とても、恥ずかしいけど「好評」なんです。それは、僕を馬鹿にしているのかも知れません。ウッフフフフフ・・・でもね、癒されるとか何とか言われば嬉しいですよ。「猿もおだてば木に登る」。しかし、こんなに波乱万丈とはね・・・

お〜い、過去の嫁はん、俺は元気やで〜・・・もし、生きていたら金、貸してクデやぁ〜・・・相も変わらず馬鹿を演じているけんね。フン!

1972  愛媛県新居浜市にてクリエイトを創立 従業員、嫁はん入れて3名。始めた頃は仕事がありませんでした。従業員と昼間から風呂に入りミーティングをしていました。勿論給料も出せませんでした。

1975  当時喫茶店のオープンが多く珈琲メーカーから仕事が殺到。(笑)従業員もアルバイトを含め6名になっていました。

1977 サンロイドアワードコンテストで『金賞』を貰いました。

1978  サンロイドアワードコンテストで『金賞』を貰いました。この頃から喫茶店のオープンが少なくなる。当然従業員も少なくなり金銭的にも苦しくなる。勿論、手形の不渡りも経験するクウーッ気がつくと、自分一人になってしまいました。(泣)

1982 大阪に単身で来る。「字書きさん」としてスタート。

1983  結婚 車文字入れ 看板屋さんに仕事を貰い生活をする。この頃は材料費はペンキ代だけで「儲かりました」(笑)

1991  イベント関係で増々急がしくなり、家に帰れない程でした。しかし落とし穴がありました。多額の金が貰えなかったのです。(泣)これは、痛かったですよ。 クウーッでもイベントで儲けさせてもらったから今は恨んでいません。

1992  ハッピー企画さんと知り合う。気が着けば「子連れ狼」でした。そう、又もや「嫁はんに逃げられました」(冗談ですよーだ)。結果は「子連れ狼」には違いありません。ハイ!

1995 ハッピーさんにパソコンを教わる。チンプンカンプンで分からなかった。「覚えないと看板屋として生き残れない」と言われ猛勉強?遊びもしたけど事実、勉強もした。この頃から「産業革命」が始まっていたんだね。看板屋の「字書き」として不安な時代でした。ハイ!

1998 提灯を書く、しかしゴジックしか書けない私は提灯は無理だと思った。悔しかった。本当に悔しかった。若い頃、習字を数年習いに通ったこともある。基本が出来ているからやれば出来る!そして息子に叱られ乍ら猛勉強する。(えらいでしょう?)

2001 ハッピー企画さんの居候から独立!ハッピーさんも私を嫌ってか引っ越し?(笑)嘘ですよーだ。店を出した途端にパソコンが潰れる。「クソー金がないのにー・・・・・・」クーッ悩んだ末、新しいパソコンと周辺機器を買い代える。だが初期不良でした。

2002  提灯の仕事が入りました。ほとんどが純利益!ワーイ。そして昨年は年を過ごせました(笑)  

      

よく、人に僕は「器用貧乏」と言われます。本当に良くお金も使いました。でもね、殆どがお仕事の為に使ったので「後悔」はしておりませんよ。只今のところの趣味はこんなもんかなぁ〜・・・

映画  週に一本は観ますね。「洋画」専門です。劇場で観ます。
カメラ 報道写真で何回か受賞しています。(顔に似合わないだって?)
CG 主に仕事絡みです。最近は製作していません。
パチスロ 今は「金」がないので行ってないです。ハイッ
油絵  25年程描いていません。画廊で個展を3回しました。一度も売れませんでした。

これからの看板業界

映画好きで良く観に行きます。コンピュターで製作をしている作品が沢山出ていますね。始めはジェラシック・パークを観ました。恐竜が見事に現れて驚きましたよ。それからと言うもの、次ぎから次ぎへとコンピューターの作品。正直に言って、もう、ウンザリしています。将来は「役者」いらずの時代が来るそうな。その時代が来たら、僕は映画を見ないでしょう。

この看板業界もそれに近い流れになって来ています。別に「悲観」などしてはいないが、映画と同じで見る側の立場はどうでしょうか?何処もかしこもグラデーションのインクジェット。素人がしたレイアウト。こんなんでは看板屋に明日はない!

僕もデーターを作れます。完璧ではありませんが、真似事なら出来ますよ。確かに、昔の看板と比較すれば綺麗です。ただ綺麗だけに過ぎません。お客さんもそれらに気がついてきたんでしょうね、チャンネル文字や造型の立体看板も増えて来ています。平米幾ら?と言う時代はもう、終わったかもね。

さて、経営の話しやけど僕は職人で「経営」の事は正直に言って分かりません。ただ、言える事は「食べて行けたらええ」と考えています。全国で10人以上の従業員のいる看板屋さんはどれだけいてるでしょうか?殆どが「小規模経営」なんですよ。この、業界は「趣味」です。好きな仕事だからこそ、貧乏でも続けて行けるのと違うのかなぁ〜会社を大きくするのではなく仲間達と交流を持ち、助け合う「心」が大切だと思っています。