太郎銅像。

志士として国事に奔走した中岡慎太郎。彼は土佐藩を脱藩して薩長同盟の推進や土佐陸援隊を結成する活躍をみせますが、慶応3年11月15日の夜、京都近江屋にて同志坂本龍馬とともに襲撃を受け、11月17日に絶命してしまう波乱の人生を送りました。

中岡慎太郎の志士としての行動力、活動力、そして実績は素晴らしく、同志の坂本龍馬と共に短いながらも中身の濃い人生を送ったと思いますし、わたしも彼の生き様に惹かれてしまいます。そんな中岡慎太郎は現在の高知県安芸郡北川村柏木に大庄屋中岡傳次の長男として生まれました。

高知県史跡中岡慎太郎生家。

慎太郎が生まれ育った生家は、のちの明治13年(1880年)に売却されて田野村に移築され、その屋敷も明治40年の洪水により流出してしまいます。しかし昭和42年、屋敷が売却された時の売渡証文の見取図を元に、北川村柏木に慎太郎旧宅が復元されたのです。

現在は観光名所として一般に公開され、内部も見学することが出来ます。これは本当にありがたいことで、慎太郎が生まれ育った屋敷に復元とはいえ触れる事が出来るのですから、嬉しい限りですよね。中岡家は元々北川村に住んでいた訳ではなく、文政7年(1824年)に吾川郡八田村より北川郷大庄屋としてこの地に赴任して来たそうで慎太郎生家は、当時の中岡家当主の要七が建てたもので、広さ213平方メートルあるそうです。

高知県史跡中岡慎太郎生家見取図。

生家の造りですが、当時の庄屋宅によく見られたという格式の高い鉤形をしている肘屋建築様式で、屋根は茅葺で室内に部屋は勘定の間や客間など8室あったそうです。室内には慎太郎像や写真などが飾られています。左の見取図で右上にある奥の間を私生活の部屋として使用したそうです。

慎太郎がどのような生活を送っていたのか想像する事もできますし、どうにもテンションもあがります(笑)右下の写真にある『ナツメの木』は、幼少の慎太郎がよく登っていたと伝わるものなのですが、生家復元後に衰えはじめ現在は切り株となっています。それでも残っている事が嬉しいかなとも思えます。

  

高知県史跡中岡慎太郎生家内部、そして入り口。右は生家の裏にある慎太郎も登ったナツメの木。

この北川郷は沿岸部より山奥に入った場所に位置する静かなのどかな場所であり、平家の落人によって開発されたという話も伝え残るそうです。慎太郎が幼少の頃に泳いだとされる巻の淵など周辺には景色の良い場所も多くあります。初めて生家を訪れた時に国道493号線を奈半利川沿いに走り、途中『もしか道に迷ってます?』ってな感じで本当に心配した苦い思い出もあるのですが、現在は高速道路のようなバイパスが完成して交通の便は良くなっています。訪問する道中が便利になり楽になった反面、狭い道を通って慎太郎生家へ風景を見ながら訪れる楽しさも捨て難いかなと思う気持ちもあったり。。。

 

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