|
■坂本龍馬ー誕生
幕末の志士として高い知名度、人気を誇る坂本龍馬。志士として各地を奔走し激動の33年間の人生を送った龍馬は天保6年(1835年)11月15日、現在の高知県高知市上町1丁目7−34に生まれた事から始まります。
高知県には様々な龍馬ゆかりの地がありますが、龍馬誕生地付近では『龍馬の生まれたまち記念館』が近年建設されました。
誕生地周辺には有名な龍馬郵便局、近藤長次郎誕生地や才谷屋跡の他にも、龍馬が通った日根野道場の跡地や河田小龍の塾跡、また大河ドラマで放送された山内一豊が築城した高知城をはじめ山内神社や宝物資料館など様々な観光スポットがありますので、散策しながら巡るのも楽しいかと思います。
そして高知県内の観光名所として必ず名前の挙がる『桂浜』。ここに坂本龍馬記念館や坂本龍馬の銅像が建ち、多くの観光客で賑わっています。毎年龍馬の誕生日11月15日前後には龍馬祭りが開催されていて、桂浜は観光客や多くの龍馬ファンで賑わいます。また桂浜の眺めも最高です。
龍馬の誕生日前後には桂浜の坂本龍馬銅像の横には櫓が設置され、夕方くらいまでなら無料でのぼる事が出来て、龍馬の顔をアップで見れるのです。まぁわたしが訪れる時は大概見学時間が過ぎていたりしていて、未だにのぼった事はありませんけど(泣)。その坂本龍馬の先祖を調べると初代にあたる人物は長岡郡植田郷才谷村(現南国市才谷)に住んだ太郎五郎という人でした。
現在先祖が住んだ大浜屋敷の側に2代目の彦三郎、3代目太郎左衛門のお墓があります。3代目太郎左衛門の二男・八兵衛は寛文6年(1666)に高知城下本丁3丁目に移住して質屋・才谷屋を始め、家業は順調で業績を伸ばし次第に酒屋や諸品売買、呉服まで扱う豪商にまで上り詰め、『浅井金持、川崎地持、上の才谷屋は道具持』と呼ばれたのは有名です。
土地家屋は人手に渡ってしまい、諸道具などは競売にかけられたそうです。才谷屋本家跡は現在の高知市本町2丁目あたりになります。
本家筋の才谷屋から新しく興されたのが坂本龍馬の生まれた郷士・坂本家でした。郷士・坂本家は才谷屋6代目八郎兵衛直益が幡多郡郷士が募集された時に郷士株を取得。長男・直海に譲った明和7年3月に誕生したのです。
龍馬誕生時、兄の権平は21歳で、姉千鶴は19歳であり龍馬とは離れた年齢だったようです。次姉栄は年齢不詳、そして末姉乙女は4歳でした。弘化3年6月10日(8月説もあり)龍馬12歳の時に母・幸が病没。末っ子の龍馬は兄弟の中でも病弱だった幸と一番接した時間が短かった事になります。
母の死後は姉乙女が龍馬の面倒をよく看たようで、様々な逸話も残しています。龍馬と乙女の絆は強く、のち脱藩した龍馬は乙女に多くの手紙を出しています。また小説等でよく龍馬が泣き虫だと書かれていて、わたしも龍馬は泣き虫だと信じていましたが、その事実を示す史料は残っていないそうです。
中岡慎太郎や間崎哲馬らの身長が5尺(152センチ)だった事を考えると龍馬は当時としては大柄だった事は間違いないようです。ちなみに大柄だったと伝わる山内容堂は5尺6寸、那須信吾は6尺(約182)でした。
坂本龍馬が生まれた時代の下級武士の二男以下の者らは、他家に養子へ出るか長男の世話になるか、もしくは学問や剣術の指導で生計を立てるしか自立の道がなく、龍馬はそれが全てではないでしょうけど、嘉永元年(1848)14歳の頃に家から歩いて5分の築屋敷(現在の高知市上町1丁目付近)の小栗流日根野道場に入門して剣術修行を始めます。
日根野道場跡を探して土手付近を歩きまわったのですが、この本町付近を歩くのは『龍馬もこの辺りを歩いたんだろうなぁ』とか思ってしまうので意外と楽しいです。ゆかりの地を歩くと、少し龍馬に触れたような気分になれますね。
龍馬はここで5年間修行を重ね、嘉永6年3月に日根野弁治より「小栗流和兵法事目録(初伝)」を授けられ、将来道場を将来開く為でしょうか?よりハイレベルな江戸での修行を望み江戸へ出ますが、帰国後も日根野道場での修業を続け、嘉永7年、文久元年と3度日根野弁治より目録を授けられています。
|