ようこそ!クリエイトの世界へ NO.8

一人言コーナー

この業界では僕は年長になってしまった。本人では、若いつもりでも暑い時や寒い時の現場仕事では、身体が付いてこない場合もある。でも、仕事が出来る事に感謝してるよ。 ワーイ!

僕を育ててくれた先輩達の方々の連絡は途絶えてしまいました。僕の作品を見てほしい時もあります。いろんな思い出が師弟関係で回想する日も度々ありますよ。現在の技術はパソコンで、本当の師弟関係は出来ないと思っています。その点僕は、いい時代やったなぁ〜と思っていますよ。 キャーッ!

僕はみんなから現在も親しくしてもらっています。僕の時代には、先輩に言葉をかけるだけでもドキドキしてました。上下関係って言う奴なんです。今、思えば先輩達も「孤独」じゃなかったのかなぁ〜って思えてきました。それは「技術」の勉強です。ちょっとでもあの人より、上手になりたい・・・ライバル意識ですよね。その、競争があるから技術が向上してきたと思いますよ。現在はボタン一つやけど。 ワーイ!

良く、職人は難しい、プライドが高いって耳にします。中にはそういう人もいてるのも事実です。そんな事はありませんよ。劣等感の固まりですよ僕なんか・・・只、みんなより年上だけにそう思われるのかなぁ〜・・・だからさぁ〜僕なんか寂しがりやでね、言葉をかけて貰う為に「ピエロ」を演じていますよ。 キャーッ!

貧乏長屋のオフ会にて 僕とたくちゃん

看板と私 1

絵が好きで、この業界に入って35年余り・・・早いものです。下積みの時代から今日まで、苦労をして来ました。初めは看板よりも「印刷」の仕事がしたかったのです。その為、デザインの先生に教わり、デザイングループなどの作品などで評論をしあいました。夜遅くまで勉強をし、母親からは「早く寝ろ、身体が壊れる」などと叱られました。先生からは、なんの本でもいいから「読め!」と言われ、当時はその「意味」さえ分かりませんでした。素直さがなかったのですね。月刊誌で「アイデア」が毎月送られて来ました。二千円もしたのですよ。給料が五万円の時代でしたからね。(笑)その他は絵の具代、ケント紙代で給料がパーでした。勿論その時は看板屋の会社勤めですよ。いつまでも「文字」を書かせてくれないのを腹を立て、この看板から抜け出そうと思った時もありました。念願の職人(技術が付くと、個人に会社から筆を与えられる)に認められました。嬉しかったですよ。初心の嬉しさを忘れ、看板なんか書いていられん!と社長に訴えたのです。やはりデザインをしたかったのですね社長がデザイン部に入れてくれました。「ヤッター!」と、とても喜びました。その後、独立。デザインだけでは食べて行けず、やはり「看板屋」になってしまいました。このお話の続きは、「一人言」に載せようと思っています。その時は読で下さいね。

看板と私 2

こんなくだらない独り言でも読んでくれてる人がいてるんやぁ〜・・・結構、フアンがいてる事に驚きました。僕が阿呆やから又、恥じを忍んで書きます。笑ってくれてもええし、同情されてもいいんですよ。ウッフフフフフフ・・・

結婚と同時にクリェイティブ・デザインとして発足。名前が長いとお客さんから舌を噛みそうやと言うので、クリエイト工芸社と変えました。妻は看護婦。安定しない収入で、毎月の従業員の給料を妻の稼ぎを渡す。やがて、軌道に乗り、大きな仕事ばかりになりました。勿論、従業員も増え、売り上げも右肩上がり。だが、「手形仕事」で、僕も手形を出すようになった。銀行にも信用がつき、手形の枠も二つ作って貰いました。今、思えば利益が出ていなかったんですね。外に支払うと利益がなかったような気がします。

大きな看板を立てると、クリエイトが独占や〜と同業者にも妬まれる。しかし、儲けは別。台風が来ると夜も寝られない心配もし、悩みました。当然、下請けさんやお客さんの接待。よせばええのに、お水の人から「愛してる」と言われ深い関係に・・・やがて、妻にバレる。妻は浮気を許してくれたが、そこは阿呆な僕や。お水を選んでしまった。結果はご想像に・・・

さて、離婚と共に仕事が減って来ました。いくら住友の町だと言ってもリストラが始まり、町はシャッターを降ろした店ばかり・・・この頃はバブル時代やったんやけどね。NHKの全国のドキュメントで放送してたよ(泣)仕事をしても集金が出来ない。倒産や無いけど自主倒産やねん。当然、手形決済が出来ない。債権者が入り口で列になっている・・・どうしょうもない時に、母親が助けてくれた。その言葉は「正次さん、商売をしなかったら助けてあげる」って。この言葉に初めて、母親に涙を見せました。

やがて友人を頼りに大阪へ・・・母親の言葉痛りにサラリーマンになりました。給料は三日とも持たずに、田舎に電話をする。風呂屋で給料が全部盗まれたと嘘をつき、姉に仕送りをしてもらった。当然、兄妹も呆れ相手にされなくなり、寂しい気持ちの時に嫁はんが出来ました。(またしても、お水)サラリーマンから字書きさんへと変身です。ペンキも会社持ち、ただ用意するのは「筆」だけでした。怖い程、稼ぎました。やはり、大金も貰えない場合もあったけど、幸せな暮らしも出来ましたよ。

バブルが崩壊の後、又、離婚。今度は子供を育て乍ら(泣)。だが、今考えるとこれが「正解」やと思うよ。正ちゃんが真面目になったもん。子供の面倒を見ながら、パソコンや楷書の勉強をしたもんね。昔みたいに筆だけで飯が食える時代とちゃうもんね。とか、言い乍らも「職人根性」が今も持ち続けていますよ。わが子にも「父さんを尊敬してる」って誉めてくれます。確かに苦労をしたが、今はとても幸せですよ。お金が無く、貧乏やけどね。ワーイ!

