「稽古」とは?


「稽古」と練習の違い
「黙想!・・・・・・・礼っ!」
「ヨシっ、稽古始めよう!!」

 私の師範はいつもこの言葉から稽古をスタートさせました。毎回、稽古の初めに繰り返される風景です。
「稽古」とは?
 それまでの私は、そんなに深い考えもなしに「今日の練習は・・・」とか、「蹴り技の練習を・・・」とか言っていました。「稽古」も「練習」も同じもので、武道だから古めかしい言い方をしているのだろうくらいにしか考えていませんでした。

 また、別の師範は稽古中にこう注意することがありました。

「『スパー(スパーリング)する』とか『ローキック』という言葉ばかり使っていたらダメだよ!空手にはちゃんと『組手』や『下段回し蹴り』という言葉があるんだから。どうしてわざわざ英語を使うんだ!」

 長くアメリカで指導されていた師範方が、こういった言葉に拘るのは単なる郷愁ではありません。ちゃんと理由があるのです。もちろんアメリカ人に技の説明をする時には、英語で言った方が理解しやすい事もあるでしょう。しかし、日本人である我々が、空手の技を言う時に英語を使うというのはどうなんでしょうか。

 この「スパーリング」という言葉をよく使う流派で稽古していた友人に、「スパーリング」と「組手」の違いを尋ねたことがあります。
 友人曰く、力を抑えて軽くやるのが「スパー」で、全力でやるのが「組手」だそうです。日本語の「組手」の方がレベルが上で、そちらにより重要性を持たせようとする気持ちもわからないではありませんが、言葉遣いの中にその精神性が表れると言っても、言い過ぎではないでしょう。

 技の名称だけならば「下段回し蹴り」を英語では「ローキック」と言うんだよ、という違いくらいしか目に見えてきません。しかし、「稽古」という言葉には武道を学ぶ精神が表現されています。

 「稽古」を語義から見れば、「古(いにしえ)を稽(かんが)ふ」。つまり昔のことを考え、調べて自分の技能を上げる努力をするということです。
 武道で言えば、師範や先生から教わったことを思い出し、足りない部分があればそこに自分の解釈を加え精進していくということでしょう。
 ところが最近ではそのベースとなるべき先人の残してくれたものを顧みず、「昔のやり方ではダメだ。こうやった方がいい。」と、自分のやり方ばかりを前に出したがる人が多いように思います。自分のやり方を付け加えるのは先人のやり方をよく考え、行なったうえでなければならないのです。そうでなければ「稽古」ではありません。もちろん、自分が創始した武道ならばそれでいいのかもしれませんが、曲がりなりにも「空手」を名乗るのであれば、先人の築きあげてきたものをないがしろにしていいわけがありません。

 「型はダメだって言うヤツが多いけど、昔の型の中に下段をスネ受けしているものもちゃんとあるんだ。」と、私の師範は仰っていました。私自身が型を稽古している中でも、フルコンタクトのトップレベルの選手が使っている技が型の中にあるのを発見して、驚いたこともあります。
 それは真剣に「稽古」する中で古人の知恵を発見することであり、漫然とやっていては見落としてしまうことばかりなのです。

 真剣に先人の知恵や知識を学び取ろうという態度で臨まなければならないのが稽古であり、そこに自分の工夫や考えを足したものであっても、同じ真剣さを以て行うものは「稽古」と言っていいのでしょう。

 師範は稽古に「気持ちを込める」ことを重要視していました。よく使われる言葉で言うと「気合を入れる」ということですが、師範は次のような言い方で私たちに注意してくれたことがあります。
「それじゃあエキササイズ(exercise)だよ!稽古じゃないよ!!

 こんな風に何気なく注意を下さる師範の言葉に影響され、私も意識して「稽古」と「練習」を使い分けるようにしていたのですが、先日新聞で興味深い記事を目にしました。鼓を習っていた方が、師匠から「練習」ではなく「稽古」だと厳しく注意された、という話です。
 この話には今まで自分が考えていた事と重なる部分が大いにあり、納得させられるものがありましたので、ここに紹介します。ただ、武道のことを知らない人が読むと誤解するのではと思われる部分もあったので、少し補足しておきたいと思います。ただし、これはあくまでも私個人の認識ですから記事の著者の意見ではないという事をご理解ください。

 では、どこが誤解してしまう部分なのか、それは、
本番ではない練習を80%の力で行うとしたら、お稽古は常に100%で行うべきものだ」
というところです。

 「普段の生活のすべてがお稽古に通じるという心構えが大切」と、言っておられるのは、日々の生活の中においても行住坐臥すべてが常に稽古であるという意識を忘れてはいけない、ということです。これは同様に、武道も自らの生きる道として行うものですから重なる部分が大いにあると思います。

 毎日の生活そのものが稽古の目的であり、本番なのですから、そのすべてに全力を注ぐことが求められるのが当然で、80%ではダメなのだという理屈はわかります。

 ただ100%で稽古するというと、最大に力を込めてやらなければならないと思う人が多いのではないでしょうか。空手で言うと全力で突いたり蹴ったりしなければならないような、そんなイメージを持ってしまうかもしれません。しかし、ここでいう100%というのは、精神的な部分を指しています。つまり、常に100%真剣に、ということです。

 このことをわかっていない人間が、指導する際に何でもかんでも
「気合だ、気合ーッ!オリャー!」
と叫んでいたりしますが、やたらバカでかい声で、すべてに全力を出してフルパワーでやるのが良いのではありません。
 「気合を入れて稽古する」ということは、その字の如く、「気持ちを入れる」ことであり、集中力が大事だということです。

 稽古のメニューとして「拳立てで正拳を打ち込む」というのをやらせることがあるのですが、ポイントは、目標にまっすぐ正拳を当ててパワーが逃げないようにするのを体得することにあります。
 もちろん拳を置きにいくような突きでは意味が無いのですが、正確に打つ、という部分より、「俺はこんなにハードにやっている」という方に意識を取られやすく、バンバン当てているうちに下にクッション材として置いた雑誌がズルズル動いていったりして、とうとう拳の皮がズルリと剥けてしまうことがあります。つまりそれは斜めに突いてしまっているということなのです。

 初めのうちは、まず大きな声で「気合」を出して稽古することが大切ですが、上のレベルになれば集中する「気合」がより重要になってきます。

 レベルが一定以上に上がってくれば、「声や力だけ」の気合に留まらず、集中した「気」の入った「気合」を入れて稽古するようにしてください。