上から素晴らしい男前の僕。社長に見えないおさむちゃん、機関銃トークの銀ちゃん、手前は優しいハンターさん

看板と私 3

暫く、このコーナーもお休みでした。今年で息子も成人になりました。今更、過去の看板の話しもしたくも無いが、息子の為にも「遺産」として残してやりたいと思っています。今回で最終回ですよ。

現在の店に引越しをして、しばらくしてから「看板仕事人」のサイトが出来ました。この仕事人に合わせて、僕のHPも立ち上げました。自分でも納得出来ないHPでした。だが、批判は悪評ばかり・・・でも、僕の心の中では「良く頑張った!」と自分を誉めてやりました。それは、職人としてのプライドもあったんでしょうね。先生、先生とおだてられた環境の中で、こんなにも貶される自分が情けなかったんだろうね。(相手さんは、僕の事を心配して、言うてくれたんだと思うけど、素直さがなかったんやろうね)字書きさんとして屈辱を感じ、不安な時代でした。

しかし、掲示板ではとても、とても癒された時もありました。上の写真の銀ちゃんと二人だけの書き込み・・・けなされ、罵声などなど、心から笑えました。仕事も全然無い時は凄く励みななりました。それからは、仕事人の交流掲示板にも参加させてもらい、会員の中でトップに強制削除されました。ダハッ!だけど、本当の交流が出来た事だけは認めます。そして、夜空のトランペットや初恋の丘さんも知り渡り、大切にしてもらいました。ありがとうございました。

さて、仕事と言えば、全然ありません。営業に回れば、名刺をくれるだけでもいい方でした。凹みました。店に帰ると土間にはテントが置いてあった。お仕事や!と、とても嬉しかったです。やがて、ポツリ、ポッリとカッテイングの仕事が入りました。当時はカッテイングのリース代で儲けは飛んで行きました。つらいのう〜・・・


読むのも疲れたでしょう?休憩でもしますか?

さて、手書きの仕事が無くなった頃に町内の保存会のお仕事が入って来ました。PCでのお仕事です。オリジナルイラストでした。何度も、何度もデッサンをし、そのイラストを使いTシャッやシールを作りました。看板屋のお仕事とは違います。ペンキではなく、手も汚れません。あああ、本当に手書きは淘汰されるんやぁ〜と悲しくもなりました。このお仕事の作品は好評でメディア仕事が多くなりました。


しかし、大きなお仕事はそれなりにリスクは伴います。やっぱり、手書きがええと・・・・悩みました。データーを作るのは嫌いじゃりませんよ。好きな方かな?

我々業界は、デザインの価値観は低く設定されています。よく、同業者さんから依頼はありますが、お断りしてますよ。こんな環境であれば、オペレータは育たないでしょうね。言いたい事は山程ありますが、ここらで止めておきます。

こうして読んで見れば、PCを教えてくれたハッピーさんのお陰。感謝してますよ。又、デザインが好きでこの業界に入ったけれども、僕の看板屋人生において、何処か違う?感じがするのは僕だけかなぁ〜・・・・?現実を認めて、頑張るしかないかな?冒頭で息子の話題になったんやけど、息子は看板屋をしたいらしい・・・断固として僕は反対をしてます。僕が死に、このコラムを読んで解ってくれる事を信じたいと思っています。本当に「看板屋一代記」だったと思うよ。フン!

ある日、ネットサインさんから、おじさん「貧乏長屋」を作ろうって言うて来ました。そんなん、面倒臭いと相手にもしませんでした。ギゃハッ!しかし、UPすると大人気!スレッドも一日で消える事もしばしば・・・レスの書き込みだけで、仕事も出来ない位でした。そして長屋のオフ会には、遠いところから、有名なあいおさんも来られ、本当に楽しい日々でした。仕事には結びつかなかったけれど、「貧乏人」ばっかりなので「仲間」として繋がりが出来たのは収穫でした。ブヲハッ!現在は書き込みをする人は限られているけど、何時か又、元に帰ってくれる事を願っていますよ。


借入れ借金も車一台位になりました。僕もそろそろ「還暦」。今は昔の見習いだった頃の思いでに回想をしてます。匕輪に炭を炊き、電柱広告の古いトタンのペンキを剥がして再利用。そんな時代から、今はペンキも使わず、ボタン一つで作品が出来る。いろんんな経験は出来たのは喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか?自慢じゃないけど、やっぱり「基礎」が出来ないといくらメディアが発達しても、いい作品が出来ませんよ。でも、この業界に入って後悔はしてません。好きな仕事をして、お金を貰ってこの年迄、生きてこれたもんね。最後に、みなさんのご活躍を期待してます。難しい時代やと思うやろうけど、当時の僕の時代も難しい時代でした。このコラムはちょっとでも参考になりましたら、嬉しい限りですよ。これを読んでくださってありがとうございました。

 
          平成18年4月8日  クリエイト 津田正次